表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/40

02:第一場_橋の上 恋に落ちる

 橋の上ではまた騒動がおきる。着飾った若い娘が、何人かの男に取り囲まれ、あの青年に追い払われていた。

 その顛末を見て、どこからか「ちっ、余計な真似を」という声が聞こえた。

 ゲルトルートが見ると、整った顔に邪な表情を浮かべた男がいるではないか。

 どうやら、悪漢から助け出して、若い娘から好意……もしくはそれ以上を得たいと企んでいたようだ。

 だが、あの青年に阻止された。

 迷子も。暴れ馬も。それから、ちょっとしたいざこざも。

 全てあの青年が間に入って、納めている。

 

 お節介な人。

 ゲルトルートは面白くなってきた。次は誰を助けるのだろう。この橋で困っているように見える人は……「あら、もしかして、私じゃなくって?」


 そしてまた、あの老婆の声が響く。


「私の砂糖をどこにやったんだい!」

 

 今回、転がった林檎を拾ったのは、地方から出てきたばかりの、人の好さそうな男だった。

 男が慌てふためいて、今にも懐からお金を出してしまいそうだ。

 世の中には、あんな風に押しまくられると、動揺して相手の言いなりになってしまう人間が一定数いる。

 ゲルトルートの脳裏に一人の姿が浮かぶ。

 イーサンもそうだった。可哀想なイーサン。パメラに押し負けてしまった。

 もう一つの林檎を拾う。さっきりよもさらに痛んでいる。


「私も林檎を拾ったわ」


「また、あんたかい」


 老婆はうんざりした様子だ。


「一体、いつまでここにいるんだ。

馬鹿な娘だね。男に騙されたことじゃなくて、そんなことで橋から飛び降りようとしていることがだよ」


「まさか、そんなことはしません」


 否定したものの、ゲルトルートが気落ちしていているのは事実だ。そう見えても仕方がない。


「そうかい。

じゃあ、なんだっていつまで愚図愚図してるんだい」


 林檎を拾った男は、老婆の注意が逸れたのをこれ幸いと、逃げて行く。

 捨てられた林檎は大きくて頼もしい手が拾う。


「おばあさん、林檎と、それから砂糖を見つけましたよ」


「なんだって?」


 あの青年が袋に入った砂糖を老婆に渡す。


「これで今日はもう商売は終わりにしなさい」


 威厳はあるが、何とも言えない優しい口調だ。老婆だって、やむにやむれぬ事情で、こんなことをしているのだと、分かっているのだ。

 ゲルトルートは泣きたい気分になった。

 が、老婆の方と言えば、感じ入った様子はなく、袋の中の砂糖を確認すると叫んだ。「なんて酷い砂糖なんだい! まるでこのお嬢ちゃんのドレスみたいだ」


 青年がゲルトルートのドレスを見たので、彼女は途端に、恥ずかしくなる。思わず「私のドレスじゃないの!」と口走って、さらに赤面する羽目になった。

 老婆はふんっと鼻を鳴らした後、青年から砂糖を買った店を聞き出した。

 文句を言いに行くらしい。 


「危ないですよ」


「危ないもんか! あんたもついてくるんだ!

騙されたのは、あんたなんだからね!」


「フリードリヒと言います」


「あ? ああ、私のことはルルー嬢とお呼び」


 ルルー嬢は白髪を振り乱し、歩き出す。フリードリヒは老婆の名乗りに虚を突かれたせいか、彼女が石畳につまづいた時、反応が遅れた。代わりにルルー嬢を支えたのはゲルトルートだった。


「おっと、お嬢ちゃんの割に気が利くじゃないか。

あんたもおいで。この男じゃ、私の杖代わりにはデカすぎる。

なんでも限度ってものがあるだろう?

何を食べたらそんなに大きくなるんだ、えっ!?」


 理不尽な言いがかりをつけながら、ルルー嬢はフリードリヒとゲルトルートを引き連れて、橋の上にある砂糖を取り扱っている店に行った。

 そこで猛然とまくし立てはじめる。


「なんだい、この詐欺師野郎め!

上の見本にだけ上等な砂糖を詰め、下の売り物は混ぜ物かい?

それにしたって、いくらなんでも限度ってもんがあるだろう。

これじゃあ、ただの砂だよ、砂!!」


 店主はルルー嬢を追い払おうとしたが、青年が厳めしい顔をして背後に立つものだから、すっかり恐れ入って、これはもう降参するほうが早いと計算して、隠していた砂糖を出してきた。

 それを受け取ったルルー嬢は至極ご満悦で、「これで嫁に甘い林檎煮をたらふく食べさせられる」と喜んで見せた。


「あら、お孫さんじゃなかったですか?」


 ゲルトルートが指摘すると、「あぁ? 孫にやるなら、その母親にも食べさせないとね。あんたも母親が待っているだろう。とっとと帰りな」と言った。「母は亡くなりました」と答えると、ルルー嬢はふんっと鼻を鳴らすと、痛み切った林檎を、ゲルトルートとフリードリヒに一個ずつ渡し、自分は砂糖の包みだけを大事に抱えて去って行った。


「お気を付けて」


 フリードリヒが、やっぱりそう声を掛けた。


 すでにゲルトルートは彼が気になってたまらなくなっていた。

 橋の上から川面を覗き込み、物思いにふける若い娘。

 親切な青年にしてみれば、見逃せない存在だろうに、どうして自分は無視されるのだろう。


 試しに頬に手を当て、ため息をついてみた。

 すると、ようやくフリードリヒは彼女に声を掛けてきてくれた。 


「あの、何かお困りですか? もしよろしければお話だけでも聞きましょうか?」


 ゲルトルートは嬉しくなる。

 調子に乗って、からかうような口調で聞き返した。


「やっと私の番?

ねぇ、あなた、私がここにいる間、何人、人助けをしたかしら?

こんな見るからに失意に打ちひしがれて、今にも身を投げようとしている娘を、随分と長く、放っておいたのね」


 するとフリードリヒが答える。


「もしそんなことがあれば、すぐにでも助けられるように、気を付けていました。

あなたが随分と長くお悩みのようでしたので、その間に、いろいろなことに巻き込まれたんですよ」


 それから焦った様子で付け加える。「いえ、そのずっと見ていたわけではなくて、いえ、ずっと見ていましたが、変な意味ではなくーーあの……何かお困りでしょうか?」


 彼の真心に、嘘偽りがないのは、これまでの行動を見れば分かる。

 ゲルトルートはフリードリヒへの態度を反省した。そして、彼の心配に応えなくてはいけないと思った。


「私、婚約破棄されたの」


「え……」


「私、婚約を破棄されたんです、ついさっき」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