36:第十六場_王宮 競り落とされた令嬢
クラウスの登場に触発され、公爵令嬢の競りに、もう一人、名乗り出る者が出た。
「陛下。他国の商人風情に、我がサイマイルの伝統ある公爵家の令嬢を売り渡すなど国辱ですぞ。
それならば、この私が面倒を見て差し上げましょう」
義にかられているようだが、内心はクラウスのおかげでアデイラを手に入れるきっかけが作れて、舌なめずりをしている。
「いくら出す?」
王の問いに、法外な値段が告げられた。
大広間がざわめく。
「その金額を確かに出せるか?」
白けたようなグスタフが念を押す。
「私がこの競売の責任者だ。ミラース嬢の身柄は私が預かり、対価が払われたか確認する。
嘘や偽りで、この令嬢の身を攫って行くことは許さない」
出せるはずのない金額を言った男は引き下がった。
「ホール氏はいかがかな?」
アデイラはクラウスがいくら出すと言うのか恐ろしい気持ちで待った。
彼にならば買われてもいいと思ったいたが、いざ、こうして値段をつけられるようとすると、気持ちが揺らぐ。
フリードリヒも同じ想いだろう。結局、妹は金で買われるのだ。
人々はイルタリアの大商人がどれほどの資産を有しているのか、興味津々に見つめる。
クラウスは懐に手を入れ、小さな木箱を取り出した。フリードリヒに王に渡すように頼む。ディモント公爵は一瞬にして、その真意を察したのだろう。それまでの厳しい顔が、少しだけ緩んだ。
「陛下、こちらを」
木箱がグスタフの手に渡り、蓋が開けられた。
中には真珠が入っていた。
かつて先代のディモント公爵は愛する娘を得るために、これまた先代の王に真珠を差し出したと言う。
それと同じ。そして全く違う意味を持つ――アデイラの母親の形見の大きな真円の真珠。
母親が娘の為に、最後に残した真珠である。
その真の価値を、どうして金に換えられるだろうか。それはアデイラの身も同じこと。
クラウスはアデイラに正しい値をつけた。値が付けられるはずがないほどの価値という値だ。
公爵家の兄妹は祈るような気持ちで王を見た。クラウスは跪き、頭を垂れている。
こんな真珠一つで納得出来るか、と言われればその通りだ。
けれどもグスタフははじめからどんな値がついても、それがクラウスのつけた値であれば、アデイラを許すと決めていたに違いない。
さすがに意表を突かれたようだが、フリードリヒとアデイラの表情から、手の中の真珠が、もっとも相応しい値だということを読み取った。
「“ヘイブレアンの真珠”は“ヘイブレアンの真珠”によってのみ贖われる」
よかろう、この娘を連れて行くがいい――。
その言葉に、王弟・エルンストが異を唱える。
「お待ちください! なぜ、そのような真珠一粒で公爵令嬢を下げ渡そうとするのですか?
