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05:第ニ場_トワーズ伯爵邸 策に落ちる

 トワーズ伯爵はゲルトルートと同じあかがね色の髪の毛で細身の人物だったが、屋外をよく歩くために日に焼け、頑丈そうな体つきをしていた。顔立ちは理知的で、本来の年齢よりも若く見える。ゲルトルートに言わせると、いつまでも少年のような精神が、顔に現れているからに違ない。

 ゲルトルートが戻って来た時、居間のソファに座り、バルトンにアイロンをかけさせた新聞を読んでいた。その傍らには、一か月分の新聞が積んであった。トワーズ伯爵家は手元不如意なので、毎日、新聞を買うことが出来ない上に、伯爵自身がいつ帰って来るかも分からないので、バルトンが必要な時に街に出て、古新聞を探してくるのだ。

 「それじゃあ“新”聞じゃないわよね」と、ゲルトルートがからかうと、父親は「異国の記事なんて、ここに載るまで、はるか彼方、海の向こうから何日も、何週間もかけて届くんだぞ。その時点ですでにもう“新”聞じゃないのさ」と言い返した。「情報は鮮度が命だ。もっと早く伝える方法があれば、大儲けできるぞ」


 さて、居間にはトワーズ伯爵の他に、もう一人の人物が所在なさげに座っていた。 

 従兄のスウェン。つまりはパメラの兄だ。

 彼は華やかな義兄と妹に挟まれ、やや地味目な見た目をしていたが、今日は華美な服装をしていた。ゲルトルートは記憶の奥底から、その上着の生地が、かつてパメラのドレスだったことを引っ張り出した。

 ちなみに、娘が一人しかいないトワーズ伯爵になにかあった場合、彼が次期伯爵となることがほぼ決まっている。

 

 待ちくたびれたようだったが、ゲルトルートの姿を見ると、勢いよく駆け寄って、まくしたてた。


「ゲルトルート! 大丈夫かい!? パメラがあんな恥知らぬ真似をするなんて! 

知っていたら、どんなことをしても止めたのに。

どれだけ驚き、傷ついたことだろう!

心配になって駆け付けたら君はいないし……何かあったんじゃないかと心配で。

どこに行っていたんだい?

その……上着は?」


 スウェンは目ざとくゲルトルートが手に持っている“男物”の衣類に目を留めた。


「これは……父に! どうかしらと思って、古着屋で見繕ってきたの」


 咄嗟に言い訳をする。

 トワーズ伯爵は新聞から目を上げた。


「元の持ち主は、随分と大柄な人間だったんだろうね」


「でも、上等な生地だったのよ。お父さまに合うように仕立て直せばいいでしょう。生地が余れば、何か小物も作れるかもしれないし。お買い得だわ」


 トワーズ伯爵の経済的な事情から、その令嬢が古着を求めるのは納得できなくもない話だが、問題は、その娘が婚約破棄されたばかりということだろう。

 怪訝な顔のままのスウェンに向けて、「ちょっと高かったんだけど、ほら、買い物って、いい気分転換になるのよ」と付け加えた。


「確かに、パメラの機嫌が悪い時は、父はよくいろいろな物を買い与えていた。そうすると……あ、いや、パメラの話はよした方がいいね。

とにかく父はパメラに甘かったけど、もういない。兄は今回のことを許さないだろうよ。仮にも男爵家の娘が商人なんかに嫁ぐことになるなんて、恥ずべきことだよ……あ、君のことを言っている訳じゃないよ。

ある意味、君はパメラに救われたね。

あ、いや……その……まぁ、そういうことだ」


 スウェンの言葉に引っかかりは感じたものの、彼の興味が上着から逸れたことにゲルトルートは胸をなでおろした。勿論、フリードリヒの上着はきちんと返すつもりだ。

 その為にも、彼にはもう一度、会う必要がある。もう一度だけよ、とゲルトルートは自分に言い聞かせる。


「ねぇ、トゥルーデ」


「はい?」


 いきなり従兄に愛称で呼ばれ、ゲルトルートは訝しく思った。そうこうしている間に、スウェンは跪くと「私と結婚しよう!」と求婚してきたではないか。


「私とあなたが? なぜ?」


 想像もしたことのない話に、ゲルトルートの口から驚きの言葉が出る。

 小さい頃、スウェンは年上のお兄さんで、幼いゲルトルートに基本的には興味を持たず、視界に入れば、その年頃らしい傲慢さで彼女をからかっていた。その内、寄宿学校に入学し、休みの日に実家には戻っていたようだが、叔父の家に挨拶にくるようなこともなかったので、すっかり疎遠になっていた。

