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32:第十三場_劇場~ホール氏の屋敷A 方針を変更する

 サイマイル国王グスタフは、女性であればどんな女性でも大好きで、複数の女性に対し、同時に同等の愛情を捧げられると言う稀有な才能の持ち主だった。


「気合の入った女好きよ」


 クレアが扇で口を隠しながら教えてくれた。

 折角の観劇の機会に、浮世の悩み事を持ち込みたくはなかった。アデイラは密かにため息を吐く。


「本人はお妃選びにそれほど熱心じゃないわ。

おかしなことに、正妻が出来たら、浮気してはいけないと思っているらしいの」


 それはおかしいことではない。正しいことだ。

 しかし、これまでのグスタフの行動を見れば、一人の女性に落ち着こうなど、信じられない話らしい。


「あなたへの話は、国王本人よりも、その周辺が盛り上がっている感じね。

もういい加減、お妃さまを決めないといけない歳だもの」


 グスタフが去年、アデイラを“ヘイブレアンの真珠”と讃えたことを重臣たちは覚えていた。

 王が女性を褒めるなど、日常茶飯事。挨拶と変わらない。アデイラが特別と言う訳ではなかったが、彼女はディモント公爵の妹という特別な立場にあった。

 妹を王妃にすれば、このところ軽視されている国境の軍備を担う公爵を尊重する姿勢を見せられる。一方で、王の縁戚として公爵が影響力を振るうには、ヘイブレアンは遠方だし、妃になる妹に満足な持参金も持たせられないようならば、心配する必要もない。

 おまけにヘイブレアンの人間は辛抱強いと言う。ならば、()()()()()()()()()()だろう。

 考えれば考えるほど、なんてちょうどいい存在だ。

 かつてミラース夫人が後妻としてちょうどいいと言われたように、アデイラは王妃としてそう思われた。


「何がちょうどいい、よ」


 アデイラは腹が立った。それはクレアも同じである。ただし、彼女はヘイブレアンに対しても、思う所があったようだ。


「王妃なんて断ればいいのよ。

けど、それは別として、ヘイブレアンに戻るよりは王都で誰かいい人を見つけて残った方がいいわ。

母が私を王都へやったのは正解よ」


「え?」


「意外? あなたたちは私を母親から引き離された哀れな娘だと思っているものね」


 それは違う、とクレアは言った。


「私、マルガリータさまの気持ちも分かるかも……。

マルガリータさまはヘイブレアンを嫌ったかもしれないけど、ヘイブレアンだって彼女に優しくなかった。お母さんにも……」


 ヘイブレアンは古臭くて排他的よ。あなたも少し離れて見た方がいいわ。


 その感想が、クレアの本心なのか、強がりなのか、アデイラは確認することが出来なかった。

 開幕の挨拶が響き、舞台ははじまったからだ。


***


「すごく素敵だったわ!」


 アデイラはクラウスの書斎で彼を出迎えた。観劇後、すぐに感想を言いに押しかけたのに、不在だったので、ずっと待っていたのだ。

 

