17.3枚持ったら、みんな黙りました——地元じゃ便利屋でしたけど
突然「感応者」なんて言われても、戸惑うよね。
でも、あなたにもあるでしょう? 得意なこと。逆に、どうしても苦手なこと。
……その“感じている世界”が、誰かにはまったく違って見えている。
そう知ったとき――どちらが“おかしい”のか、わからなくなるんだ。
感応者って、そういう気持ちを抱えて生きてる。
違いを感じて、隠してきた人には“安心”になる。
でも、何の疑いもなく暮らしていた人には……きっと、“揺さぶり”になる。
いま、その感覚が――場を、空気を、少しだけ変えようとしている。
そのとき、ヘルムート・クロイツと管理整備士が笑顔で歩み寄ってきた。
「すまん、作戦会議のところ申し訳ないけど――六分、過ぎてるから。夜間料金を……」
「「「ッ!!!」」」
〈絢爛なる調律〉の三人の顔が、一斉に引きつる。
「冗談だよ……さて」
イタズラっぽく口元を緩めながら、ヘルムートは静かに歩を進めた。
〈絢爛なる調律〉の演目跡がまだ色濃く残る構文盤の上、賑やかなチョークの痕跡を跨ぎながら、彼は先ほどヴィルヘルムが舞っていた軌跡の終点へと向かっていく。
そこで立ち止まり、ゆっくりと腕を上げる。
彼の足元には、複雑に重なったチョーク線の中でも、妙に“静かな”一点だった。
夕暮れの光に照らされるその手に、誰もが無意識に視線を向ける。
「五の鐘が鳴り終わった頃……このあたりで、何か、こう――“弾けた”感じがあった」
そう言って、彼は高く掲げた手をぐっと握る。
「お前らが探してた“何か”のヒントになるか?」
そして、パッと指を弾くように開いた。
指の広がりと同時に、空気が跳ねたような錯覚が広がる。
その動きに、ユリウスの目が大きく見開かれた。
「君にはわかったんだね!……どこ?」
マルグリットも反応し、ユリウスと目を合わせる。
すぐにヘルムートが示した位置に指を合わせ、そこから滑らせるように軌跡を追っていく。
「sh2を経由したはずだけど、中心軸寄りだったような……」
そう呟きながら、指先で記憶の中の構文ラベルを重ねてなぞり、声に出して反復する。
一方、ユリウスはノートを取り出し、びっしりと記された記録を素早くめくって探し始めた。
その間――
ヴィルヘルムは黙ってヘルムートの足元に視線を落とす。
チョークの残滓が視界の端に引っかかる。
彼は静かに片足を引き、わずかに身体を揺らす。あのときの舞踏の軌跡を、無言でなぞるように再現する。
「……sh2、だったか? いや、でもそれって……」
ユリウスの独り言に、マルグリットがぴたりと指を止めた。
「違う。sh2は外周。中軸に近い……なら、c2か、e1……ううん、ちょっと待って」
焦りがその声に滲む。
彼女はこめかみに手を当てながら、指先はまだ迷いの中をなぞっている。
ヘルムートと管理整備士が、困ったような笑みを浮かべて顔を見合わせる。
「終わらんな……」
管理整備士は軽くため息をつき、チョークの跡が最も密集する端の区画へと歩き出した。
「あれを見ると、驚くぞ」
その背を見送りながら、他の整備士たちが思わずにやける。
管理整備士は片膝をつき、訓練場の床面を構成する白亜の石板――構文盤の継ぎ目に楔を打ち込み、わずかな隙間を作る。
一見すると滑らかな石材だが、その表面には魔術構文の投影や転写に最適化された繊層加工が施されており、夕暮れの光を斜めに受けて、ほのかに金色のきらめきをまとっていた。
わずかに傾いたその盤の裏側からは、黒鉄色の支持構造や補強パーツがちらりと覗く。
無骨ながらも幾何学的な連結部や、焼き跡の残る鋼材が構文層を支えるように精緻に組み込まれている。
指先を隙間に滑り込ませると、四メートル四方の構文盤が、石の擦れる低音とともにゆっくりと持ち上がった。
男の両肩が静かに盛り上がり、張り詰めた筋肉が浮かび上がる。
盤面は、熱を帯びた空気とともに、静かに浮き上がった。
「うそっ……何、あれ……!」
マルグリットが思わず声を上げた。
音に気付き、地面が静かに持ち上がるのを見た瞬間だった。
隣で固まっていたヴィルヘルムの肩を、とっさに叩く。
三人は息を呑みながら、あり得ない光景の中心――管理整備士のもとを凝視した。
その場の緊張を、低く太い声がふっと和らげた。
「これだけ書き殴ったら、盤面ごと交換だな。整備課の基準でも、完全にアウトだ」
そう言って、持ち上げた盤面の下にあるチョークまみれの床をつま先で軽く示す。
その眼差しは真剣だが、どこか柔らかさも滲んでいた。
「三番倉庫に一時保管しておく。再整備に回るまで、まあ数日は動かさん。