 それがつい一昨年あたりのことだったろうか、何かの用事のついでにパメラを迎えにトワーズ伯爵邸に顔を出したのがきっかけとなり、それからは頻繁に顔を出すようになる。そう言えば、イーサンの訪れも、同時期だった。

 それはともかく、つまりそれが「私はずっと君のことが好きだったんだ」と言うことになるのだろうか。


「でも、私は男爵家の次男坊で、まだこの身に定まった職もなく、君にふさわしい男ではなかった」


 「自信がなかったんだ」と訴えるスウェンに、ゲルトルートは妙に冴えた頭で考えた。

 今も状況は変わっていない。なぜ突然、求婚する自信を得たと言うのだろうか。


「だから君がマッジ氏の息子と結婚すると決まった時、いさぎよく身を引こうと決心したんだ。

それなのに、あいつ、君よりもパメラを選ぶなんて!」


 それからスウェンはゲルトルートを悲劇の主人公のように憐み、滔々と、婚約破棄された娘は今後の縁談にも差しさわりがあるに違いないと語り出した。


「つまりもうまともな縁談は望めないから、自分で我慢しろ、とおっしゃっている訳ですか?」


 ゲルトルートがスウェンの話を遮った。もうたくさんだ。つまりゲルトルートが惨めな立場になったおかげで、スウェンの自信が相対的に上がったという訳だ。


「あ、いや、その……違う。私はそんなつもりで言ったんじゃない。

愛している君に、その不幸になって欲しくないんだ。

なぜ分かってくれないんだ」


 スウェンの顔に驚きと苛立ちが過る。


「叔父さん、叔父さんも何か言って下さい。

叔父さんだって、私とゲルトルートが結婚した方がいいとお思いでしょう?

そうすれば、私がいずれトワーズ伯爵位とこの屋敷を継ぐ訳ですから、ゲルトルートはずっとここに住めるんですよ。

前からずっとそう申し出ていたのに、平民の商人に嫁に出そうなんて、どうかしていますよ」


 甥の訴えに、トワーズ伯爵は考え込むふりをした。「どうしたものかなぁ」

 ゲルトルートは憤った。こんなやりとり無益な上に不快だ。


「私はイーサンと結婚することが決まっているのよ」


 聞きかじったばかりの、婚約破棄が出来ない理由を説明する。


「そんな! 君は私と結婚するんだ!」

 

 スウェンは悲鳴を上げた。「イーサンは君に隠れてパメラと宜しくやっていたんだぞ。君が気づかないことを、二人で笑っていたんだ」


 ゲルトルートが疑惑の目でトワーズ伯爵を見ると、父も娘を見て、にやりと笑い返す。

 知っていたのだ。

 娘の批判がましい視線に、父親は再び新聞に目を落とした。


「私のことを笑っていた……?」


「そうだよ。私はパメラから聞いた。イーサンと二人で君を笑いものにしたって。

あぁ、私のトゥルーデ、可哀想に」


「ねぇ、お父さま。スウェン兄さまはいつ、こちらに来たのかしら」


 「そうだなぁ」と新聞を畳みながら、トワーズ伯爵は答えた。「ゲルトルートが出て行ってすぐだな」


「すぐ?」


「何の話だよ!」


「スウェン兄さまは、パメラがしていたことを知っていたのね」


 それどころか、婚約破棄をされる日、さらに言えば、時間まで正確に知っていた。パメラに教わったのだ。

 だからゲルトルートが傷心なところを狙って、すぐにやって来た。

 生憎、ゲルトルートは屋敷を飛び出しており、ここでトワーズ伯爵とずっと帰りを待っていたせいで、すっかり気が緩んでしまい、挙句、彼女からの色よい返事がなかったせいで、口が滑ってしまったようだ。


「イーサンが悪いんだ。後から来たくせに、金の力で私からトゥルーデを横取りしようとなんかするから。

だから私がパメラを唆して、イーサンを誘惑させたんだ」


 「そうだよ! 私が計画したんだ!」スウェンは開き直ったように白状した。「密会の場所を提供していたのも私さ。その為に、あのいけ好かないイーサンと友人のフリをする羽目になったんだぞ! それもこれも、君のためだ!」まるで自分の賢さと、ゲルトルートへの愛を誇るようでもあった。


 そこに、バルトンが来客を告げた。


「ご主人さま、マッジ氏が――」


「お前のせいかーー!!」


 話を聞いていたマッジ氏が部屋に飛び込んできて、スウェンに掴みかかった。

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