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25:第九場_ホール氏の屋敷 特例が認められている

 その日の夕食はクラウスから招待を受けた。

 アデイラは用意された晩餐用のドレスに黙って袖を通す。そういう約束だからだ。

 本に夢中のアデイラを立たせ、ハリエットが改めて採寸し、用意してあったドレスを手直してくれたおかげで、ぴったりだった。はっきりとした黄色のドレスで、ふんわりとした袖に翡翠色のリボンがついている。

 途中で新しいドレスについても相談を受けたような気がしたが、上の空で返事をした。


「お食事の時間です!」


 ハリエットがアデイラから本を取り上げる。髪の毛もいつの間に結い上がって、ドレスと同じく翡翠色のリボンで飾られていた。


「せっかく整えたんですよ。髪の毛を触らないで下さい」


「こんなにきっちり髪を結うのに、まだ慣れないの。

頭が痛くなりそう」


「申し訳ございません。次からはもう少し緩く結いましょう。

今晩は我慢出来そうですか?」


「ええ。多分」


 迎えに来た兄は「とてもよく似合っている」と褒めてくれた。フリードリヒは公爵として最低限の体面を保てる服を何着かは用意してあったので、それを着ている。少しでも節約したい気持ちはあれども、そこはケチってはいけないのだ。

 クラウスは、と言えば、一瞥した後、「ふうん」と呟いた。それで終わり。

 だからわざとアデイラは彼の上着を褒めた。「その色、あなたに良く似合っているわ」それから気づいた。彼女のリボンと同じ色……同じ生地のようだ。

 節約が身に染みついていた公爵令嬢は、あの上着を仕立てた時の生地が余っていたのね、とだけ解釈して、わざわざ彼がその上着を羽織った偶然についてまでは考えに至らなかった。


「どうぞおかけ下さい。今日はヘイブレアンと我がイルタリアの食事を用意させました。

お口に合うといいのですが」


 アデイラの誉め言葉に儀礼的な返答もせずに、クラウスは二人を席に誘った。

 食卓には銀と磁器の食器が、背の高い蝋燭の炎の下できらめいていた。白い薔薇が飾られ、白いナプキンも薔薇の形に折られている。

 こんな贅沢な食卓を見たのは、去年の王宮での晩餐会以来だったので、アデイラは粗相しないか緊張したが、クラウスも兄も厳しい観察者ではないと思い直し、気を楽にすることにした。

 

 夕食の席でもトワーズ伯爵の運河計画が俎上に載った。


「クラウスさんはこちらには投資されないのですか?」


「そうしたいのは山々ですが、すぐに実行するのは難しい」


 フリードリヒもその困難さが分かっているのだろう。小さく頷きながらクラウスの話を聞いている。


「運河を作れば国が豊かになる。

けれども、不便だからこそ、そこで利益を得ている流域の領主たちにとっては、面白くないのですよ。

その上で、異国の人間が手を出すと、よからぬ疑念を抱かせて、上手くいくものもいかない」


 勝手な話だ。アデイラは憤る。


「最近、まずは港を改修しようという話が出ているようですね」


 公爵でありながら港で日雇いの荷運びをしてるフリードリヒがそんな噂を耳にしたと言う。彼はただ日銭を稼ぐためではなく、そこで様々な情報を仕入れていた。運ばれていく荷物の種類や量だけでも、いろいろなことが分かるのだ。


「私も聞きました。

トワーズ伯爵を信奉するマッジ氏という商人が先頭に立って計画しているようですね」


「しかし、思いのほか地盤が良くなく、さらなる調査と資金が必要とか」


 フリードリヒは難しい顔になる。「こういう計画は機運が盛り上がった時に一気に進めるべきです。人は成功の尻馬に乗りたがる。躓けば、せっかくその気になった人たちが、すぐに離れていくでしょう」


「そうですね。

トワーズ伯爵の語りは巧みですが、よく読めば、まだ詳細が甘いところがある」


 クラウスの評価にアデイラは行儀悪く声を上げた。


「そうなの!?」


 彼女にはトワーズ伯爵の計画は素晴らしいものとしか読めなかった。


「トワーズ伯爵はある意味、詐欺師の才能がある」


「それならどうして私に参考にしろって言ったの?」


「言っただろう? 私をその気にさせればいいんだ」


 クラウスが薄く笑ったので、アデイラは「ふうん」と呟いてみせた。彼は端から自分の計画を軽視している。だからこそ、びっくりするような計画書を仕上げてみせるんだから、という対抗心が沸き上がってくる。

