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扉の向こうに彼女はいる  作者: 円坂 成巳
三章 逢魔
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2 夕闇

 三〇二号室については、引っ越して行った吉田さんの話も聞きたかった。叔父が吉田さんに連絡してくれたところ、吉田さんがすぐに話をしたいと言ってくれた。

 吉田さんには、わたしが電話をかけなおし、彼女が部屋を出ていく前の状況を聞いてみる。


「おかしいなあと思ったのは入居してすぐだよ。隣のおばあちゃん、トネさんが何回も訪問してくるの。ご飯食べてるかとか、彼氏はいるのかとか。ちょっと異常。私のことを娘かなにかと思い込んでいる感じ。私の名前、ともだけど、トネさんがあさみって名前で読んできて、気持ち悪いなあって思って。見学の時は気にならなかったんだけど、三日目だったかなあ。出たんだよね。台所に女が立っていて、こっちを見てきょとんとした顔で、また台所に向き直ったの。こっちが悲鳴上げる前に消えちゃった。別に霊感とかそういうのって全然ないと思ってたんだけどね。いやあ出るときは出るんだねえ。それから、視界の隅に女の残像みたいなものがちらつくんだよね。たぶん、あの部屋で生活してるんだよ。それが、あさみさんなのかはわからないけど。その存在に気がついたらさ、もう部屋にはいられなくて。でも、決定的だったのは、夜中、台所前を玄関に向かって女が這ってる姿を見たやつ。一瞬、血まみれに見えて、すぐに消えたけど。それですぐに部屋出ることにしたんだ。トネさんには何も言わずにね」

 

 正直、思った以上にトネさんが執着してきていたのだと知り、また少しトネさんのイメージが変わる。やさしいおばあちゃんではあるが、亜沙美さんの死によるストレスは相当なものだったのだろう。

 これらの話を共有して、叔父宅の居間での作戦会議を終えた。

 小野瀬さんは、尚くんがいるので、もう帰らないといけない。

 あとは、これから、わたしがどう過ごすかだ。外で泊まるということも考えたが、少なくとも今日は我慢して部屋に戻り様子を見ることにする。「好奇心猫を殺す」というが、効果を検証するには泊まるしかないんだよなあ、という思いがあった。それに、これまでの住人が怖い思いはしても、実害がなかったという事実もある。

 小野瀬さんは部屋にも魔除けを施してくれたのだが、それでも不安だ。しかしトネさんの部屋での祈祷、三〇二号室を封じる御札、わたしの部屋に施した魔除け、これらにより、当面は問題ないだろうというのが小野瀬さんの見解だから、それを信じることにする。

 そして、何かあったら、すぐに小野瀬さんに連絡する。

 今後は、小野瀬さんの弟子の篠山さんという方が、予定が空き次第、改めて三〇二号室をお祓いしてくれるというので、それを待つ。もちろんお祓い代金は叔父持ちである。

 そこまでして一通りの対処が完了となるが、以前のお祓いでも被害は再発しているという話なので、解決されるかは確実ではない。

 それでも頭が整理されて当面の方針が出たことで、だいぶ気は楽になった。

 尚くんを夕飯の時間までに家に連れて帰らないといけないからと、小野瀬さんは帰る支度を始める。

 アパートの前で、わたしと叔父は二人を見送る。


「お姉ちゃん気をつけて」


 尚くんの視線はわたしの背中に向いているように見えた。ぞくりとする。

 大人しくかわいらしい少年だが、少年らしい快活さや明るさをあまり見せない尚くん。彼が見ているものについて考えると、今わたしの目に見えているこの世界が崩れそうで不安になる。

 尚くんの個人的なことは何も聞いていないし、聞くべきではないと思うのだが、しかし、平然と霊を見たと話すこの少年は、どうしてここに連れてこられたのか、なぜ来なければならないのか、どうしても疑問で不安だ。