――記録が欲しいなら、お前らで写しとけ。こっちの仕事じゃないからな」
“個人の善意”ではなく、“作業の都合”という体。
だが、その声に押しつけがましさはなかった。
背中が語っていた――「使いたきゃ、勝手に使え」と。
三人が、はっとして彼を見上げる。
「……すみません!」「本当に助かります!」「ありがとうございますっ!」
声が重なり、三人は一斉に頭を下げた。
彼らの礼を頷いて受けると、管理整備士がヘルムートに声をかける。
「この辺りの盤面を剥がして、運ぶぞ、ヘルムート」
その声がかかるよりも前に、ヘルムートはすでに動いていた。
隣接する盤面の端に、静かに楔を打ち込む。
白亜の石板がわずかに持ち上がった隙間に、指先を滑り込ませて――
まるで“音を立てぬように持ち上げる”ことすら意識されたような手際だった。
ヴィルヘルム、ユリウス、マルグリットは驚きながら、石板に挟まれないよう急いでその場から離れる。
剥がされた石板は、一枚、また一枚と――
ぴたりと重なり合いながら、立ち上がっていく。
三枚の白亜の石板が、ひとまとまりの“塊”として、彼の背後に――しん、と静かにそびえ立つ。
まるで、その場所だけ時間が止まったかのようだった。
「俺は、三枚ですよね」
ヘルムートが肩越しに声をかけると、
「お前なぁ……できるもんなら、やってみろ」
管理整備士が呆れ混じりに返す。その声すらも、静けさを破れなかった。
三枚の石板――その質量が、空気の重さを変えている。
ヘルムートは最前の一枚に手をかけると、間を測るようにゆっくりと押し出す動作を繰り返した。
ぐらり――
石板が、奥から手前、手前から奥へと、わずかに揺れ始める。
その振れ幅は徐々に大きくなり、まるで巨人のあくびのように質量が“うねり”を描いた。
彼は一歩、右下方へと身をずらす。
そして、倒れる軌道に――あえて、自らを滑り込ませた。
三枚の石板が重なり合ったまま、ゆっくりと彼の方へと傾いてくる。
彼は腰を落とし、肩と胸をそっと添える。
腕の筋肉が自然に引き締まる。無駄な動きは、一切なかった。
それは“持ち上げる”のではなく――“流れを導く”所作だった。
傾いたその質量は、本来なら地に衝突して轟音を響かせるはずだった。
だが、石板は途中で動きを止めた。
彼は体幹を反らせながら、片腕でその塊を包むように抱き込んでいた。
……音は、しなかった。
息をひとつ、吐く。
次の瞬間、彼の軸を中心に、塊となった石板が、ゆっくりと滑り出す。
まるで一つの“意志”を持つように、訓練場の端へ、三番倉庫へと、静かに進んでいった。
その光景を、〈絢爛なる調律〉の三人もまた、唖然としながら見つめていた。
「おい、おい……あいつ、本気でやってんのかよ」
ヴィルヘルムが呆けた声を漏らし、マルグリットに視線を投げる。
彼女は手元の護符で魔術的な支援の有無を確かめ、静かに首を振った。
「支援も、攻勢も……何も使ってない。あれは、彼の“動き”だけで成り立ってるんだ」
「祈るしかないね」
ユリウスは苦笑し、ほんのわずかに背筋を伸ばす。
「予選で、あの人と当たりませんように――って」
一方、整備士たちが固唾を呑む中、管理整備士はぽつりと呟いた。
「冗談で言ったんだがな……まさか、本当にやるとは」
最初は、軽口のつもりだった。
だが、目の前の動きは冗談の域を超えていた。
力任せでも、熟練の技でもない。
“流れ”そのものを読み、身体の芯で受け止め、導いている。
ああ、これが“感応者”か。
日々の労務で見せる所作は、確かに器用だった。
だが、それ以上でも以下でもないと思っていた。
書類に書かれた“感応者”という言葉も、実感はなかった。
――けれど今。
肌で理解した。
これは、自分たちとは違う。
経験でも、筋力でも届かない、“何か”を持っている。
そうして初めて納得した。
なぜ、学園がリーガル・パトロナージュの枠を割いてまで彼を引き取ったのか。
その事実が、静かに腹に落ちていった。
傍らにいた整備士のひとりが、小さく喉を鳴らした。
サブタイトルは、
『三枚持ったら、みんな黙る』――でした。
……地元のばっちゃんたちなら、
「ほいこれ、お駄賃」とクッキーをくれるくらいの、日常風景なんですけどね。
学園ではどうやら、そうもいかないようで。
あと……
すみません、エレーナさんとカトリーヌさん!
出番、あと数行でした……。
次回こそは、**明るいメイドさんと笑顔の親友さんが大活躍**する予定です。
夕食の時間も迫ってますからね。
それではまた次回。
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