19.お茶会に誘われたって言ってだけれど….こんなんでしたか⁈
この武道会って、面白いんだよね。
誰が強いとか、どこの派閥だとか、いろいろあるけど……
でも、私が一番好きなのは――
いつからか、頑張った選手が“気になる子”に舞踏会のエスコートを申し込むっていう流れができてて。
勝っても負けても、ちゃんと顔を見て「行こう」って言うの。
見てるこっちまで、ドキドキするくらい真っ直ぐでさ。
逆に、応援する側が“してほしい”って気持ちを、言葉じゃなくて伝えることもある。
手作りの差し入れとか、応援のリボンとか。
泣いたり笑ったり、ときめいたり――そんなお祭り騒ぎの一面も、ちゃんとあるんだ。
でも、それだけじゃない。
ここには、もっと重たい目で見てる人たちもいる。
将来の引き抜きとか、推薦とか……。
この舞台で何を見せるかが、そのまま“次”を決める材料になることもある。
もちろん、男の子だけじゃなくて、女の子だって出てる。
強いってことに、性別なんて関係ない。
ただ……誰がどんな想いで、この場に立ってるのか――それを見てたいって、私は思ってる。
エレーナ・ベルトラン
訓練場の音が、静かに引いていく夕暮れ時。
斜陽の光が、栗色の髪にあたる。
それは後ろに束ねたポニーテールを、まるで金の糸で縫い留めたかのように照らしていた。
翡翠色の瞳にヘルムートが写り、瞳が一瞬浮いたが、目をギュッとつむり、エレーナが、小さな包みを突き出すように差し出した。
「……お腹、空いてると思って。
味は、まあまあ……かもしれないけど。
いつもの私の夜食。今日は、君の分」
布をめくると、干し果実とスパイスの香りが、ふわりと立ちのぼる。
手作りの、色とりどりの果実が覗いている厚みのあるスコットのような焼き菓子――少し焦げて、少し歪な形。
「ありがとう。でも、いいのか? これ、君の楽しみだろ」
ヘルムートの問いに、エレーナは目を伏せ、小さく息を吐いた。
「……うん。今日は、そういう気分なの。
あなたが倒れたら、困る人もいるんだから。……私とか」
声は小さく、すぐに背を向ける。
けれど、頬はわずかに赤く染まっていた。
エレーナが差し出した包みは、訓練場の盤面ではなく、すぐ脇の芝の上にそっと置かれた。
「ここに置いておくから……あとで、食べてね」
言葉は短く。けれど、その仕草には、今は手を離れても“心を置いていく”ような、静かな温度があった。
そのやりとりを、カトリーヌは静かに見守っていた。
柔らかい微笑を浮かべながら、どこか意外そうに、そして納得したように。
「――なるほど」
その声はやわらかだったが、芯があった。
「お優しいんですのね、エレーナ様」
カトリーヌの視線がヘルムートへと向けられる――が、そのとき。
「そうそう!」
エレーナが、思い出したように声をあげた。
「カトリーヌさんも、君に差し入れがあるって言ってたよ。……ね?」
不意に話を振られ、カトリーヌの指がぴたりと止まる。
一拍の間。
けれど表情ひとつ変えず、ため息混じりにゆっくりと懐に手を差し入れた。
取り出されたのは、小ぶりな薬瓶。
透けた硝子の内側で、淡い青緑の液体が静かに揺れている。
それを、エレーナの包みの隣、芝の上にそっと置いた。
「痛み止めです。
治るわけではありませんが、……楽になります。
お口に合うかは存じませんけれど――差し入れ、ということで」
笑みは優しげで、しかしどこか涼やかすぎた。
“これから必要になるかもしれませんから”という、無言の予告のように。
その瞬間、わずかに後ろで足を止めていたイグナーツが視線を向ける。
「ルーン家の痛み止め、か……。
あれを差し入れとは、また風流な。
