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31:第十二場_ホール氏の屋敷 二回観る

 クラウス・ホールは、アレマ夫妻に謝りたかった。謝罪して、お金を返して、それから一人前になった姿を見せたかった。


「けれどもアレマ氏は既に亡くなり、母は身を隠してしまった。

いや、うん、どこにいるかは大体、分かるんだけど」


 ここに来て、訪ねる勇気を失っている。


「アレマ夫人はあなたを許しているわ。そして、会いたがっている。

サイマイルにやってきたイルタリアの若い商人が、クラウスと言う名の銀髪の青年だと、どこかで聞いて、彼が自分の可愛い坊やかどうか、確認したいのよ。

そして、その子は、舞台のチケットを必死になって探している」


 アデイラはようやく、チケットを前にしたクラウスの喜びと苦悩を知った。

 アレマ氏はサイマイル王国で古くから続く名士の家柄だった。その夫人は、チケットを手配する伝手を知っていたのだ。クラウスの為に、手に入れて、そっと差し出した。


「おそらくそうなんだ。

その席に座れば、母がどこかで俺を見てくれる」


 無理だ、とクラウスが呻いた。「心の準備が出来ない。君が行ってくれ」


「やったぁ!」


 殊更、能天気に声を上げて、クラウスの机の上に置き去りにしたチケットの封筒を取りに行く。「私、チケットを前にすると人でなしになるの」くるりと回った。

 空席を見たら、アレマ夫人はがっかりするだろう。息子に拒まれたと思うかもしれない。実際、そうなのだ。でも、そうではない。難しい所だ。ならば、アデイラがその席を埋める。


「観劇用のドレス、やっぱり仕立ててくれない?

そうね、演目の雰囲気に合わせた意匠を取り入れるわ。

クレアの分もお願いね。色違いのお揃いにする。

――あなたが血眼になってチケットを探してあげたいと願う淑女として、この席に座るわ」


 もしかしたらアレマ夫人が接触してくるかもしれない。


「アデイラ……それ、母は妙な誤解をしないかな?」


「あら? 『あのお嬢さん。もしかして、うちの息子のお嫁さんかしら?』 みたいな?」


「よ……!」


 クラウスは頭を抱えた。しかし、顔色は青ではなく真っ赤だ。


「やっぱり返せ!」


「嫌よ。絶対に渡さない!!」


「返せ!」


「私のチケットよ!」


 机を挟んでやり合っていると、扉がそっと開いて、アーチボルトが滑り込んできた。恐れていたような色っぽい雰囲気ではないが、机を挟んでじゃれあっているのをどう評価すべきか悩んでいるようだ。曖昧な微笑を浮かべている。

 実はさっきまで一つのソファで手を握り、身を寄せ合っていたアデイラは、恥ずかしくなった。

 続いて兄がやって来た。ディモント公爵は港で一日中、小麦の袋を運んでいた。埃っぽく、日に当たったところが赤くなっている。こちらは申し訳なくなった。クラウスも同じ気持ちのようだ。兄の目を盗んで、その妹と二人っきりで会っていた。

