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39:フィナーレB

 ディモント公爵フリードリヒ・ゲオルグ・ミラースは上京したその足で、まっすぐトワーズ伯爵邸を訪ねた。

 アレマ夫人がルルー嬢を連れて颯爽と座を占めた。


「お久しぶりです。ゲルトルートさん……」


「お、お久しぶりです」


 こんなに長い冬ははじめてだった。アデイラとウィルが遊びに来るようになってからは、時は少し歩みを進めた。それでもやはり長すぎる冬だった。

 フリードリヒは埃っぽかったが、不快には思わない。「汚い格好のままで申し訳ありません」本人も認めた。


「一刻も早くあなたに会いたくて、急いできました」


 そう言われれば、もう許すしかない。


「あの、アデイラさんとはお会いに?」


「妹ですか? いいえ」


「まぁ! いけませんわ。妹さんより先に――えぇ、先に!?」


 ゲルトルートは立ち上がった。フリードリヒもそれに倣った。


「そうです! 妹は大事です。ですが、あなたの方がもっとずっと大事です!

私と、結婚して下さい!」


 「あ!」と小さく言ってから、フリードリヒはゲルトルートの前に跪いた。「私と結婚して下さい」

 それからまた立ち上がる。


「すみません。もしかして他にどなたか決まった方が出来ましたか?」


「いいえ……いいえ、フリードリヒさん。私……どなたもいませんわ。

フリードリヒさんしか、私にはいません」


 これは夢なのかしら。ゲルトルートは動かない頭に必死に喝を入れる。ちゃんとしないと獲物を逃してしまう。

 獲物は捕まえる時が一番、重要なのだ。

 いいえ、フリードリヒさんは獲物じゃないわ。落ち着いて。

 とにかくゲルトルートは混乱していた。


「私をヘイブレアンへ連れて行って下さるんですね」


「はい。決心しました」


 慎重なフリードリヒは一時の感情に流されてはいけないと、一旦、時間と距離を置くことにしたのだ。

 

「しかし愚かな判断でした。あの時、あなたをヘイブレアンへ連れて帰るべきだった。

私は毎日、あなたのことを考えていました。私の希望は春が来て、あなたに再会することだけでした。

もし、あなたが他の男に心変わりしてしまったらと考えたら、夜も眠れない。

何度、夜の湖畔を空しく歩き回ったことでしょう。

あ――そう言えば、その度に、トワーズ伯爵が湖で貝を採っているのを見かけました」


 情熱的な告白に、途中まではうっとりしていたゲルトルートは、突然、冷たい湖に投げ込まれた気分になる。


「……お父さま! そのまま重しをつけて湖に沈めておしまいになったらよろしかったのに」


 夜中に真珠を吐く貝を採っている。誰が何と言おうと、密漁だ。


「そんなことを口にしてはいけません!」


「でも、密漁ですよね? 

フリードリヒさん、あなたはヘイブレアンを治めるディモント公爵なのでしょう?

父は、ディモント公爵の財産をかすめ取っているんですよ」


「あなたのお父上は博識なお方ですね。お話を聞くだけでも、大変、為になります。

ヘイブレアンの真珠にご興味をお持ちのようで、研究したいそうなのです。

もしかしたら、養殖への道が開けるかもしれない……と」

 

「フリードリヒさんは人が良すぎますわ」


 また父親の酔狂がはじまったのだ。

 ゲルトルートは危機感を抱く。運河も出来上がっていないのに、今度は真珠だなんて。大体、ヘイブレアンには銀を探しに行ったのではないのか。

 口が上手い分、始末に負えない。

 今度という今度は、しっかりと釘を刺さないと。


「ところで、お父さまは?」


 フリードリヒはトワーズ伯爵を連れて王都にやって来ると約束していたはずだが、その姿はなかった。


「まだやりたいことがあるから、帰らないとおっしゃって……『お前がゲルトルートを連れて来い』と」

 

「フリードリヒさんに対してなんて言い草なの!」


 ゲルトルートは憤慨したが、フリードリヒはそうは受け取らなかったようだ。


「お父上が許可を下さったのです。私があなたを……ゲルトルートさんをヘイブレアンへ連れて行っても構わない――と。

改めて、結婚の申し出をさせて下さい。

私の……フリードリヒ・ゲオルグ・ミラースの妻になってくれませんか」


「は――」


「そうだ! あの、隠していて申し訳ありません」


 ゲルトルートが返事をする前に、フリードリヒは自らの身分を明かしていなかったことを詫びた。「もうご存知のようですが……」

 惚れ惚れとゲルトルートを見た後、フリードリヒの顔が曇る。


「グスタフ陛下から聞きました」


「私、求婚されたんですよ」


 知っているとは思っていたが、報告する必要がある。隠していると思われたら、いらぬ嫉妬を受けてしまう。

 つい、嫉妬されるのも悪くないかも、とゲルトルートはよからぬことを考え、慌てて打ち消す。


「あの方が求婚した娘は、私が知る限り、あなたで百三十八人目です」


「ひゃ……ひゃくさんじゅうはちにんめ?」


「アデイラも入っています」


 本気なのか、戯れなのか、私には分かりかねます、とフリードリヒが首を振った。

 しかし、間違いなく見る目はあるようだ。

 なにしろ全員、彼の告白を断った。真っ当な考えの娘さんたちばかりだ。

 そんな訳で、グスタフは今日もフラフラと遊んでいる。「こんなに探してもいないと言うことは、私の妻はまだこの世に生まれていないんだな。……うん、そういうことにしておこう!」つまりこれからも遊び続ける。


「ゲルトルートさん、私はグスタフ陛下があなたにまで毒牙にかけようとしたと聞いて、割と本気で謀反を考えました」


「フリードリヒさん! そんなことおっしゃってはいけません」


「ええ、あなたが断って下さって良かった」


 ゲルトルートは知らない間に、この国を救っていたようだ。

 そして、フリードリヒを徒に妬かせないように気をつけようと決めた。彼は自分を熱烈に愛している。

 そうだ、自分は愛されている!