まあ……戦う前に渡すあたりが、いかにも“彼女”らしいな」
半歩だけ肩が動いた。
何かを言いかけて、やめる。
カトリーヌ・ミルフォード――
アリシア・フォン・ルーン付きの侍女などと呼ばれてはいるが、
その正体は、専属の大樹紋騎士団と噂されている。辺境森林地帯で育まれた、特殊な技能を持つ、尖った集団。統制しづらい厄介な奴らだ。
“ルーン家の狂った守護者””首を剥ぐ箒の小間使い”
嘘か本当かわからない、昔の嫌な噂が、心をざわつかせる。
いま目の前で、それが戦支度を始めている。
そのことの意味を、誰よりも理解していた。
この空気を止めるなら“今”。だが、ここはまだ、そのときではない。
……もう少しだけ、泳がせてみるか。
イグナーツは目線を落とし、軽く息を吐く。
イグナーツの立ち位置と反対の場所で、カトリーヌが振り返ると、目をまっすぐにヘルムートへ向けた。
しばらく沈黙が落ちる。
「さて……少しだけ、気になってしまったことがございますの。お聞かせいただけますか?」
カトリーヌが、静かにヘルムートを見つめて言う。
「……あなたの“あの宣言”以降、アリシア様の周囲が大きく動いています」
カトリーヌは、穏やかな笑みを浮かべたまま、まっすぐにヘルムートを見つめた。
「まさかとは存じますが……それが“狙い”でいらした、ということはございませんよね?」
柔らかな口調。けれど、その奥に潜むものは、問いではなく“試す刃”だった。
ヘルムートは、すぐには答えず、息を小さく吐いた。
「……考えてなかったと言えば嘘になります。でも、狙ったって言葉は違う。俺が“やりたかったこと”は別にあります」
それだけを返すと、カトリーヌは目を細め、笑みを深めた。
「では、もうひとつ。これは単刀直入に伺います」
彼女は、指先でそっと髪を直す仕草をしながら、声の調子を変えず、内容だけを鋭く切り込む。
「――あなたは、アリシア様を“駒”にしたのですか?」
張りついた笑みの奥に、鋭い問いが潜んでいた。
ヘルムートはその刃を、まっすぐに受け止める。
「違います。……俺が選んだんです。
アリシア様を選んだのは、“あいつと並んで立つ覚悟”を、俺なりに示すためでした」
「“あいつ”?」
カトリーヌの眉がわずかに動く。
「ラウレンツ・フォン・ウェステリアです。
あいつは本気で――立場を捨てて、俺を助けた。
その瞬間、俺は“ウェステリア家”じゃなく、“ラウレンツ”に心を掴まれたんです」
語るヘルムートの声音には、静かな熱が宿っていた。
「そのとき、あいつはこう言ったんです。
“階級は、背負う重さの単位でしかない”って」
カトリーヌの目が細まり、風がそっと場をなぞる。
「でも今は、あいつ自身がその重さに呑まれている。
家の名に押し潰されそうになって、自分を手放しかけてるんです」
ヘルムートの視線が、ごく短くエレーナへと流れる。
「ラウレンツが守っていた“場所”に、アリシア様も立っている気がしました。
立場の違いに拘らず隣にいて、誰の意志も否定しない――それは、あいつが信じていた在り方に、きっと近い」
言葉の温度がわずかに下がる。
「……もし、あいつが戻ってこないなら。
そのときは、俺とアリシア様が“並んで立つ”。
“あのときの想い”を、もう一度――気付かせてやります」
空気が揺れ、風が乾いた砂を転がす。
カトリーヌが一歩、前へ出た。
「Porte ton fardeau, sans vanité.《自らの重荷を背負え、虚栄なく》」
流れるのような響きが、低く、よどみなく落ちる。
「彼の父も、そう言っていたわ。……繋がっているのね」
静かに笑みを浮かべる。どこか懐かしむような、確かめるような表情だった。
しばしの沈黙。
