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24:第九場_ホール氏の屋敷 将来への投資

「今年は、ね。

でも来年は? その先は?

毎年、こんな綱渡りをしていくの? 

お兄さまが王都の大学に通う費用と、私の社交界への披露。そして、今年の持ち出しで、これまで蓄えていた真珠はほとんど使ってしまうわ。

勿論、お兄さまの学費は無駄じゃない。

お兄さまが王都の商人たちと渡り合って、去年は適正価格で羊毛を売れたんですもの。

そして、大学や留学で得た知識を活かしてヘイブレアンを改革しようとしている。

でも、先立つものがない。

このままじゃ、いつまで経っても、ヘイブレアンは貧しいままなのよ」


 アデイラが指摘しなくても、フリードリヒだって分かっていることだった。

 「ふうん」と嫌味っぽい声がする。勿論、クラウスだ。


「だから君が身を売って、その資金を稼ぐと?」


「私、去年、舞踏会に出たの」


 まったく関係のないような話をしはじめるアデイラに対し、フリードリヒもクラウスも耳を傾ける。


 最初のダンスと次のダンスは国王・グスタフと踊った。それから兄の学友たちと踊る。それで終わりだった。

 アデイラは公爵家の娘だったが、辺境の貧しい家と知られているので、王都に住む貴族の若者たちからは積極的に誘われなかったのだ。

 グスタフはそれを見越して、アデイラを“ヘイブレアンの真珠”と大袈裟に褒め称え、貴公子たちの興味をそそったのだが、本人たちがその気になっても、彼らの身内が許さなかった。

 舞踏会など、貴族同士のお見合いのようなものだ。偶然出会った若者たちが恋に落ち結婚するなど、物語の中だけの話で、出席者の血統や財産は全て調べ尽くされ、大人たちが望むように縁組させていくための市場なのだ。

 アデイラの身分は申し分なかったが、多くの貴族たちにとって重要視しているのは持参金の多さだ。


「私たちは牛や馬、羊みたいに引き回され、値踏みされて売られていく」


 クレイスフォルツ氏に身を売るのと、何が違うのだろうか。ただ、体面が保たれるかどうかの違いだ。

 フリードリヒは押し黙った。

 彼もまた、客観的に見れば若い美丈夫の部類に入った。おまけに公爵だと言うのに、近寄る令嬢はいない。

 かつては国境を護る公爵家へ嫁ぐことは名誉でもあったが、時代が経るにつれて、令嬢たちは不便で貧しいヘイブレアン行きを避けるようになっていた。

 中には「王都に屋敷を構えましょう。妻子はそこで暮らさせればいい」と言う縁談もあったが、フリードリヒは断ってしまう。

 それでは領民をまとめられない。王都で育った公爵は、そのままヘイブレアンから遠ざかってしまう可能性もあった。

 このままでは公爵家自体が絶えてしまう。

 それを打開するためにも、ヘイブレアンの改革は急務であった。

 

 具体的には――「もしかして、君はヘイブレアンの真珠で商売か何かしようと考えている?」

 クラウスは先ほどまでアデイラが熱心に読んでいた本を取り上げた。リーゼロッテがアーチボルトから聞き出して、図書室から持ってきた真珠について書かれている本だった。

 アデイラは小さく頷いた。頬が赤らむ。乱れた髪の毛を耳にかけ、彼を見上げた。「真珠を作り出せないかと思って」


「――いろいろな国の産地で試みられ、まだ誰も成功していない」


 クラウスは本を捲っていた手を止めた。そのページに何かひどく興味を惹かれることが書いてあったのだろうか。鼻の頭を突っ込むかのように、熱心に目を通しはじめた。


「ええ……先々代の公爵、私の祖父が思いついたの。

まず数を増やすことからはじめたわ。

数が増えれば、真珠を吐く貝も多くなるでしょう?

