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30:第十二場_ホール氏の屋敷 後を継ぐ者

 クラウスの声を聞きつけて、アーチボルトが顔を覗かせる。


「だ、大丈夫ですか?」


 アデイラは帽子を放り投げると、顔面蒼白のクラウスをソファに座らせた。「そうね、お茶が必要かも」


「すぐに用意させます」


 しばらくするとリーゼロッテが茶器を運んできた。随分、久しぶりの気がする。すっかり慣れた手つきでお茶を淹れた。


「お嬢さま、大丈夫ですか?」


「私? 私は平気よ。

ありがとう、リーゼロッテ、もういいわ」


 ホール家の使用人ではあるが、アデイラがクラウスを探らせたように、フリードリヒからも何か言いつけられているのだろう。リーゼロッテは書斎に居座ろうとしたが、アデイラが祈るような顔で見るので、しぶしぶ引き下がった。

 アデイラはリーゼロッテが淹れた紅茶に、たくさん砂糖を入れた。


「さぁ、飲んで」


 クラウスはそれで人心地が付いたようだ。


「すまない」


「いいの。あなたを追い詰めるつもりはなかった。ただ、もし、私に話せることなら、あなたがどうしてそんなに辛そうなのか、教えてくれない?」


「うん……」


 紅茶をもう一口、飲んだクラウスの視線が泳いだ。「もう少し、離れて欲しい」

 アデイラはクラウスにぴったり寄り添っていた。慌てて向かいのソファに移動する。自分の分の紅茶を淹れた。


「どこから話せばいいかな……そのチケットはきっとアレマ夫人がくれたんだと思う。あ、アレマ夫人と言うのは。

おかしいな、上手く話せない。これじゃあ、君には何のことか分からないだろう……君の書いた無計画な計画書みたいだ」


「いちいち引っかかる言い方しないでよ」


 それはさておき、クラウスは自身の話を誰にもしたことがないのだと思い当たる。アデイラも“マルガリータさま”のことを話すのは、はじめてだった。しかし、ディモント公爵家に起きた出来事は、伏流水のように地下に潜っている間に濾過されたのか、アデイラの耳に達するまでには、すっかりこなれたものになったようだ。彼女はまるで“物語”を語るように口にできた。

 きっとそうに違いないと教えると、クラウスは「どうだろうね。君と違って、俺には余計な話を吹き込んだ人間たちがたくさんいたよ。人の噂話が大好きな、無責任な連中がね」と羨望と憤りを口にした。


 噂話に神経質になっているクラウスに、アデイラは正直に告げる。


「あのね、あなたがクレイスフォルツの子ではなくって、アレマ氏の子どもだって言われているのを聞いたわ」


 噂話をしたのだ。「今日、ケネスと、それからグスタフ陛下ともあなたのことを話したの」


「なるほど。

それで見損なった?」


「いいえ。反対よ。

だから私、ここに来たの。

あなたのことを――もっと知りたい。

あなたの口から、本当のことを聞かせて。

噂話なんかで、私にあなたを判断させないで」


 クラウスは残った紅茶を飲み干す。溶け残っていた砂糖を口に含んだのか、顔を顰めた。それから深呼吸をする。


「俺は間違いなくクレイスフォルツとお針子の子どもだよ。偶然、アレマ氏に拾われて、母はそこで俺を産んだ。

そのせいで、アレマ氏はひどい汚名を着せられた。

アレマ氏は、ただ不実な男に裏切られ、途方に暮れた娘を助けただけなのに」


 アレマ夫人にとっても災難だったろう。夫の不義の子どもを引き取って育てていると揶揄された。


「なんて酷いことを!」


 「ああ、アデイラ」と、クラウスが彼女の前に跪いて、その手を取った。「お願いだから、俺を憐れまないでくれ。俺はあいつらの噂話を信じて、両親の愛情を裏切った最低な人間なんだから。俺こそが……!」