兄上は一体、何を考えているのですか」
フリードリヒや、心ある貴族たちは王がクラウスにアデイラを嫁がせると決めていたことを悟ったが、エルンストにはその心遣いが分からなかったのだ。兄がまた愚かな真似をして、国ごと評判を落としていると思っている。
「お前の言う通りだ。確かに真珠一粒で決めてはいけなかったな」
兄は弟の言を受け入れる。エルンストは得意気になった。
「ミラース嬢の意見を聞いていなかった」
「兄上!」
憤慨するエルンストを無視して、グスタフはアデイラに木箱の中の真珠を見せ、それから問いただした。
「ミラース嬢はあの男と結婚したいか?」
なるほど、一番、大事なことだった。
アデイラはグスタフを見直した。感謝の念すら沸き上がってくる。
「ええ、陛下。
クラウス・ホール氏と結婚することに異存はありません。
どうかその真珠と引き換えに、私を彼の元へ」
「いいよ。誰にも文句は言わせないから、安心して嫁ぐがいい」
アデイラは玉座の間を一気に駆け降り、クラウスに抱き着こうとした。
その前に、兄に阻止される。
フリードリヒは妹を片手で軽々抱き上げると、王に退室の挨拶をした。
「今夜はお早めに就寝を。明日、朝一番で、ホール氏とアデイラの特別結婚許可書を頂きに参ります」
「朝イチ? 勘弁してくれよ。せめて昼前にしてくれ」
文句を言うグスタフを一瞥すると、フリードリヒはクラウスも片手で持ちあげた。
「ええ!? マジで!?」
クラウスの口から、思わず市井の言葉が漏れる。
ディモント公爵はそのまま、二人を両肩に担いで、王宮を後にした。
あまりの迫力と力強さに、誰もが呆然と見送る。
来た時と違い、一台の馬車に押し込まれたアデイラは、フリードリヒの隣に座った。
フリードリヒに言わせれば、王の特別結婚許可書が出ない限り、クラウスとはまだ他人なのだ。
クラウスはアデイラと正式に結婚しようと、フリードリヒに交渉しはじめる。
「閣下、このような次第になってしまったことお詫び申し上げます。
そしてどうか結婚をお許しください」
フリードリヒは難しい顔をして黙っている。
「私は、アデイラを愛しています。
公爵が国王から特別結婚許可書をいただけましたら、それを持って、すぐさまイルタリアへ発ちます。
こうなった以上、それが最善と考えます」
あらゆる憶測と噂話から逃れるためには、それがいいだろう。
そもそも、彼はイルタリアの商人なのだ。本来、サイマイルと定期的に行き来して商売をするはずが、アデイラの為に、随分と長居していた。一部の仕事はイルタリアから取り寄せており、アーチボルトの嘆きの種となっている。
「アデイラは俺と一緒にイルタリアへ行くのは嫌かい?」
ホール家の馬車は大型とは言え、フリードリヒの図体は大きいし、アデイラのドレスは布がたっぷりと使われており、ひどく狭い。
クラウスは跪くことは出来なかったが、その代わり、アデイラの手を取った。
「俺は君を愛している。
何度、君をイルタリアへ攫って逃げたいと思ったか。
君の名誉もなにもかもを台無しにしてでも、君を俺のものにしたい――と」
それが出来なかったのは臆病だったからではない。彼自身、イルタリアへその身をかどわかされ、愛する家族と引き離される悲しみを知っていたからだ。残された公爵が、どれだけ嘆くかも。
「その結果、王さまにあんな扱いをされるなんて。
……大丈夫かい? 嫌だったろう」
「私のことよりも、あなたが心配だわ。
私を買ったと、みんなに思われてしまった」
エルンストに言わせれば「下賤の成り上がり者」だ。もしくは、クレイスフォルツ。
どちらもクラウスが被る汚名ではない。
「構わないさ……君と君の親しい人たちが分かってくれたらいい」
クラウスはフリードリヒの方を見た。
「結果的に、妹さんを買うようなことになってしまったことを、怒っていらっしゃるのですね。
ただ分かっていただきたいのです。私はあなたの妹さんを愛しています。心から愛しているのです」
ようやく反応を見せたフリードリヒは、まず男の妹への愛を遮った。「十分、分かっています。妹も同じ気持ちのようです。私はそれが嬉しい。大事にしてやって欲しい」
だが――と首を振る。
「今すぐイルタリアへ連れて行くというのは反対です。
ほとぼりが冷めるまで、妹はヘイブレアンで預からせて下さい」
「お兄さま、まだそんなことおっしゃるの!?」
「ヘイブレアンだってイルタリアと同じくらい、王都から離れている。
王都で何を囁かれても、聞こえてこないはずだ」
馬車が進む。
「失礼ですが公爵閣下、どちらへ?」
自分の屋敷に戻る道ではないことに気付いたクラウスが声を上げた。
「クレアの宿へ。
そこで私の考えをお話しできると思います」
クラウスは馬車や自分の屋敷と違い、人の多いクレアの宿で何を話すのか不審がったが、彼は今、公爵の判断を待つ身である。言うことを聞かなければならないだろう。




