プロローグ
これは、運命に抗う少女の、戦いの始まり。
——私は、何もしていない。
なのに、なぜこんなことになった?
王国騎士団の重厚な鎧が、月光を反射しながら鈍く光る。
手足を縛る枷が食い込み、肌が痛む。
私は確かに、「上級貴族殺害未遂」の罪で捕らえられたはずだった。
そのすぐ隣には、同じように縄で縛られ、膝をつくカトリーヌがいた。
薄汚れたメイド服。
泥と血にまみれた頬。
騎士団に引きずられながら、それでも私のそばにいる。
——そして、その場にヴァルト・フォン・エーベルヴァインが現れた。
黒い騎士団長のマントを翻しながら、漆黒の甲冑に刻まれた無数の傷跡が月光を受け、歴戦の騎士としての重厚な威厳を放っていた。
「ヴァルト‥‥おじ様?」
私は息を呑んだ。
彼の後ろには、王国騎士団とは異なる紋章をつけた騎士たちがいた。
青銀の盾に、大地に根を張る大樹の紋章——父の自治領の象徴。
私は、その紋章を知っている。
「この国の民が、大地に根を張り、強く生きていけるように。」
そう語っていた父の姿が脳裏をよぎる。
彼らは、かつて私を守ってくれた人たちだった。
城を出るたびに護衛としてついてきてくれた。
私が幼かった頃は、剣の稽古をつけてくれたり、馬に乗せてくれたり。
——なら、助けてくれる?
一瞬だけ、心の奥に期待が生まれる。
でも。
彼らは何も言わず、静かに動き始めた。
私を見ようともしないまま。
魔法陣を刻み、拘束具を運び、結界を展開していく。
淡々と、ただ粛々と——。
(……え?)
私は、まだ状況が理解できない。
今、私に何をしようとしているの?
違う。
そんなはずがない。
「アリシア・フォン・ルーン。貴様は国家反逆罪により、即時処刑が決定された。」
「……え?」
今、何て言った?
国家反逆罪? 即時処刑?
私の罪は「上級貴族殺害未遂」だったはず。
学園での事件の責任を押し付けられたのは理不尽だけど、それでも「裁判を受ける」くらいはあると思っていた。
なのに——いきなり、処刑?
背筋に冷たいものが走る。
足元の地面に刻まれた魔法陣が、青白い光を帯び始める。
皮膚が刺されるような魔力の流れ。
喉の奥が乾き、体の奥で魔力が滞留し、封じ込められていく感覚——。
(……魔法障壁?)
処刑場が、作られている。
王国騎士団の何人かが、戸惑ったように顔を見合わせた。
「待て! そんな処分は正式に決まっていないはずだ!」
「王国法に則れば、まず王城へ連行し、裁判を経てから処刑されるべきではないのか?」
しかし——ヴァルトは一歩も引かなかった。
「処刑執行の前に、一つだけ言っておこう。」
彼の声が、夜の静寂に響く。
「これは王の命令ではない。王国の法律に則った裁きだ。」
自治領の騎士たちは迷いなく手を動かし続ける。
——まるで、最初から決まっていたことのように。
「……王都へ連行せず、この場で処刑を執行するというのか?」
「法に則っているならば、正式な手続きを踏むべきでは?」
ヴァルトは冷たく言い放った。
「法が、ここにある。」
騎士団が静まり返る。
「貴様は、王国騎士として法律に異を唱えるのか?」
「……ッ!」
騎士たちは言葉を詰まらせる。
「処刑は、王国の法に則り、粛々と執行される。それ以上の議論は不要だ。」
ヴァルトの言葉は、もはや揺るぎない判決そのものだった。
私は硬直したまま、ただ彼を見上げた。
——ヴァルトおじ様が、私を殺す?
違う。
だって、彼は——。
幼い頃から、私に暖かな笑みを向けてくれた人。
「お前は本当に甘えん坊だな」
そう言いながら、大きな手で私の頭をぐしゃぐしゃに撫でてくれた、優しいおじ様だった。
そんな人が、今。
無表情で、冷たく、まるで私を他人のように見ている。
「お嬢様……私は、いつまでも一緒ですよ」
カトリーヌの小さな声が、処刑場の静寂に溶ける。
——助けて、なんて言えない。
誰も、私を助けてはくれない。
その疑念が浮かんだ直後—— ヴァルトの剣が、鈍く低い音を立てて動いた。
一瞬だけ、ヴァルトの表情が揺らいだ。
ほんのわずかに、ほんの刹那だけ。
何かを噛み締めるように、口元がわずかに強張った。
(……今の、何?)
だけど、その変化はあまりに一瞬で、私の錯覚かもしれないと思った。
次に見えたヴァルトの顔は、何も映さない冷たい処刑人の顔だった。
「……さあ、覚悟しろ。」
そう告げる彼の声は、機械のように無機質で。
その手が振るう刃は、ためらいなく私に向かって落ちてきた——。
カトリーヌの声が、最後に聞こえた
閃光が走る。鋼が空を裂く。視界が、白く染まった——。
そして、世界が、狂った。
「お嬢様ー‼︎」
長編の予感を感じさせるプロローグになりました。
今回は、更新頻度やエピソードの長さを気にせず、思うままに物語を進めていこうと思います。
日々の生活と両立しながら、ラストまで辿り着けたら……
その時は、自分へのご褒美でも考えようかなと。
どうぞ気長にお付き合いいただければ嬉しいです!