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22:第九場_ホール氏の屋敷 新規参入

 サイマイル王国の若き王・グスタフはアデイラにとっては気さくで親しみやすい人物であった。

 しかし勿論、公爵令嬢と雖も、国王に舞台俳優の手紙を配達させるなんて、あってはならないことである。ちなみに、オリヴィアからの返事もグスタフが取り持った。

 

「……言われてみれば……そうかも」


 俄かに青ざめる。

 もっとも、クラウスは楽し気に笑っていた。

 

 この人、こんな風にも笑えるのね、とアデイラは思った。なぜだか顔が熱くなる。また熱が上がってきたのかもしれない。


「では、アデイラ嬢。チケットを用意しよう。

二階の桟敷席でいい?」


 強調するように、指を二本立てて見せられたアデイラは慌てた。


「――いいえ!

今度は一階がいいわ。最前列か、それが無理なら通路側でお願い。

客席降りがあるかもしれないから」


「客席降り?」


 クラウスは自分がこれまで聞いたことのない単語ばかりに戸惑いながらも、面白がっているようだ。


「そう、役者さんが通路を練り歩くの」


「それが?」


「もしかしたらオリヴィアさまが近くを通るかもしれないのよ!

二階席から見ていて、すごく羨ましかった」


 興奮するアデイラに対し、クラウスの「ふうん」と呟いた。

 例によって呆れているのかと思いきや、喉がくっくと笑っていた。

 それから「では、そのようにしよう」と請け負ってくれた。

 また銀の匙を取り上げる。


「舞台を見に行くのだろう?

そんなフラフラでは無理だ。完全に体調を戻さないといけない」


「……分かっているわ」


 アデイラはクラウスから器を受け取ろうとしたが、やはり匙を差し出された。


「旦那さま、外でアーチボルトが待っています」

 

 ハリエットが扉の向こうをしきりに気にしている。仕事が立て込んでいるのだろう。

 それなのにクラウスは「あと数口分は必ず食べてもらう」と譲らない。

 

「分かったわよ」


 早く食べないとアーチボルトとやらに恨まれそうだ。アデイラは大人しくクラウスから食事を食べさせてもらった。

 昔、幼いリーゼロッテが体調を崩すと、こうやって食べさせてあげていた。

 それが今は、リーゼロッテの前で子どもみたいに扱われている――そう思うと恥ずかしさで、ますます顔が赤くなっていくのが分かった。


「もういいでしょう? 後は自分で食べられる。

ちゃんと食べるから」


 さすがに耐えきれなくなったアデイラがクラウスに訴える。


「……あ、そうだね」


 やけにあっさりとクラウスがアデイラに器と匙を渡し、外に出て行った。「旦那さま! すぐに戻るとおっしゃったじゃないですか!」「すぐに戻ったじゃないか」「どこがですか? 三つは仕事が片付けられるほど長居していましたよ」「分かったから、ここで騒ぐな」

 声が次第に小さくなっていくのを聞きながら、アデイラは器の中身を全て食べ干す。すこし咽た。

 それから他の食べ物にも手を出そうとしたがハリエットに止められる。


「いけません。今はそれだけで」


 アデイラはようやく空腹を感じられるようになった。


「早く元気になりたいわ。

だって――観劇なのよ!」


 うってかわったアデイラの様子に、ハリエットは安堵しつつも厳しい態度で臨んだ。


「夕方まで少しお休みください。

顔が赤いですよ。熱が出てきたのかもしれません。

リーゼロッテ、あなたはアデイラさまの担当ではないのですから、自分の持ち場に戻りなさい」


「そうなの!?」


 考えてみればそうだ。アデイラの近くに置いたら、意味がないだろう。


「はい。

アデイラさまは引き続き、私がお世話いたします。

下がりなさい、リーゼロッテ」


 リーゼロッテはしょんぼりとしつつも、おぼつかない礼をして立ち去ろうとした。


「待って!

私、毎日、少しだけでいいからリーゼロッテと話をしたいわ」


 アデイラは自分を我儘な公爵令嬢と思い込ませた。我儘は本当に体力がいる。


「明日もリーゼロッテを寄こして。

あの……仕事が一段落ついた後で構わないから。少しだけ、ね?」


 最終的に遠慮がちになってしまったアデイラに、ハリエットはため息を吐いた。


「……かしこまりました。そのようにいたします。

さぁ、リーゼロッテ。アデイラさまとの時間を作る為にも、なまけずに働くのよ」


「はい!

