18.金の鶏がバレたら、あとはスープになるだけらしい
金の鶏がスープにされるのって、
“卵が金じゃないから”じゃないの。
言うことを聞かない時。
他の誰かに取られそうな時。
……あるいは、まだ何も生んでいないのに、見つかってしまった時。
そういうとき、“都合の悪い才能”は、
“処理”って言葉で、なかったことにされる。
育てるより、潰すほうが早いから。
管理できないものは、失敗にされた方が都合がいいから。
でも――
私は、それでもいいと思ってる。
逃げてもいい。戦ってもいい。
飛べなくても、羽ばたこうとしてくれたなら。
そのとき私は、ちゃんと傍にいるよ。
……だから、選んで。自分の行き先を。
夕暮れの訓練場は、喧騒の名残も消え、穏やかな静けさに包まれていた。
構文盤は片付けられ、整備士たちも引き上げたあと。
風が木々を撫でる音と、規則正しく振るわれる木剣の音だけが、空に溶けていた。
その光景を、訓練場の端から見つめる男がいた。
イグナーツ・シュレダー
かつて王国騎士団の副団長として戦場に立ち、今は学園の戦術講師を務める男だ。
彼の視線の先には、ひとりの青年――ヘルムート・クロイツの背中。
軽装のまま木剣を握り、何度も地面を踏みしめ、力の流れを確かめるように振るう姿があった。
「……ああ。面倒な才能を隠し持ってたな、君は」
誰に聞かせるでもなく、イグナーツは呟く。
構文の流れを読む“目”と、力の向かう先を調整する“身体”。
その両方を持つ者は、ただの逸材では済まない。
むしろ、“世界の仕様”からこぼれる。
だからこそ――
「誰にも名を刻まれていない今のうちに、自分の手で選べ」
夕色の訓練場の片隅で、壁際にもたれていたイグナーツが背を離す。
足音を立てず、ゆっくりと歩み出した。
「傷を選んでもいい。だが、場所だけは他人に決めさせるな」
その声は、静かに、けれど揺るぎなくヘルムートへ向けられていた。
歩を進めるごとに、木剣の軌道が視界に重なる。
――これは、訓練じゃない。
型でも力でもない、“勘”で動いている。
戦術の手前にある、もっと曖昧で、それでも確かな“感覚”だ。
ヘルムートの右後方から、低く落ち着いた声が届いた。
「……君は、誰の指導を受けてる?」
一拍遅れて、ヘルムートが木剣を止める。
夕陽を背に、振り返りながら答えた。
「――今は、特に」
その答えに、イグナーツは一歩、前に出た。
「そうか。……なら、“今日から俺の下”でやれ」
その言葉は、指導でも助言でもなかった。“囲い込み”だった。
ヘルムートは思わず眉を上げる。
「え、あの……今の動き、そんなに変でした?」
「違う。――良すぎた」
イグナーツは目を細め、靴先で砂を抉るようにして、低く続ける。
「三枚の盤面を、力じゃなく“流れ”で運んだろう。あれは偶然じゃない。“読んでいた”」
「三枚くらいで……何か、まずかったですか?」
「いや。悪いのは“世界の方”だ」
その声には、かすかな怒りが滲んでいた。
その怒りは、目の前の青年に向けたものではない。
―――まぶたの裏に浮かぶ、バルドという名の男。
感応を行動に変えられる希有な才を持ちながら、
使われすぎて、気づけば……余白で、潰れていた。
(……同じには、させない)
「お前のことは、これから俺が見る。俺の班に入れ。労務は全部こっちで引き受ける。時間も、場所も、訓練も整える」
「えっと、それは……指導ってこと、ですか?」
「そうだ。正式な授業枠にはしない。俺の“個人記録”で残す。……問題あるか?」
ヘルムートは一瞬だけ思案し、肩をすくめた。
「まあ……“騎士に近づける”なら、悪い話じゃないかもしれませんね」
イグナーツの眉がわずかに動く。
「そうだな。“近づく”だけなら、な」
その瞬間――
風の向きが、わずかに変わった。
訓練場を包んでいた静寂が、ふと揺らぐ。
声もなく、音もない。けれど、誰かの視線だけが、そこにあった。
イグナーツは無言で周囲に目をやる。
建物の陰、木々の隙間、構文盤の影――
(……誰か、いる)
理由もない。けれど、直感が警鐘を鳴らしていた。
それはかつて、戦場で**“聞かれたくない時に限って、聞かれていた”**あの感覚に、よく似ていた。
腰の柄に指がかかりかけて――止める。
「……聞いてるなら、出てこいとは言わん。だが、“選ぶ者の声”を、間違えてくれるなよ」
その呟きが空に溶けたちょうどその時だった。
「――あら、思ったより真面目な顔してますね、先生」
柔らかな笑みとともに届いた声は、まるでお茶の時間にでも訪れたかのような軽やかさだった。
夕暮れのアーチの向こうから、ゆっくりと歩み寄る姿がある。
黒を基調に、袖口と裾に上品な白を配したメイド服。
丁寧に織られた布地の光沢が、黄昏の光にさりげなく揺れる。
歩くごとに靴音が芝に吸い込まれ、ひとつひとつの所作が自然と視線を引く。
それは“仕える者”の控えめな振る舞いであった。
「訓練場にてお会いするとは思いませんでしたわ」
そう続けた声もまた、まるで日常の挨拶のように柔らかく。
遅れて、小柄な影が慌てて追いついてくる。
「す、すみません、待ってくださいって言ったのに……!」
エレーナ・ベルトラン。胸元を押さえながら、息を弾ませてカトリーヌの隣に並ぶ。
けれど、その表情はどこか嬉しげだった。
ふたりの姿に、場の空気がわずかにゆるむ。
「お邪魔でしたか? でも、ちょっとだけ、応援に来たんですのよ」
そう言って微笑むカトリーヌの声は、冗談半分のようで、どこか真意を測れない調子だった。
エレーナはちらりと横目でカトリーヌを見て、ヘルムートの方へと歩み寄る。
「その……頑張ってね、ヘルムート」
短く、それだけを伝える。
けれど、訓練場に差し込む光の中、その言葉には不思議な温度が宿っていた。
イグナーツは、その光景を静かに見つめながら、目を細める。
(……いや。先の“ざわつき”は、この子たちのものじゃない)
そして、誰にも気づかれぬように、視線をわずかに空へと向ける。
訓練場には、もう“誰もいない”ように見えた。
けれど、空気の“深層”に――名を刻まぬ者の気配が、確かに、微かに残っていた。
お読みいただきありがとうございました!
今回は、イグナーツ先生による“囲い込み”と、
ついに夕暮れの中で登場したカトリーヌさん&エレーナさんの回でした。
このふたりが出てくると、何だか空気がやわらぎますね。
でも、ヘルムート本人は……まだ“見つかった”ことに気づいていない様子です。
次回は、メイドのカトリーヌさんが、
エプロン片手にヘルムートを追い回す(予定)です!
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