 また、彼はフリードリヒの生まれた時の話を知り、尊敬の念も抱くようになっていたので、猶更だ。

 産みの母親は非情。育ての母親には愛のない結婚を強いてしまった。姉は他所へやられた。それでもフリードリヒは、自分の義務に誠実に取り組む、真っ直ぐな青年に育った。

 彼は自分に与えられた愛情を曲解せずに、それに存分に応えてみせようとしている。

 クラウスにしてみれば、とても敵わない、と言ったところだろう。


「お兄さま! クラウスさんがチケットを用意して下さったのよ。

二枚あるんだけど、クレアを誘うことにしたの。いいでしょう?」


 後ろめたさを隠そうと、それから、兄が疑わないように、また、チケットの所有権を誇示する為に、アデイラは封筒を掲げた。


「え……クラウスさんも?」


「も?」


 よく見れば、フリードリヒも同じ封筒を持っている。


「まさか……」


 そちらも奪うように受け取ると、中身を確認する。「二階桟敷席だわ。真ん中ね」去年と同じ場所だ。


「グスタフ陛下がアデイラに、と」


「そうだと思った……国王という身分で観劇する時は、ここしか座れないのね」


 アデイラが王を憐れんでいると、クラウスは「じゃあ、私の分は必要ないだろう」と手を出してくる。


「どうして?」


「どうして? って、チケットが手に入ったんだろう?」


「ええ、嬉しいわ! 二回も観られるなんて!!」


「「二回!?」」


 クラウスとフリードリヒが声と顔を合わせた。


「そうよ、日時が違うもの。二回観られるわ」


「アデイラ嬢」


 そう呼びかけれて、アデイラは不満に感じたが、兄の前だ。仕方がない。「何かしら?」


「なぜ同じものを二回も観る必要が?」


 先ほど心が通じ合った気がしたのは、勘違いだったのだろうか? アデイラは小首を傾げた。


「同じじゃないわ?」


「同じだろう!?」


「同じじゃないわ! 同じ舞台なんかないわ!」


 信じられない、という目で、クラウスを見る。あちらも同じ目だった。「同じのを二回?」


「だから同じじゃないってば! あなただって、観れば分かるわ。

そうだわ、こっちの桟敷席は五人は座れるし、壁に囲まれているからお兄さまが座っても迷惑はかけないでしょう。

お兄さまとあなたと私……アーチボルトさん、ご一緒にいかがですか?」


「私めは仕事がありますので。忙しいんです」


 旦那さまときたら、最近、目を離すとすぐにぼーっとして、仕事が捗らなくて、とグチグチ言い出す。


「ごめんなさい。クラウスさんのこと、お借りしても構わない? 一緒に観劇したいの」


「それは勿論ですよ! お嬢さまの我儘は全て叶えるように、とのお言いつけですので。ええ、旦那さま。そう命じられましたよね?」


 クラウスの片眉がピクリと動く。そう命じたらしい。それは彼自身にも適用された。


「じゃあ、クラウスさんは行く、と。

そうだ、グスタフ陛下もお誘いしないといけないかも……」


 ちらりと兄に確認の視線を送ると「陛下はいいだろう」と消極的な答えが返ってくるではないか。


「でも、悪いわ。

もともとこのチケットは陛下のものなのよ」


「――声はかけておくよ」 


「分かった。これで四人ね。うん、あとはリーゼロッテとハリエットを連れて行くから、これで決まりだわ」


 アデイラは二通の封筒を握り締めて、にっこり笑った。


「観劇用のドレスをもう一着よ」


 それについてはクラウスにも異論はないようだが、フリードリヒが難色を示した。


「アデイラ、いい加減にしなさい。どうして観劇用のドレスが二着も必要なんだ」


「二回行くからよ。

オリヴィアさまに、あの娘、この間と同じドレスを着ていると思われたくない!」


「そんなこと、オリヴィアさまは思わないよ。大体、見ていないだろうし、視界に入っても覚えていない」


「ええ、その通りだわ。でも! 私の気持ちの問題なの!!」


 フリードリヒはため息を吐いた。「いつの間に、そんなに贅沢な浪費癖がついたんだ。これじゃあ、ヘイブレアンに帰ったら、どうやって生活していくつもりだ」


「ヘイブレアンに劇場はないし、私を甘やかすクラウスさんもいない……」


 自分の言葉に現実に引き戻されたアデイラは呆然とした。「そうよ、ヘイブレアンで我儘なんて言わないから、安心して、お兄さま」

 

「そうだねアデイラ。もうすぐ冬が来る。

我々は帰らなければ。

だがアデイラ、どうも困ったことになった」


「え?」


 王宮のあたりから、アデイラへ縁談が持ち上がっているようなのだ。

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