ハリエットさん、私、働き者ですよ。なまけたりなんかしません」


 口答えしながらリーゼロッテは軽やかな足取りで部屋から出て行った。

 ハリエットはこめかみを押えている。「本当に大丈夫かしら?」

 彼女が心配したように、リーゼロッテはあらゆる失敗をしたが、「一通りやらかしました! だから後は向上する一方です!」と、めげることはなかった。 

 

「お嬢さま、旦那さまは……あ、クラウスさまのことですよ。旦那さまって呼ばないといけないんです。

それで旦那さまはサイマイル王国の人間ではなく、神聖イルタリア帝国出身の商人だそうです」


「先代のホール氏に目を掛けられ、身代をそっくりそのまま譲られたとか」


「ただ先代のホール氏には実子がいたそうですが、旦那さまが追い出したとか嫌な噂もあるようです」


「それからホール商会でも真珠を扱っていました。もっとも、真珠の取り扱いは面倒なんですって。

地域によって独自の商習慣があって、新参ものが参入するのは厳しいとか。

アーチボルトさんから聞きました。アーチボルトさんは旦那さまの右腕? とか言う存在らしいです。

いつも忙しい忙しいと口走りながら、目を血走らせて、そこら中、走り回っています」


 寝台から降りて歩行訓練をはじめたアデイラに、リーゼロッテは集めた情報を教えてくれたのだ。

 これがアデイラがリーゼロッテと毎日少しずつでも話したいと言った理由の一つでもあった。

 とにかくクラウス・ホールが何者なのか、アデイラにはまったく分からなかったのだ。彼女は王都の主要な商人について調べたはずなのに、クラウス・ホールの名は出てこなかった。

 それもそのはず。彼は異国から来た新参者だったようだ。ただし、サイマイル王国のクレイスフォルツ氏を騙して財産をすっかり巻き上げるほどのやり手で、資金力もずば抜けているらしい。


「お嬢さま、元気になられましたね」


 もう一つの理由は、やはりお互いの様子を確認したいからだった。リーゼロッテもアデイラの回復ぶりを見て喜んでくれる。


「そうね。最近の食事、口に合うのよ」


 アデイラの感想にリーゼロッテの視線が少し泳いだ。


「あの貝のスープ、美味しかったわね。

まるでヘイブレアンに帰ったよう」


 それどころかヘイブレアンの味そのものだった。あの真珠を吐く貝を羊の乳で煮込んだスープで、王都の料理人が作れるとは思えない。


「それは良かったです!」


 リーゼロッテは淀みなく喜んだ。


「リーゼロッテ、私に何か隠していること、あるでしょう?」


 単刀直入に聞いてみる。


「あります! あっ……でも言えないんです!」


 「だって隠し事ですから」とあっけらかんと言うリーゼロッテを、アデイラはそれ以上、問い詰められなかった。


 その隠し事が分かったのは、それから数日後。

 すっかり床が上がり、アデイラはクラウスが用意した飾り気のない青と銀の縞模様のドレスを着て、ソファに座って本を読んでいた。髪の毛は結い上げずに背中に垂らしてある。

 ドレスについてもひと悶着あったが、「寝間着のまま観劇に行くのか?」と聞かれれば、アデイラは断れなかった。「弱みを握られちゃった?」

 しかし、彼女が握られたものはそんなものではなかった。


 ハリエットが緊張した面持ちで部屋に入って来た。


「アデイラさま……お会いしたいと言う殿方がお越しです」


 アデイラに面会を希望する殿方なんて、今の所、クラウスしかいない。

 彼は神聖イルタリア帝国とサイマイル王国を行き来して商売していた。この間、しばらく留守にすると挨拶を受けた。そう言えば、屋敷の中から慌ただしい気配を感じる。

 クラウスが戻って来たのかもしれない。

 けれどもハリエットの態度からすると、彼ではないのだ。

 パタンと、アデイラは本を閉じた。


「お兄さまね?」


 言い当てられたハリエットはハッとした後、小さく頷く。

 扉が開き、やや険しい表情のクラウスに連れられて、アデイラの兄であるディモント公爵フリードリヒ・ゲオルグ・ミラースが入って来た。

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