ようやく安定した数が採れるようになったから、今は、どういう場所で育てれば、真珠を多く吐くか傾向を調べているところ。何か法則があるはず。

真珠は小さいから王都へ運んで売るのも楽だわ」


 実際にヘイブレアンから王都へ旅をしたアデイラはそれが身に染みて分かった。

 かさばる荷物は運ぶだけで費用がかかる。その点、真珠は一度に多く運べる上に、高く売れるのだ。


 本から顔を上げて、クラウスがどこか悔しさを滲ませた口調で呟いた。「なるほど。クレイスフォルツは真珠の扱いに長けている……」


 フリードリヒも苦々しい顔になった。


「ええ。今回、お兄さまが直接、真珠をお金に換えることになったから、王都のクレイスフォルツ氏へ相談の手紙を書いたのよ」


 あなたに“ヘイブレアンの真珠”をお預けしたい――。


 クラウスが呻いた。


「“ヘイブレアンの真珠”……もしかしなくても、クレイスフォルツはそれをアデイラ嬢のことだと誤解した?」


「そうみたい。

それで私を買い受けますって返事をしたものだから、兄は怒って……」


「あたりまえだ……!」


 フリードリヒは絞り出すような声で怒った。

 しかし、アデイラはそこに勝機を見出した。彼女は兄に無断でクレイスフォルツ氏に手紙を書く。


「私だって、何も考えていなかった訳じゃない。

クレイスフォルツ氏の妻になって真珠の売買や他の産地について学べたら、役に立つかと思ったのよ。

ヘイブレアンの真珠は湖から上がるけど、海の真珠の方が高く取引される。その違いも知りたい」


 「ふうん」とクラウスが呟いた。本を置いた。


「君はヘイブレアンの真珠をどう活用していこうと考えているか、紙に書ける?」


「? 書けると思うけど。どうして?」


「もし私の興味を引かせることが出来たら、必要な資金を投資してもいい」


 「え?」とアデイラが身構えた。「あなたが私を買うの?」


「まずその考え方を改めるべきだな」


 クラウスはうんざりした声で言った。


「投資とは、私が将来的に利益が出ると見越したものに金を出すことだ。

質は取らない。失敗すれば、私が損をする。

君は真珠の養殖について成功する見込みを提示して、私がお金を出すように説得するんだ。

将来的に儲けが出ると、信じさせろ」


「無理だわ!」


「君はそんな自信のないものに、自分を賭けたのか?」


 そう言われると、アデイラは自分の考えは随分とふんわりしていることに気が付いた。 

 しかし豪語した手前、すぐに出来ないと言うのも悔しい。


「どうやって書いていいのかが分からないの」


 そうこうしている内に、クラウスはアーチボルトに命じて、何冊かの本を持って来させていた。


 『サイマイル王国と運河開発について』

 『サイマイル王国の港の拡充がもたらす国益について』


 どれもトワーズ伯爵という人物が書いたもののようだ。


「これはトワーズ伯爵が投資を呼びかけるために作った本だ。

かなり良い出来だ。

これを参考に書くといい。

運河についてではなく、真珠について、だ」


 「出来るか――?」とクラウスが聞いた時には、アデイラはすっかりトワーズ伯爵の語るサイマイル王国の未来に夢中になっていた。

 ヘイブレアンから王都、そして港を貫く運河が整備されれば、水利が良い国に代わる。

 素晴らしい考えだ。おまけに、なんだかよく分からないが、絶対に上手くいきそうな気がしてくる。

 

「アデイラ嬢?」


 クラウスに声を掛けられても彼女は反応出来なかった。

 気が付いた時には彼は退室しており、兄が代わりにその席に座っていた。


「お兄さま?」


 ただ座っている兄を、アデイラは不審に思ったが、「お前が元気そうで良かった」としみじみ言われると有難さと気恥ずかしさが襲う。


「心配かけてごめんなさい」


「そうだね。クレアも心配していた。あとで顔を見せに行こう」


「……うん」 


 久しぶりに会ったのだから、フリードリヒはもっと話をしたそうだったが、アデイラはトワーズ伯爵の本の続きが気になって仕方がない。


「お兄さま、こちらをご存知ですか?」


「ああ。私も全て目を通した。

実現すれば素晴らしいね」

 

 しかしそう簡単にはいかないらしい。

【参考文献】

山田 篤美 著/『真珠の世界史 富と野望の五千年』/ 中央公論新社 /2013.8

山田 篤美 著 /『真珠と大航海時代 「海の宝石」の産業とグローバル市場』/ 山川出版社 / 2022.11

フィオナ・リンゼイ・シェン 著/『真珠の文化誌』/ 原書房 /2023.6

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