「あなたにも早く見せてあげたい」


「それは良かったよ。

アーチボルト、ハリエットに言って、お茶を持って来させて。

どうして用意してないんだろう?」


 あれ以来、クラウスの態度はよそよそしい。彼女がお妃候補になったと思っているのだ。


「私が断ったの。紙とペンを借りたわ。

それでこれを書いてみたの。どうかしら?」


 彼を待つ間に書き上げたものを差し出した。「ちゃんと読んで! ……お願いよ」


「その髪型、わざと?」


「ええ。大丈夫、観劇の時はきちんとまとめて行ったから」


 アデイラの指さす方に、頭から外した何本ものピンが乱雑に置いてあった。その為、栗色の豊かな髪の毛は何の縛めもなく広がっていた。結い跡のせいで波のようだ。

 クラウスの口から「はぁあああ」と盛大なため息が漏れる。


「アーチボルト、ここに居てくれ」


 なぜかこっそり部屋から出て行こうとするアーチボルトを引き留めた。

 それからアデイラが書いたものを丁寧に読みはじめる。と言っても、数枚しかないので、すぐに目を通し終わった。


「え……真珠、どこ行った?」


「真珠は止めたの。いえ、一旦、後回し。

だって、真珠の養殖って、難しそうなんだもの。

だったらトワーズ伯爵の実現できそうな計画に乗ってみるのもありじゃない?」


 運河が出来たらヘイブレアンに劇場を建設して、劇団を誘致してはどうか。

 それがアデイラの新しい提案だった。


「クレアがね、ヘイブレアンは退屈な場所だから、運河が出来て、王都との行き来が簡単になったら、若い人たちは出て行くに違いないって言うの。

一理あるわ。

じゃあ、代わりに王都から人を呼ぶわ。あの美しい風景を見て欲しい」


「君がヘイブレアンの湖を語る時、とても誇らしい顔をしていたね。

それを見て、私も行ってみたいと思ったくらいだ」


「来てくれると嬉しいわ。ただ、やっぱり景色だけじゃすぐに飽きられるかもしれない。

でも、そこに劇場があったら?

風景だけでもない、観劇だけでもない、その二つを目的にすれば、人が訪れて、長く滞在してくれるかも。王都は華やかだけど騒々しいし、現実が近くにあり過ぎるわ。ヘイブレアンの壮大な自然の中で舞台を見れば、より物語に没入出来るし、余韻にも浸れそう。

クレアの宿みたいなところをヘイブレアンにも作って、ヘイブレアンの食事を出すの……あ、“羊の血と臓物の煮込み”は無しにするわ。あれは好き嫌いが激しいから。

いっそのこと公演にちなんだ料理を出してみるのも面白いかも!

人がたくさんくれば、お金儲けも出来ると思うんだけど……ど、どうかしら?」


 話しているうちにアデイラは興奮して口数が多くなった。

 その間に、アーチボルトもアデイラの書いたものを読んだ。「これは面白いですね」


「そう思う? クラウスさんは?」


「ヘイブレアンには温泉は湧かないの?

イルタリア人は温泉が好きなんだ。温泉に入るために遠い場所でも足を運ぶくらいだ。そこで数日……数週間滞在することもある。

私もホール氏の付き添いで、何度か行ったことがある。確かに人が集まる場所では商売が成り立つ」


「あなたはいろいろな場所に行ったことがあるのでしょうね」


 アデイラはヘイブレアンと、かろうじて王都しか知らない。

 本当はいろいろな世界を見てみたかったのだ。

 公爵令嬢ではない自分になった気分になれる。公爵令嬢では行けない場所に行った気持ちになれる。

 それがアデイラが演劇に惹きつけられた一因でもあった。

 

「……連れて行ってあげるよ。君の行きたい所へ」


 ぼそりとクラウスが言った言葉に、アデイラは素直に喜んだ。


「本当に!? 嬉しいわ。ありがとう」

 

 実現するはずがないのは分かっていた。

 運河は出来ないし、劇場は建たない。そして自分はヘイブレアンへ帰るか、他の誰かに嫁ぐのだ。

 ただ、この場所で、このわずかな時間、彼の側で、彼女は夢を見たかった。 


「エンブレア王国に行ってみたいわ。あそこには、滑稽な喜劇や敵対する家に生まれた若い男女の悲恋物語まで、自在に書ける脚本家の座組があるんですって」


「ああ、知っている。

チケットが取れるかな?」


「当日に立見券が出るかもしれない。朝早く起きて、並べばいいわ……二人で話をしていれば、時間なんてすぐに経つでしょう。それから……それからね」


「――アデイラ、泣かないで」


 いつの間にか、アデイラの目から涙が溢れていた。折角、楽しかったのに台無しだ。

 アーチボルトまで盛大に鼻をかんだ。


「も、申し訳ありません……」


 彼も真っ赤な顔で泣いていた。


「やれやれ、お茶にしよう。

泣くとお腹が空くんだろう? アデイラ嬢」

【参考文献】

小林一三先生関係のいろいろ

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