 アデイラは励ますようにクラウスの手を握り返した。


「盗人の子と呼ばれたんだ。生みの母がクレイスフォルツの家から宝石を盗んだから」


「それは……違うのでしょう?」


「そうだろうよ。お針子だった母とクレイスフォルツを別れさせるために嵌められたのだと父は……アレマ氏は言った」


 クラウスは賢い子だった。何もかにも嘘っぱちなのは分かっていたはずだ。


「だけどどうしてか、父の言うことも、母の優しさも受け入れられなくなった。

俺は盗人の子なら、そうすべきだと思って、アレマの家から金をくすねて逃げた」


 許しを請うように、クラウスはアデイラの手に額を押し付けた。


「あの……多分、多分ね……あなたそういう年頃だったのよ。

親の言うことを聞けなくなって、冒険心に溢れて、一人で生きていけるという自信を持ってしまう、そんな年頃。

ケネスもそうでしょう?」


 ケネスはちょうどクラウスが出奔した年頃だ。

 アデイラは片手を抜き出して、クラウスの綺麗な銀髪の髪の毛を梳いた。彼は自分の髪の毛を綺麗だと褒めてくれたが、クラウスの方がずっと美しい。


「ケネスは……俺みたいに馬鹿な真似をしなかった」


「あなたが適切な助言をして、援助の手を差し伸べたからよ」


 突然現れ、滑稽だったかもしれないが、父に復讐を遂げた兄だったから、弟は頼れると思ったのだろう。親には出来ない相談をして、上手に後押ししてもらった。ケネスは運がいい。


「それにね、あなたがお金を持って家を出て良かったわ」


 クラウスの顔が上がった。「なんだって?」


「アレマ夫人はそのお金で、あなたが温かい寝床や食べ物を手に入れることを喜んだはずだから。

――そして、あなたがすぐに帰って来ると思っていた。そうでしょう?」


 少しだけ親を困らせたかっただけなのだ。クラウスはアレマ夫妻の愛情を裏切ったのではない。試したのだ。


「確かに、あなたは悪いことをしたわね。でも一番いけないことは、家に帰らなかったことじゃないかしら?」


「――人攫いにあったんだ」


「え?」


「この髪の色、珍しいだろう?」


 クラウスは美しい銀髪を持つ、綺麗な顔立ちの子どもだった。

 

「高く売れたよ。ホール氏にね」


 ただし、ホール氏はアレマ氏と同じだった。

 ケネスの兄も、運が良かったのだ。


「助けてくれたんだ。俺を親元に返そうとしてくれた。でも――」


 そうなればホール氏が払った金をアレマ氏が出すと言うだろう。もしくは、「そんな子どもは知らない」と言われるかもしれない。

 クラウスは両親を裏切り、あちらも怒っているだろうと考えていたのだ。自分は捨て子の上に、高潔なアレマ氏の名を汚し、周囲の冷たい目にも負けず育ててくれたアレマ夫人への恩義を忘れて、金を盗んで逃げたのだから。


「今思うと、馬鹿だと思う。

二度も親に捨てられるんだと思ったら、怖気づいてしまった」


 そんなことにはならなかったはずだ。アレマ夫妻はクラウスを叱っただろう。それから抱き締めるのだ。もしくは、抱き締めてから、叱ったかもしれない。


「……君の兄さんの話を聞いた時、俺は堪らない気持ちになった」


「ええ」


「マルガリータさまは生まれた子を抱かなかった。俺の母親も同じだ。

でも、同じじゃない。

俺を産んだ母親は、俺のことを心から愛してくれていた」


 お針子の娘は、産まれてくる我が子に産着を縫った。たくさん、たくさん縫った。

 一歳の時に着るであろう服も、二歳の時の服も……。

 子どもの成長を想像しながら。この年ならばこの大きさ。歩くようになったら、動きやすい服。冬は暖かく、夏は涼しく、お腹の子が外に出てきたら、気持ちよく過ごせるように。一針一針、思いを込めて縫った。同時に、その服を着る子どもを自分は見ることが出来ないと覚悟していた。


