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33:第十四場_劇場~ホール氏の屋敷B 上映中の私語はお控え下さい

 演目は身分違いの男女の恋物語だった。女は貴族で、男は平民だ。

 ひょんなことから出会った二人は、いつしか恋に落ちる。

 親からの反対、恋敵の登場、多くの試練を二人は愛の力でもって打ち勝っていった。

 最後は、男の方は高貴な身分のご落胤だったことが判明して、めでたく結ばれる――。


 右側には太陽のような金色に輝く王。

 左側には月のような銀色に輝く商人。

 その間に座っているアデイラは、夜明けの空を思わせる薄紅色の絹地に、霧のような紗をまとったドレスを着ていた。

 繊細なレースの手袋をした手に双眼鏡を持って、アデイラは真っ直ぐ舞台に集中しようとしていた。

 舞台は素敵だ。オリヴィアは身分の違いで親に交際を反対されながらも恋焦がれる娘の気持ちを、痛いほど表現していた。男の方の役者も女に対する熱い心が伝わって来る。内心では娘の願いを叶えたい父親の優しさも、母親の俗物さも。

 台詞回しは軽妙で、音楽は美しい。衣装も大小の道具も、細かいところまでしっかり作り込んである。

 どれも一瞬だって、目を離したり、聞き逃したり出来ないはずだ。


 それなのに、二階と三階の桟敷席の連中ときたら、なんの為に劇場に足を運んだのだろう。

 不躾にアデイラに双眼鏡を向けてくるものまでいた。こそこそと耳打ちし合っている者も。


 あれがお妃候補?

 いやいや、金の為に、身を売りにやってきたらしい。

 田舎者のくせに、今風のドレスだわ。顔は私の娘の方が綺麗よ。

 いくら出せば買える? 別嬪じゃないか。

 あの隣の男性は誰? お金持ちそう。うちの娘にどうかしら?

 イルタリアの商人らしいぞ。王と同席するなんて、我々を侮辱している。


 いつの間にか、アデイラは社交界の噂の的になっていた。

 フリードリヒが苦心してアデイラがクレイスフォルツの家に行こうとしたことを揉み消したのに、どこかで漏れたようだ。

 アデイラにはクレイスフォルツの使用人の顔が浮かぶ。雇い主が破滅し、職を失った復讐と、アデイラがリーゼロッテを寄こさなかった腹いせだ。

 もっとも、ディモント公爵令嬢アデイラなど、去年、社交界に披露されたものの、出席した舞踏会は僅か。このまま忘れ去られるような人間の噂話など、さして面白いものではない。

 クレイスフォルツの元使用人の話など、大して話題にならずに消えていくはずだった。


 人は注目度が高い人間の醜聞が好きなのだ。自分より上に行こうとする人間の足を引っ張りたい。


 そう――例えば、王さまのお妃候補のような。


 どこかの誰かがクレイスフォルツの元使用人の話を思い出す。使用人たちから使用人たちへ。そこから上級の使用人へと伝わるのに、それほど時間はかからなかった。さらに、それぞれの主人に届いていく。

 アデイラは一躍、注目の的になってしまった。


 王も商人も、何も気づいていないかのように振る舞っている。

 真面目な公爵はずっと目を瞑っている。内心は妹への心配と、周りの人間たちへの怒りで荒れ狂っているだろう。

 正直、居たたまれないが、逃げるのも癪に障るので、最後までしっかり見終わったアデイラは双眼鏡を降ろした。明日は腕が痛くなっていそうだ。


「よい劇だった」


 王さまらしくグスタフは感想を述べた。

 それから同行の三人を近く行われる舞踏会へと直接、誘う。


 「今年は王宮主催の舞踏会は行わない予定だったのだが……」グスタフがクラウスを見た。「おかげで、小規模だが開催出来る見通しがたった」


「なんて顔をしている? クラウス・ホール。是非、君も招待させてくれ。

イルタリア帝にかけあって、援助を引き出してくれた立役者だ。そして、実行にも大きな尽力があった。

私は君に感謝を表明したい」


 王が退場するまで控えている貴族連中が耳をそばだてている。


「私は……」


「まさか断るつもりではないだろうね?」


 ここぞとばかり王さまの権力を使って、グスタフはクラウスに「光栄です」と言わせた。公爵兄妹には確認すらない。こちらは確定事項なのだ。


「舞踏会が済みましたら、我々はヘイブレアンへ戻ります」


「そうか。アデイラ嬢も?」


「左様でございます」


「では、楽しもうとするか」


 グスタフは意味ありげに笑いながら、アデイラの手を取った。「最初のダンスは私と踊ってくれるね?」 


***


 予定ではオリヴィアの楽屋を訪ねるはずだったが、アデイラはとても申し訳なくて出来なかった。

 自分の存在が舞台を台無しにしてしまった。楽しい一日になるはずだったのに。

 ホール邸に戻り、着替えると、どうしようもないやるせなさが襲ってきた。

 用意されたお茶と軽食に手を付ける気持ちにもならない。


 ハリエットがフリードリヒの訪れを告げた。


「アデイラ? いいかな?」


「お兄さま」


 フリードリヒはアデイラと向かい合って座る。


「何か……私に話したいことはないか? 私は頼りにならないだろうか?