「ヘイブレアンが未だに厳しい土地で、あなたを連れて行くのは心苦しいのですが……」


「お母さまのこと、お聞きしました」


 その話を避けては通れない。


「ヘイブレアンは変わらないといけません。

いずれ運河ができ、人々の往来も激しくなるでしょう。

人の意識を変えるのは難しいかもしれませんが――あの、ゲルトルートさん……私はあなたの新しい“羊の血と臓物の煮込み”のことをお聞きしました」


 ゲルトルートは“羊の血と臓物の煮込み”と見た目はそっくりだが、味と香り、食感は全く別物の料理を作り出していた。


「私も“羊の血と臓物の煮込み”を一人で食べるのは、やはり寂しく感じました。

それで考えたんです。

同じ食卓で、同じものを食べることが大事だとしても、味は食べている人しか分からないし、香りは本物の方がとても強いから、この料理に関しては、隣の皿の匂いは気にならないはずです。

見た目さえ一緒ならば、ごまかしが効くのではないかと――」


「そのようですね」

 

 彼女の作り出した偽物は、クレアを通して、ある家庭に供される。

 その家は、ヘイブレアンから王都へ出て、すでに長い年月が経ち、子や孫たちは、“羊の血と臓物の煮込み”の味を忌避するようになっていた。故郷に誇りを持っていた祖父は、自分まで否定された気分になり、家族の関係は長く、ぎくしゃくしていた。

 その家族が、十数年ぶりに共に“同じ”食事を味わったのだ。


「とても喜んでいたそうですよ。あなたのおかげです。

私からも感謝を申し上げます」


「まがい物で騙しているとは思いませんでしたか? 父親譲りの詐欺師だって」


 フリードリヒは彼女の恐れに意表を突かれたようだ。


「言うなれば、創意工夫……ではないでしょうか?

新しい時代や環境に合わせて、人も物も変わっていく必要があります。

私はヘイブレアンを改革したいと思っています」


「フリードリヒさんならきっと出来ますよ」


「いいえ! 無理です」


 いきなり後ろ向きになったフリードリヒにゲルトルートは「なぜですか?」と声を上げた。


「私、一人では無理なんです。あなたが必要です。

ヘイブレアンに灯台が必要なように、私には貴方と言う灯台が――。

どんな困難があろうとも、貴女が側にいてくれれば、私は迷わず進めます」


 そんなに必死に訴えなくても、ゲルトルートの答えは決まっている。


「は――」


「あ、すみません!」


 返事はまたもやフリードリヒの謝罪に打ち消された。「あなたを得ることで、私とヘイブレアンが受ける利益のことばかり話してしまいました」だそうだ。

 ゲルトルートが「私のことを愛して、大事にして下さるのでしょう?」と返せば、それは当然のことだと言う。 


「フリードリヒさんは損得で私と結婚したいのですか?」


「そうではありませんが……私と結婚して良かったと思っていただきたいのです」


 真面目な人だ。

 そして、そこがゲルトルートの好きなフリードリヒだった。


「じゃあ……もっとヘイブレアンのことを知りたいわ」


「え?」

 

 前にも一度、話した。トワーズ伯爵からの手紙にも書いてあったはずだ。

 それでもフリードリヒは律儀に、ヘイブレアンについて語り出そうとするのを、今度はゲルトルートが遮った。


「いいえ、フリードリヒさん。私が知りたいのは、ヘイブレアンがどれくらいの大きさなのか、その内、湖が占める割合がどれくらいなのか。湖で一番深い場所は何(ひろ)なのか。山脈の中で最も高い山はどれで、標高がどのくらいあるのか――そういうことです」


「えっと……」


 思った通り、きちんとした測量が入ったことがないのだ。


「もし、よろしければ、私に測らせて下さい」


 ゲルトルートは“はかる”のが得意なのだ。そして、好きだった。「人目を忍んだり、土地の領主に追いかけられずに、好きなだけ測ってみたいの。限りなく正確な地図を作ってもいい?」


「それは……! ええ、勿論です」


「では、決まりですね。

今度こそ、私をヘイブレアンへ連れて行って下さい。

じゃないと、測れないもの」


 結局は、それもヘイブレアンの為になるだろう。


「――ありがとうございます」


 フリードリヒは感謝に打ち震えている。

 ゲルトルートもついに想いが通じた喜びに胸を高鳴らせながらも、あることに気づく。


「私がヘイブレアンの中で、最初に測る必要があるのは、フリードリヒさんの左手の薬指のサイズだと思いますが、それは、ご存知ですか?」


「いいえ。

今まで必要がありませんでしたから」


 「では、私に測らせて下さい」と、ゲルトルートがフリードリヒの左手を取った。


 一部始終を見ていたアレマ夫人はルルー嬢を連れ、そっと席を外した。

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