「アレマ夫人は荒れる俺にその服を見せてくれた。それなのに、俺は馬鹿だから、アレマ夫人にお前は本当の子ではないと言われていると、ますます僻んでしまった」


 愛しているのならば、どうして自分を捨てたのか、クラウスには分からなかった。


「でも、今は分かる。

俺がアレマ夫妻の所にいない方がいいと思ったように、母も自分が俺の近くにいない方がいいと考えたんだ。その為に赤ん坊を抱くことを自分に禁じた。一度でも抱いてしまったら、手離せなくなることを恐れたんだ」


 どちらも相手を愛するが故の行動だった。


「俺は一度だって、捨てられたことなんかなかった」

 

 その思考にたどり着けなかった若いクラウスは、ホール氏の元で働くことにした。彼は神聖イルタリア帝国の大商人だった。


「やっぱり、いろいろ言われたけど、もうそんな無責任な噂話は気にしないと決めた」


 ホール氏が買ってきた銀髪の美しい男の子。「お目が高い」なかなか刺激的な噂話だったろう。それが数年で旗色が変わる。「お目が高い」あの子の商売の才能と努力は見事なものだ。ホール氏は、あの子ども……青年となったクラウスに投資していたのだ。


「ホール氏は俺をお嬢さんと結婚させて、商売を継がせようとまで見込んでくれた」


「え……!」


 また新たな婚約者の登場に、アデイラは手に絡めていたクラウスの髪の毛を引っ張りそうになった。


「大丈夫、婚約はしていない」


 クラウスがニヤッと笑った。「もう!」と怒りながら、アデイラは安心した。彼の調子が戻ってきたようだ。

 クラウスは立ち上がって、アデイラの隣に座った。手を握ってくる。「さっきは離れてって言ったのに」しかし、振りほどけない。一度、温もりを感じたら、手離せなくなる――。


「お嬢さんには好きな男がいたんだ。俺の同僚で、正直者で優しい男だった」


「なるほど。つまり商売の才能はあんまり、ってことね。

それにしても、あなただって優しい所もあるし、なによりもこんなに美男だわ。

シルヴィア・クレイスフォルツなんて、あなたに夢中で手が付けられなかったらしいじゃないの。

どうしてホール嬢を仕留めそこなったの?」


 銀色の髪が揺れた。笑っているのだ。


「俺は小賢しくて、信用がおけなかったんだろう。父親が買ってきた子どもに対して、お嬢さんは最初から嫌悪感と先入観を持っていたから、騙しきれなかった」


「……お嬢さんのこと、好きだったのね」


 アデイラはムカムカしてきた。クレアの宿で久々に食べた“羊の血と臓物の煮込み”が胃に合わなかったようだ。

 手を引っ込めようとして、強く引き留められる。


「アデイラ、なぜ怒っているの? 

お嬢さんは別な男を選んだ。俺ももう好きじゃない。

ホール氏は娘の希望を叶えてあげたんだ。

俺には支店を任せて、若い夫婦を助けるように頼んだ」


 実直さは大事だ。しかし、大きな商売をするには時に損切を厭わない冷酷さも持ち合わせなくてはいけない。

 ホール氏が恐れたように、若い夫婦は帝室御用達のイルタリア随一の商会を回しきれなかった。破綻して従業員が路頭に迷い、取引先に迷惑をかける前に、ホール氏は娘夫妻を経営から外し、全権をクラウスに与えた。はじめからそうすべきだったが、ホール氏は娘夫妻に今後一切、クラウスの邪魔をしないように己の分を弁えさせなければならなかったのだ。イルタリア一の大商人は、きっちりと損切をした。

 今度は、クラウスがホール一家を騙して、商会を乗っ取ったと非難される。言わせておけばいい。


「お嬢さん夫妻は田舎の大きな屋敷に居を移して、幸せに暮らしているよ」


 その座を譲る代わりに、ホール商会から上がる利益の幾ばくかが、毎年、彼らの懐に入ることになっていた。

 自分たちの代わりにクラウス・ホールを馬車馬のように働かせばいいのだ。


「俺みたいな若造が、一から商会を作ると思えば、安い出費だよ」


 そうして、彼はサイマイル王国に支店を作り、ついに故郷に戻って来た。

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