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26:第九場_ホール氏の屋敷  需要と供給、そして別枠

 計画書を書きはじめて三日後、アデイラはその成果をクラウスに見せに行くことにした。

 まずは概要だけ、という話だったが、それでも、これまで計画書など書いたことがないアデイラは苦心惨憺した。大学を出たフリードリヒは似たような心得があったが、簡単な忠告はしたものの、妹を手伝うことはなかった。計画に難色を示していることに加え、彼は彼で、毎日、忙しく街中に出ていて不在がちだったこともある。金策の心配は、ひとまず無くなったはずなのに、なにがそんなに忙しいのか、アデイラは問いただしたが、フリードリヒの「グスタフ陛下が……」という呻き声に察するしかなかった。


 そしてなんとか出来上がった計画書は案の定、クラウスに駄目出しされる。「はじめて書き上げた、という一点については評価出来る」


「そうよ! はじめてだったんだから! あなたの意見も聞いたし、次はもっと上手くやれるわ」


「まだ書くつもり?」


「当たり前でしょう?」


 何を言っているの? と軽蔑の表情を浮かべる。

 今日は水色のドレスを着ていた。レースで作られた小さな白い花が一面に散らされていて可愛らしいものだ。髪の毛は綺麗に巻いてもらい、上の方をゆるく結んだ後は、背中に垂らしてある。

 顔にかかった髪の毛を耳に掛け、クラウスの顔を覗き込んだ。「きっとあなたを満足させてみせるわ」

 しつこく感じたのだろうか、クラウスは怒ったように椅子から立ち上がって窓の方を向いた。


「ねぇ、クラウスさん?」


「なんですか?」


 相変わらず背を向けたまま、苛立った声でクラウスが答える。


「あの――私の舞台のチケットってどうなりました?」


 背中が震えた。

 それに必死で訴える。


「まさか忘れちゃったの? 私、すっごく楽しみにしていたのに」


 クラウスが窓枠に手を置いたまま、崩れ落ちた。


「クラウスさん!?」


「ごめん……取れなかった」


「はい?」


「取れなかったんだよ! 一枚も!」


 自分の思い通りにならないことは久々なのだろう。振り向いたクラウスの顔は赤かった。

 アデイラは言葉が出ない。しょんぼりとなる。


「ある所にはあるらしいんだが……私はサイマイルでは新興の異国の商人で、そこにたどり着ける伝手がないんだ。

君が地元で自由に観劇出来たのは、それはディモント公爵が主催者だったからだよ。

主催者が全てのチケットを買い取り、それを売るという契約をしていたならば、娘に都合することは容易だろう?

他にも有力者や関係者に融通することもある。

国王陛下が君にチケットを用意出来たのは、当然、彼が国王陛下だからさ。ご臨席を賜れば箔が付くし、今後の興行にも便宜が図ってもらえる。彼らは時に風紀を乱すと、規制の対象になることが多いから、上の方と顔を繋いでおいて損はない。

対して、私はしがない商人でしかないんだ」


「そうだったの……私、知らなかったわ」


 無知な公爵令嬢は恥じ入るしかない。「もっと簡単に観られると思っていた」まして一階がいいとか、通路側が良いなど、贅沢な話だった。観られないとなると、ますます観たくなる。もう観られるならばどこでもいい。嗚呼、いっそ劇場の壁になりたい。


「どうやら当日に立見券が出るらしいんだ。

それに並べば、もしかして観られるかも……立見で構わなければね」


 公爵家のご令嬢に立見なんて無理だろうと言わんばかりのクラウスに、アデイラは喜色満面で答えた。


「本当に!? 立見だっていいわ!」


 その反応を予想していたのかもしれない。クラウスは苦笑する。


「いつになるのか分からないんだけど」


「まぁ、私は一日、何の予定もないから、王都の滞在中なら、いつでも大丈夫よ。チケットを取る時は教えてちょうだい! 私が並ぶわ。……そうだ! お願いがあるんだけど」


「何? 観劇用に新しいドレスが欲しい?」


「必要ないわ。もうドレスはたくさん。

今、私が欲しいのは、外の空気よ」


 つまりどこかに出掛けたいのだ。観劇を持ち出したのも、それが理由でもあった。


「もうずっと家の中にいる。

ヘイブレアンに居た頃は、毎日、湖の周りを散歩したり、山を歩いていたりしていたの。

あなたのお家にご厄介になっている分際で失礼なのは承知の上で言うんだけど、最近、とても息苦しいわ」


「ああ……」


 クラウスは押し黙った。あまり賛成ではないと言った風だ。


「お願い! それに立見するのでしょう?