「…..貴方がもし、アリシア様と並ぶおつもりなら、そのうち、お茶会にお呼ばれするかもしれませんね。
――少しだけ、心得をお教えしますわ。贈り物として」
カトリーヌの目が、ふっと細められた。
「お茶会って、ただの社交の場ではなくてよ。
一番“面白い話”をした者が、その場の“主役”になれるのです」
ふわりと袖を整えながら、視線だけでイグナーツとエレーナに合図を送る。
口元に指を立て、“これは私と彼の会話です”と、やんわりと告げるように。
「会話の間に真意を織り交ぜ、静かに立場を測る……
“言葉”という武器の、最も洗練された使い方。
だからこそ――お茶会は、戦場なのです」
柔らかな声音はそのままに、しかし、瞳の奥に何かが灯る。
「さて、ヘルムート様。あなたは、どんな物語を語ってくださるのでしょう?」
両手を背に回し、首筋にかかるエプロンの結び目にそっと指を添える。
「もし、わたくしよりも興味深いお話でしたら……
次は“アリシア様と並ぶ席”に、あなたをご招待いたします」
ハラリと落ちていくエプロンが、手にかかる。
くすりと笑う。その笑みには、どこか”別の顔”が混じっていた。
「ふふ……もちろん、そう簡単ではありませんけれど」
白いエプロンをふわりと広げる。
柔らかな布が風をはらみ、ゆったりと円を描いた。
その一連の動きの中で、彼女は“布の重み”“しなり”“反応”を指先で探るように確認していた。
手を止め、布を両手で持ち直す。
視線を落とし、唇がわずかにほころぶ。
「……これ、いけるかしら」
台所で新しい道具を試す主婦のように、ぽつりと呟く――
次の瞬間、腕が振り抜かれた。
パァン!
乾いた破裂音が訓練場を貫く。
「ひゃっ……!」
エレーナが肩をすくめ、耳を手首で覆いながら小さな悲鳴を漏らす。
カトリーヌは楽しげに笑う。
「ふふ……これは、なかなか面白くない?」
ヘルムートが一歩後ろへ下がり、静かに彼女を見据える。
「……お茶会なんて、行ったことないですからね。
けれど、どんな“面白い話”でも――上手く返してみせますよ」
その言葉が口を離れた、まさにその瞬間だった。
ヘルムートの瞳孔が一瞬で拡がる。
音を置いてきた、白布の一閃が瞳に入る。
パァァン!
訓練場に響いた破裂音が、ヘルムートの“頭があった位置”を正確に撃ち抜いた。
髪が数本、宙に舞う。
イグナーツがの眉がわずかに動く。片足が半歩だけ前に出ていた。
「……思ってたより、だいぶ物騒ですね、こっちの“お茶会”は」
ヘルムートはとぼけたように笑い、横目でエレーナの無事を確認する。
手のひらを軽くかざし、静かに「平気だ」と視線で告げた。
「でも、この手の話、得意なんです。
……逃げるのは、決まって“仕切っていた側”でしたから」
そう言いながら、ヘルムートは片手で木剣を軽く一振りする。
そして静かに両手で構えた。
笑みは浮かべたまま――だが、その姿には揺るがぬ覚悟が滲んでいた。
「その返しは、ちょっと悲しいですね」
カトリーヌの声は柔らかいまま。けれど、切れ長の瞳には――すでに危うい光が灯っていた。
「心遣いが感じられません。……私の衣装が、台無しですよ」
その言葉と同時に、彼女の腰がわずかに沈んだ。
彼女の濃紺のメイド服姿が、闇に沈み込むように見えた。
次の瞬間。
白が、舞う。
ひるがえったエプロンの一閃が、すべての言葉を断ち切った。
訓練場の空気を破り裂く音が響く。
――それは、勝負の幕が開かれる号砲のようであった。
“エプロン”vs “木剣”、まさかの異種格闘技戦が開幕です(笑)
次回もどうぞお楽しみに!
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