13.術式構文に全振りしたので、生活が詰んでます
リーガル・パトロナージュはね……
経済的に自立が難しい生徒に、支援を与える制度なの。
教材や構文素材、研究機会を提供して、その代わりに卒業後、一定期間“支援元の組織”で働く義務がある。
仕組みとしては、奨学契約と就職契約が一緒になってる感じかな。
魔術ギルドや構文研究機関、貴族家門がスポンサーになることが多くて……
支援される側は、在学中からかなりの成果を求められるの。
たしかに、学ぶチャンスを広げてくれる制度だと思う。
でも、その分“途中でやめる自由”も、“選び直す余地”も少なくなる。
だから……便利な制度ではあるけれど、
それだけで誰かの未来を決めてしまうのは、少し怖いなって、私は思ってる
西側訓練場は、広々とした石畳と砂地の演習区画が交互に並ぶ、学園最大の実技施設だ。
陽が傾く午後、魔力を帯びた風が式線の残滓をさらい、淡く紫紺の光をきらめかせる。
武闘大会を目前に控えた今、訓練場は連日賑わっていた。
けれど、そろそろ夜間の特別使用時間が近づいている。使用には許可と追加費用が発生するため、
財布と相談しながら練習する生徒たちは、焦り混じりに片付けを始めていた。
そんななか、まだ退く気配のない三人の姿があった。
ユリウス・ロズベルグは、細身で切れ長の目を持つ青年だ。
黒を基調とした演出服の裾を揺らし、演者の動線を見極める舞台監督のような眼差しで、構文配置の誤差に渋い顔をしている。
マルグリット・ルナシェは、艶のある栗色の巻き髪を揺らしながら地面にしゃがみ込み、
スカートの裾を気にも留めず、護符の魔力流路と色彩の濃淡のバランスを真剣に見つめていた。
そして、金髪に青い目を持つヴィルヘルム・ダルクレインは、貴族らしい品と気配を自然にまとっている。
襟元まできっちり留めた制服姿で、誰よりも真面目な顔つきのまま、自身の立ち位置を三歩分測っていた。
「ちょっと! 三歩じゃないって言ったわよね!? 二歩半!」
「……足の長さが違うのは、僕の罪じゃないと思うんだ」
「罪ではないけど、演出を壊すのは重罪よ!」
「はいはい、罰はあとで僕の晩餐に付き合うことで頼むよ」
「どの口が言うのよ、あんた昨日から昼抜いてたくせに」
軽口と小競り合いが飛び交う中、地面には無数のチョークの跡が描かれていた。
細く丸く引かれた円の中央に「+3s」と書かれている。
その隣には、光輪の展開方向とマルグリットが記した調律構文の調整式。
実際の術式構文は一度しか使えない。高価な構文素材を節約するために、発動の流れやタイミングをチョークで“再現”してシミュレートしているのだ。
「三秒後にここに光が出るとして……構文ラインはこの角度。で、次に煙――」
「その煙が濃すぎるって昨日言ったでしょ? あの演出は“優美さ”で魅せるの。むせさせてどうするのよ」
「僕の美しさが霞むことだけは許せないからね。調整は任せるよ」
「もういっそ、煙の中で寝てなさい」
マルグリットがため息をつきつつ、描き直す指先は真剣そのものだった。
護符の構文値、発動エネルギー、位置精度――すべてが限界ぎりぎり。
ユリウスが、ポケットからもう一本のチョークを取り出しながらぽつりと言う。
「発動自体は一回で十分。……高価な構文を何度も使うほど裕福じゃないんでね」
「……僕、いちおう貴族なんだけどな」
「その“いちおう”が泣けるのよ」
「うるさい、貴族だからって、構文が湧いてくるわけじゃないんだ」
その会話を背に、チョークの白が、またひとつ新しい曲線を描き始めていた。
そこへ、奥の資材庫の影から一声が飛ぶ。
「そろそろ“夜間使用”に切り替わる時間だぞー。……計算してるなら、止めないけどな」
肩の力が抜けた声。だが、その言葉が何を意味するかを三人は理解していた。
「……っ、やばっ」
ユリウスが思わず声を上げる。
「時間ギリギリすぎるって! 最後のラインまだ書ききってない!」
「あと二式だけ! 左側の発動位相だけ、ちょっとだけズレてて……!」
「丸を描くな、急いで数字で!」
三人が構文図の上でてんやわんやしている間に、チョークと紙束が飛び交い始める。
その様子を、通路脇から見下ろしていた、短髪で浅く日焼けした青年が、小さく笑った。
灰色の整備服に袖を通し、腰に吊るした工具袋が、歩みに合わせてかすかに揺れる。
ヘルムート・クロイツは、管理整備士に向かって、静かに片手を上げた。
「こっちは、もうちょっと後で回します。あの三人、全力で追い込まれてるみたいなんで」
そう言いながら整備区画へ向かうと、待機していた管理整備士が周囲に目を走らせ、全体に声を張った。
「接地側、補強板三番。冷却陣の縁、歪み二か所確認済み。配置班は段取り通りで動け」
そのあとでヘルムートに視線を向け、やや抑えた声で続ける。
「クロイツ、六寸レンチ。板材持ち上げ時の支え、入ってくれ」
管理整備士の声が飛ぶと、ヘルムートはすぐさま応じた。
「了解。順番にいく。……補強板、支えててください」