すっかり足腰が弱った気がする。鍛え直さなくっちゃ。

少しでいいの。公園かどこか散歩させて。

去年、王都に来た時に、素敵な公園を歩いたわ。広い池に噴水があった。あそこに行きたい。

そこまで馬車を出して欲しいの」


「分かった」


 短くそう言うと、クラウスは馬車を用意するよう、側に控えていたアーチボルトに命じた。


「ありがとう! 準備してくるわね」


 外出用のドレスに着替える必要があった。


 えんじ色で黒い縁飾りが大人っぽい雰囲気のものに決めてある。お揃いの帽子と小さなバッグもあったはず。日傘と靴は――。


「ねぇ、待って……! その髪の毛――」


「髪の毛?」


 アデイラはハリエットに巻いてもらった髪の毛を一房取る。このクルクル具合、気に入っている。なのにクラウスはそうではないようだ。


「――今日は風が強いから、まとめて行った方がいいよ。

砂や埃まみれになる」


 余計なお世話だと自覚しているのだ。クラウスの声は遠慮がちだった。そうでなかったらアデイラは腹が立っただろう。


「結い上げるのは苦手なの。

帽子を被っていくから平気よ」


 表立って反対はしなかったが、「ふうん」というクラウスの反応は、彼がまだ不満なこと表現していた。


「この我儘は許されないの?」


 アデイラの髪型にこだわりを見せるクラウスと違って、本人は別にそこまで執着している訳ではない。年頃の娘は髪を結い上げるべきだ。しかし、好きなだけ我儘を言えと唆した彼が、なぜ自分にその慣例を押し付けようとするのかが知りたかったのだ。

 だらしない? 似合わない? なんなの?


「悪かったよ。君の好きな髪型にすればいい」


 理由を問うと、あっさりと引き下がる。今度はアデイラが納得しない。


「私は理由が知りたいの!」


「――別に、特に言うほどのことはないよ。ただ……ただ気になっただけじゃ駄目なのかよ!」


 語尾に苛立ちが見えた。怒っているというか、何かに焦れているようだ。

 アデイラが首を傾げると、肩の上を髪の毛が滑り降りた。巻いた髪はバネのように弾んだ。

 その髪の毛に誘われるように、クラウスがその一房を絡めとった。

 驚いて身を引くと、髪の毛が引っ張られる。


「痛っ!」


「こうなるからだよ! 君のようなお転婆娘、きっと木の枝にでも引っかかるに違いない。

町場で働いている娘たちがどうして髪の毛をひっ詰めているか分かるか? 料理人たちがどうして布で髪の毛を包んでいるか分かるか?」


「分かったわよ! 分かったから……」


 不意にアデイラの瞳から涙が零れた。


「待って……ヘイブレアンの人間は泣かないんじゃなかったのか? なんで、こんなことで……そんなに痛かった?」


「違うわ……」


 髪の毛を下ろして、フラフラ遊びまわれたのは、公爵家の娘だからだ。みんな、髪の毛をまとめて働いている。それは押し付けられた慣習ではなく、ただの実用的な理由だった。

 チケットも、髪型も、アデイラは結局、何も知らない。

 それをクラウスに指摘されたのが悔しい……いいや、恥ずかしかった。

 自分は出会った時から、彼に軽蔑されているのだ。


「私のこと、お嫌いでしょうね」


「――まさか!」


 アデイラの髪の毛を強く握ったまま、クラウスは熱っぽい視線で彼女を見た。


「違う。本当は違うんだ。

君の髪の毛があんまり綺麗だから――だから……」

 

「だから?」


 綺麗ならばこのままでいいのではないか? アデイラはやはり何も分かっていない。

 クラウスは掴んでいた髪の毛が燃えだしたかのように慌てて手を放すと、足早に部屋から出て行った。


「アーチボルト!? どこにいるんだ、なぜ側にいない!」


 遠くでアーチボルトが答える。「旦那さまが馬車を準備しろと命じたんですよー!」


「ああ、そうだったよ」

 

 くそっと、クラウスが毒づく。


「ハリエット! アデイラ嬢にお菓子を用意してくれないか。

彼女、お腹が空いているらしい」


 残されたアデイラは何が起きたのか理解出来なかったが、ただ彼に触れられた髪の毛を握り締める。

 心臓が早鐘のように鳴っているし、顔は熱い。幸い、驚きのあまり涙は止まったので、お菓子を持ってきたハリエットに泣いていたのを気が付かれなくて済んだ……と思う。

 お菓子を食べながら、ハリエットに「髪の毛を結い上げてちょうだい。うんときつく」とお願いした。

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