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ハマーンとあやか

作者: ああああ

一 秋の絶えて冬の始めの頃である。濱田は空っ風に身を凍えさせながら、往来に物 乞いをしていた。数えて四日、彼は何も口にしていなかった。

「お金を恵んでください。食べ物を恵んでください」 細い声でかろうじてこう叫んだ。往来の人間たちはしかし聞く耳を持たないの か、彼を睥睨しては擦過していくばかりである。

夜が深まさり、物乞いをする相手も居なくなった。いよいよ寒さのために声も出 なくなる。濱田は垢に汚れたセエターに首を埋め、涙に腫れた目を腕で擦りなが ら、地に汚れるのも厭わずに力なく横たわった。 『誰も俺の生を求めない。誰も俺の死に関心がない。あまつさえ家族も。俺の居場 所は、苔の乾いた薄汚い大地の上だけになってしまったんだ。しかしこの大地だっ て、俺のものではない。というより、誰のものでもないんだ。だとしたら、やっぱ り俺の居場所なんてどこにもないじゃあないか! ......しかし俺の生活をこうまで 狂わせたのは何だったろう!』


濱田はこう考えるに至って、ふと、過去の自分自身に起こった恋愛の一悲劇を回 想した。

̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶ ̶ ̶それは、まだ彼に暖かな家と、将来を約束したガールフレンド̶綾香とがあっ た数年前のクリスマスのことであった。

その日、濱田と綾香とは神戸三ノ宮で待ち合わせをし、カップルらしくクリスマ スデートを楽しんでいた。デートは朝方、ドライブで淡路島に行き、壮麗な景色を 見ることから始まった。無論のこと、濱田が車道側を歩いた。昼食の頃にもなる と、濱田はサプライズに予約していた和食料亭の暖簾を彼女に潜らせた。この際に も、濱田はトリュフのトリビアを語ることを忘れない。昼食後はまた淡路をしばら く観光し、陽が暮れて後は淡路島を退け神戸に戻り、神戸の一等地のレストランの 一室で、窓外のイルミネーションを、彼女の肩に自らの腕をまわしながら眺めた。 そのかえるさ、濱田はしとやかに紳士の微笑をしながら綾香に聞いた。 「綾香、今日のクリスマスデート楽しかった?」

綾香はその白い歯を惜しげもなく見せて笑いながら、「うん」 ただそうとだけ言った。

彼女は濱田からもらったヘアアイロンの入っている ショッパーを、満足げに手に握って歩いている。濱田は、今日のデートプランの成 功を、寒さを忘れるほどの悦びをもって確信した。そうして、彼女との関係の永遠 性をも確信した。......

̶しかしながら、この幸福な一日から三日も経たぬうちに、悲劇は起こったので ある。

起きがけ、何とはなしにスマホを見ると、ついぞ見たことのない綾香からの長文 の通知が光っている。濱田はまだ夢見心地で、「この前のクリスマスの礼かなあ」 などとぼんやり考えていた。が、字面を追っていくうちにその考えが誤りであった こと、事態の思ったより逼迫していることにすぐに気づいた。 綾香から送られてきた長文メッセージとは、以下の通りである。


「これまで、いつか改心してくれるだろう、変わってくれるだろうとの期待を胸に 抱いてあなたと交際を続けてきましたが、もう限界です。どうか別れてください。

この前のクリスマス、あなたは思い通りにことが運んだと軽信して、すこぶるご 満悦の様子で私に微笑みかけていたかのように思いますが、私の心はあの日をもっ て決定的に離れていたのです。この際ですから、一つ一つ丁寧にあなたの至らな かった点を私が説明してあげようと思います(勘違いなさらないでください。何も 私は最後だからあなたをいじめてやろうと思ったわけではないのです。あなたの未 来を想うからこそ、半年間あなたの側で見てきた感想をありのままにあなたに教え かけようと思うのです)。

まず一つに、あなたの生来的だらしなさが挙げられます。電気屋エアコンのつ けっぱなし、蛇口の捻りっぱなしなど、インフラについてのだらしなさに加え、遅 刻癖、言い訳をする癖、虚言をもっともらしく言う習慣。これらは別れの一番の決 め手と言っていいくらいです。私にとり、目に余るほどでした。

次に、あなたの生来的ペダンティズムが挙げられます。ペダンティズムというの は、インテリをひけらかすために、物事をいやに難しく表現しようとする性格のこ とです。内罰的、根本的、有象無象、経験則上......。あたかも知識人のように得意 ぶってぺちゃくちゃら話し続けるあなたが、これまで滑稽に思われてなりませんでした。教養のない女の私としては、飾った言葉なんかつゆも欲しくなく、ただ『愛 している』の一言だけで満足だったのですよ?

最後は、その押し付けがましい紳士的な態度についてです。俺はできる男だぞと 言わんばかりに、じっとり汚らしい笑いを浮かべて、車道側を歩くだの、店員に水 をもって来させるだの、夜の床での長ったらしい愛撫を受けるたびに、うそ寒い気 持ちでした。女は、そんな上っ面の造り者の優しさなんかよりも、心根から出たさ りげない気遣いのほうが嬉しいものなのですよ? とにかく、じっとり汚らしい笑 いを浮かべるのを止すことから心がけるとよろしいかと思います。 最後に、いくらあなたを思ってのこととは言え、こうまで手ひどく言ってしまっ たこと、お詫びさせてください。こうまで言ってこそいますが、半年間の、楽し かった思い出のどこにも嘘はないのです。家に置いていったパジャマ、建て替えて もらった1万円は、後日郵送にて送らせていただきます。住所は既に控えてあります ので、返信はしてこないでください。ありがとう。さようなら」

̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶̶

̶


̶濱田はこうまで思い巡らしたに至って、自分が、この悲劇的な手紙に発狂した から、路上での生活を始めたことを思い出した。『そうだ、俺は女のために人生を 棒に振ったのだった。人一人のために己を犠牲にできるなんて、思えば贅沢なこと じゃなかったか? そうさ、俺は今こうして地面に這いつくばって、虫螻のように 転がり続けていても、それはあくまで俺が自己を犠牲にした因果に過ぎぬこと、ま だ誰にも負けたためしはないんだ。まだ、俺には生きる資格があるじゃあない か!』

その目許は自然とさしぐまれた。 スケボーに乗った青年の一行が自分の方をにたにた笑いながら眺めていた。涙を ごまかすように、濱田は寝返りをうった。空に張り付いた三日月は相変わらずの微 笑で彼の頬を照らしていた。 濱田はよろめきつつも立ち上がった。そうして自分に背を向けて立ち去ろうとす る青年らに向かって、 「俺は、お前らなんかよりよっぽど崇高な人間なんだぞ!」 と、能う限り喉に力を込めて叫んだ。振り返った青年らは鬼のような形相をして いる。彼らが地面から何かを拾い上げ、濱田の方へそれを投げた。 それは、拳ほどの大きさもある岩であった。...... がこんという高らかな音が鳴った。濱田はわけもなく力なく仰けに倒れ込んだ。 もう一度、今度のもっと大きな響きで鳴った。刹那、彼は類まれな幸福感に空腹を 忘れた。

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