「尚くんは、お孫さんなんですよね。ご両親はこういう場所に連れてくることはご存知なんですか」


「気になりますか。こやつの母に、私の娘だが、頼まれたんでな。このままじゃまともに生きていけないかもしれないから、なんとか助けてくれってな。見えないようにすることは難しいから、私の生きている間にできる限り怪異との付き合い方や対処の仕方を学ばせてやりたい。だから氷川さんには悪いが今回の依頼も尚に見せて伝えることを優先させてもらっている部分もある」


「すごく、すごく差し出がましいとはわかってるんですけれど、ごめんなさい。尚くん、お医者さんに診てもらっているんですか」


「病院へはこやつの母親が連れていっておるが、幸いにして今のところ脳の異常は見つかっておらん。幻覚は父親を失くしたストレスによる精神的なものではないかと主治医は言っている」


「あ、ごめんなさい」


「なあに、気を悪くしたりはせんよ。この子を心配してくれているのでしょう。そして、一方で、医者でなく私のような者が対処しようとしていることに不安を感じておる。それは当然のことだから気にする必要はない」


「すいません、わたし、余計なこと」


「はは、大丈夫。むしろありがたいです」


 他人の事情に首を突っ込むようなことを言ってしまった自覚はある。すこし不安定になってるのかもしれない。

 小野瀬さんは、尚くんの手を引いて、近くのバス停に向かって歩いていった。


 それを見送っているときのこと。


「祥子ちゃん」


 後ろから声をかけられびくっとした。米村さんだった。夕方の薄闇に黒っぽい服装が、溶け込んでいる。


「もしかして、大家さんとこに来てたのってお祓いの人?」


「あ、はい、そうです。叔父が呼んでくれたので」


「そっか。俺も会いたかったなあ。信頼できる感じかい。怪しい奴らはいくらでもいるからねえ」


「よさそうな人だと思います」


「そうかい。そういや、盛り塩どうだった」


「それが、実は」


 昨晩と、さらに前の晩のことをざっと説明する。ちょうどよい機会だ。聞きたいことを聞いてしまわないと。


「やっぱりね」と、米村さんは当たり前のように呟く。


「それで、叔父に相談したら拝み屋さんが来て、さっきいろいろと話をしてたんです」


「なるほど。でも、その拝み屋さん頼りになんのかな。結局、何も解決してないってことでしょ。そのコシロサマなんて、あからさまに怪しいじゃん。そのままにしといていいのかね。おれなら寺にでも持って行くけどね」


「わたしは、あの人けっこう信じられるかなって思ってます」


「へえ、まあ祥子ちゃんがそういうならいいんだけどさあ。でも、理屈こねて、お金だけ取るってこともあるから警戒しないといけないよ」


「そうですね」


 それから米村さんに前の事件のことをもう少し聞いてみるが、目新しい情報はない。はじめに事件のことを教えてくれたのは米村さんであったが、船戸亜沙実さんのことやトネさんとの関係のことも知っていたそうだ。これ以上、何を聞いたらいいのだろうか。


「昨日の夜って、なにか聞こえたりしました」


「うん。今日も来てるなあって思ったよ。ノックの音とか聞こえるんだよね。ほかの住人には聞こえたかわからないけども。それで今日も自分の部屋に泊まるわけ?」


「ちょっとどうしようかなって。一応そのつもりではいるんですけど」


「前に住んでいた佐藤だけどさ。結局、部屋の中にいる分には実害はなかったんだよ。そう考えると、気をつけてれば大丈夫なのかもしれないね。心配だけど」


「だといいんですけど」


「いつでもさ、言ってよね。おれ、すぐ下の階だし。やばいなと思ったら呼んでくれてもいいから。あ、ライン交換しようよ。いざというとき連絡してもらえれば」


「あ、いまスマホ持ってなくて」


「そっか、じゃあ、また今度ね。とにかく気をつけなよ」


 嘘である。スマホは持っていた。わたしが交換したくなかっただけ。見た目もわるくないけど、信用ならない人だ。この人、心霊現象を楽しんでいるし、何ならわたしが困っている状況を楽しんでいることを隠してないのだから。

 アパートが同じなので、しかたなくいっしょに建物に入ると、米村さんは、「じゃ」と手を振って自分の部屋に去っていった。

 わたしも覚悟を決め、自分の部屋に戻るのだった。

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