クレイスフォルツの件も、相談してくれなかったね」


「それは……!」


「私が反対すると分かっていたからだろう?

アデイラ、今日は何を聞いても、お前を否定したりしない。

だから何を考えているのか教えて欲しい」


 兄の真摯な訴えに、アデイラは俯いた。また心配をかけている。


「――王妃にはなりたくない」


「グスタフ陛下はお嫌いか?」


 小さく首を振る。「そういう訳じゃない」


「グスタフ陛下は奇矯な振る舞いが多い方だ。あの方は自ら、自分は王に相応しくないと考えている。しかし、王であらねばならない。その心の内が、あのような行動となって表れてしまうのだ。

そこだけ分かってもらえれば、私はアデイラが縁談を断ることに反対しない」


 頷いた。「ええ、分かっているわ。私、そうじゃないの……他に好きな人がいるの」


「クラウス殿だね」


「お兄さま……!」


 気づいていないはずがなかった。アデイラはもう顔を上げられない。膝に置いた自分の手が、白くなるほど強く握られているのが見えた。


「私……ええ、クラウスさんが好きなの。

一緒に居たいの」


「お金持ちだから?」


「違うわ!」


 フリードリヒの言い様に、アデイラの頭に血が上る。「私、そんなんじゃない!」言ってから気づく。自分はクレイスフォルツの金を目当てに上京した。そう思われても仕方がない。


「お兄さまはそれを心配しているの?

私は何を言われても平気よ。

それともお兄さまが嫌なの? ディモント公爵の名に傷つくから? 彼が平民だから?」


 今日観た舞台が頭に過った。多くの物語の題材になるほど、身分の違いと言うのは大きな障害なのだ。創作の世界でさえ、ご落胤と分かって、互いの身分の差が縮まらなければ、皆から祝福されなかったではないか。厳しく理不尽な現実は、アデイラとクラウスを許しはしない。

 身分の違いは知っていたが、公爵家の令嬢であるが故、不利益を被ったことのないアデイラは、ようやくそこにたどり着いたのだ。


 妹の言うことを、絶対に否定しないと誓ったフリードリヒは静かに言った。


「アデイラが望むのならば、私は応援するよ。

ディモント公爵の名声など、そもそもあまりない。嫌な噂も辺境に引っ込めば、聞こえないさ」


 自嘲気味に笑った。私はお前の幸せを願っている。「ただ……」と、表情が曇る。


「クラウス殿はどう思っているのだろうか?」


「え……」


 アデイラは頬に手を当てて思い返してみる。「嫌われてはいないと思う……ううん、好意があるわ」自分一人で盛り上がっていないか不安になってきた。


「アデイラ、一度、相手の立場になって考えてご覧?」


「何を言いたいの?」


「お前が身を売ったと思われると言うことは、相手が買ったことになるんだよ」


 「あ……!」とアデイラは目の前が真っ暗になる。

 公爵家の令嬢を金で買う男。下種な男。

 その評判をクラウスに負わせることになる。


「私……馬鹿な真似をしたわ」


 クレイスフォルツの話に乗ったばかりに、自ら悪評を呼び入れてしまった。


「だがクラウス殿に助けてもらえた」


 ミラース夫人に育てられたフリードリヒは、前向きになることを知っていた。それなのに、その娘であるアデイラはそう出来なかった。


「いっそ、会わなければ良かった。あのまま――」

 

 あのままクレイスフォルツの妻に?

 嫌だ。考えたくない。もう他の男に身を委ねるなんて、考えただけで身震いがする。相手が王さまであろうとも絶対に無理だ。


「クラウスさんがいいの。クラウスさんじゃなきゃ嫌よ」


 兄を相手に、我儘を言う。


「とりあえず、ヘイブレアンに帰ろう。

人の噂なんて、熱しやすく冷めやすい。一年もすれば、忘れてしまうはずだ。

アデイラが王妃になるかもしれないと言う、やっかみも手伝っている。

結局、王妃にならないと分かれば、それもなくなるだろう」


 それから王に頼んで、平民との結婚を許可してもらう特別な王命を出してもらえばいい。

 グスタフは笑って署名するはずだ。ただ、今すぐでは、アデイラを王妃に仕立て上げようとしている重臣たちから反対される可能性が高い。


「時間が解決してくれるのを待とう。

我慢出来るだろう?」


 兄は自分に協力しようとしている。ただ、同時に、クラウスのことを諦めようとさせているとも感じた。

 アデイラにとってこれがはじめての恋だった。熱病のような恋が、時間を置くことで落ち着くことを期待しているのだ。


 アデイラは力なく頷いた。

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