 そこにフリードリヒが水を差してきた。


「私はヘイブレアンの真珠で商売をする考えは賛成できないよ、アデイラ」


「どうして? おじいさまからの悲願だわ」


「真珠は人を狂わせると言い伝えられているのを忘れたのか?」


 かつてヘイブレアンを治めた領主が、真珠を採るために領民たちを湖に潜らせた。深い湖の底で多くの領民が亡くなり、また真珠を吐く貝もいなくなった。

 人々はそれを”湖の乙女”の怒りと恐れる。


「採り過ぎたのですね」


 クラウスが素っ気なく指摘した通り、ヘイブレアンの湖から真珠を吐く貝がいなくなった理由は乱獲だった。

 

「でも、貝は戻って来たわ。

このスープにも入っているでしょう?」


 今晩のスープはアデイラの好きな真珠を吐く貝を羊の乳で煮込んだものだった。

 神聖イルタリア帝国は海岸線が長い国のせいか、クラウスも魚介類の献立を好むらしく、この味は彼も気に入ったらしい。

 

「ディモント公爵は代々、湖から採れる真珠を吐く貝の数量を管理しています。

貝自体が美味しく栄養があります。冬の間の貴重な食料であって、真珠は二の次です。

もし真珠が見つかれば、それはある例外を除いてディモント公爵の所有となります」


 真珠に目が眩んで、再び乱獲が起きないように、だ。


「賢明ですね。

真珠も水利と同じように利権が絡み、時に醜い争いになります。

ヘイブレアンを守るためには、真珠の取り扱いは慎重になった方がいい」


 クラウスは匙を持って、貝のスープをすくった。「差支えなければ教えて頂きたいのですが、ある例外とはなんですか?」

 「それはですね――」とフリードリヒが言いかけた時、スープを口に含んだクラウスの眉が寄った。手を口に持って行く。「失礼、砂が……にしては大きい??」


「クラウスさん、飲み込まないで!」


 アデイラが立ち上がって駆け寄る。フリードリヒも続く。

 公爵家の兄妹に挟まれながら、クラウスが口の中の異物を上手に吐き出した。


「真珠だ」


 クラウスの手の平に、小さく歪な真珠があった。「こんなことあるのか?」真珠を吐く貝は、勿論、中に真珠が入っていないかどうか念入りに確認されるはずだ。その後、保存のために、茹で上げ、日に当て、風に晒して乾燥させるが、その過程でも真珠は探される。こんな大きな真珠が見逃されるはずがない。


「それが例外です」


 ヘイブレアンの真珠に所有権を持つ公爵が興奮を抑えながらクラウスの質問に答えた。


「は?」


「誠に不思議なことですが、ごくまれに、このように口の中に入るまで、その存在を知られない真珠があるのです」


 これまた”湖の乙女”からの贈り物と言う。


「だからこの真珠はあなたのものよ。

持っていると欲しいものが手に入るんですって」


 アデイラもはじめての経験だったが、言い伝えに従って祝福する。

 そんな彼女をクラウスがじっと見つめた。「……が手に入る?」

 

「え? なに?」


「いや、なんでもない。

良かったらアデイラ嬢に差し上げよう。

君の真珠の代わりに」


「駄目よ。

”湖の乙女”はあなたを選んだのだから。

ねぇ、お兄さま?」


 フリードリヒも静かに同意する。「どうぞお持ちください。それが決まりです」

 クラウスはそれ以上、何も言わずに、目の前にあったフィンガーボウルに入れようとして顔を顰めた。


「あ、これレモン水?」


 給仕に確認すると、彼は頷いた。そして代わりに清潔なナプキンを差し出したので、クラウスの真珠はそこに落ち着いた。


「あとで洗って、クラバットピンにでもさせていただきます」


「それはよい考えです」


「ねぇ、林檎の形に似ているから、上に小さな葉をつけて、林檎のピンにしてみたらどうかしら?」


 真珠を一瞥したアデイラが提案する。歪な形の真珠は個性的で、その形を活かすした装飾品にすれば価値が跳ね上がることがある。

 するとクラウスは一瞬、虚ろな顔になった。「林檎の意匠は、自分はあまり好きではありません」と言うことらしい。


「アデイラ嬢の見立ては良いと思います」


「そう? でも、身に着けるものなら、自分の気に入った意匠の方がいいわ。

どうぞお構いなく」


 それから話題は再び運河の話になり、食事の最後に出て来た甘味は林檎を甘く煮たものに、冷やしたクリームを添えたものだった。

 クラウスは林檎の味は嫌いではないらしい。

 実際、その甘く煮た林檎はとても美味しくて、アデイラはお代わりをしたほどだった。どうやら彼女が酸っぱめの林檎が好きなことを覚えていたらしい味付けだったのだ。

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