腰を落としながら、一呼吸で工具を選び取る。金属の音が、手元で軽やかに跳ねた。
整備士が片手をかざすと、そこへ迷いなくパーツが滑り込む。返されるのは、次に使う修繕器具。
無駄のない手順は、まるで舞台裏のダンスだった。
接地面のゆがみに木製の足場をかませ、歪みを補正。
剥がれかけた魔導板を慎重に剥ぎ、下地をならすと、新しい導力層の固定具を一気に打ち込んでいく。
力任せではなく、“力の流れ”を見ているような手際だ。
「次、端の排熱溝。冷却陣の歪み、二か所」
「見えてます。……ああ、これ、圧かかりすぎですね。内側から膨張してるように見えます」
ヘルムートが接合部を確認しながら、手を止めずに言った。
「切って貼るか?」
整備士の問いに、ヘルムートは一瞬だけ考える素振りを見せた。
「もし内周を一段削って、緩衝材で抑え込めば……負荷、流せそうです。どうでしょう?」
整備士は目を細めて確認し、軽く頷いた。
「いい判断だ。やれ」
「了解。……パテ、細い方ください」
整備士がパテを投げる。ヘルムートはそれを片手で受け、もう片方の手で溝の汚れを素早く拭う。
まるで図面が頭に入っているかのような精度で、作業は進んでいく。
向こうで「数字がずれた!」「線が足りない!」と騒ぐ声が聞こえたが、彼は気にしない。
ヘルムートの視線は、常に“崩れかけた箇所”に向いていた。
それは魔力の流れを読むというより、“そこに歪みがあるのが見えている”かのような精確さだった。
整備士が、ひとつ息をつきながら肩を並べた。
「……ずいぶん仕上がってきたな。
……こういうの、嫌にならねぇのか?」
「そう思えるほど、まだ楽してないんで。
こっちは、やるだけやって“並”でしょ」
ヘルムートが締め具を一段強めたとき、隣の整備士が小さく顎で前を示した。
「手、止めるなよ。……先生が来てる」
声は低く抑えられていた。
不用意な注目を避ける。それが、彼らなりの“守り方”だった。
訓練場の石段に、重たい足音がひとつ。
片袖を失った濃紺の教師外套。肩口は綺麗に縫い留められ、片手には指導用の木製杖。
イグナーツ講師。かつて王国騎士団の副指揮官だった男――戦で片腕を失い、今は学院で若い才能を見守る立場にある。
「まだやってたか。……クロイツ、後ろ姿はもう十分様になってきたな」
声をかけられたヘルムートは、振り返らずに軽く顎を引いた。
「そう言ってもらえると……整備士として就職できそうですね」
「いや、心配いらん。……君みたいな“叩き上げ”は、今の貴族社会にはむしろ新鮮らしい。
もっとも、“扱いやすい”と思われてる可能性もあるがな」
イグナーツは、どこか苦味を含んだ目を向けた。
「決闘でパトロナージュを失った、と聞いた時……正直、惜しいと思った。
だが、制度の枠から外れた君が、こうして残ってる。……学園としては、君を見過ごせない立場になった」
ヘルムートは、道具箱の留め具を締めながら口元を歪めた。
「ありがたい話です。……でもまあ、あの制度、便利な分だけ“冷たい”ですからね。
価値があるうちは飼われて、違えば切られる。……割り切らないと、やってられませんよ」
イグナーツはその言葉に何も返さなかった。
ただ、じっと見つめたまま、訓練場の奥に目を移す。
「……リーガル・パトロナージュは“後ろ盾”であると同時に、“楔”でもある。
力を持った者を囲い込み、才ある者の行き先を決める。
だが――その楔を自分で折った時、どうするか。……それが見ものなんだよ、クロイツ」
ヘルムートは、ようやく振り返って小さく笑った。
「折れた楔で殴り返すような奴が、いたら……面白いですか?」
イグナーツは目を細め、肩をすくめる。
「講師室の酒の肴にはなるな。俺の杯が一番進む」
ヘルムートはふっと鼻を鳴らし、工具を片づけながら肩を揺らす。
「それ、肴にされた方が知ったら泣きますよ」
二人の間に、ささやかな笑いがこぼれた。
その直後、訓練場の奥から――
「ちょっと待って、それ一歩ズレてるってば!」
「いや、それは君のチョークの引き方が悪い」
「だまれナルシスト!」
賑やかな声が、夕方の空気を突き抜けるように響いた。
イグナーツは笑みを残したまま、訓練場の隅で構文の調整に追われる三人をちらりと見やって、ぽつりと呟いた。
「……夜間使用の申請、彼らからは出ていない。時間もそろそろ切り上げの頃合いだ」
そして、ごく自然な調子で言葉を続ける。
「クロイツ。悪いが、“微収”の方――頼めるか?」
あくまで、“指導”でも“注意”でもなく、“微収”という言い回し。
事務的な処理に見せかけたその言葉に、ヘルムートはわずかに眉を上げたが――すぐ、苦笑混じりに片手を上げる。
「……了解。催促屋の肩書きも、そろそろ履歴書に足しておきます」
言葉とは裏腹に、その足取りには迷いがなかった。
夕陽に染まりかけた訓練場の空気のなかで、ヘルムートは静かに歩を進めた。
いつも通りの顔で。けれど――その視線の奥では、すでに構文の流れが読み取られ始めていた。