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16:第七場_王宮 見落とさない

 付き添いのアレマ夫人は控えの間に留められたので、謁見の間には、ゲルトルートとグスタフの二人っきりだった。

 国王の周りには侍従長と侍従たち、女官長と女官たち、近衛の兵士が数人いたが、彼らは頭数に入らないので、公式の記録では一対一の面会だった。

 ゲルトルートは俄かに緊張したが、グスタフは王座にあっても酒場の椅子に座っているのと変わらない気さくさで彼女に声を掛けた。


「やぁ、ゲルトルート嬢。そう呼んでも構わないかな?

今更改まった呼び方は勘弁して欲しい。

それにしても、よく分かったね」


「名前を……ディモント公爵の名前を確認しました」


 フリードリヒ・ゲオルグ・ミラース。それが今のディモント公爵の名前。


「トワーズ伯爵邸の書斎には、昔の紳士録しかなかったはずだが?」


 代替わりして数年なので、少し昔の紳士録には先代のディモント公爵の名前が書いてあるのだ。

 グスタフは書斎でちゃんと確認していた。

 一方で、ゲルトルートも抜かりはなかった。知り合いから最新のものを見せてもらったと説明する。彼女の父親が、古新聞を読みながら「情報は常に古くなる。だから、本当に知りたいことは、出来るだけ新しいものを手に入れる努力をしなければな」と教えてくれた、とも。グスタフがにやりと笑った。


「フリードリヒさんは……いえ、ディモント公爵閣下は――」


「フリードリヒでよい。私が許す。ゲオルグのこともだ」


「フリードリヒさんは、名前を偽ったりしないと思いますし、その必要もないはずです。

他の人の名を騙る必要があるのは、ゲオルグさんでしょう」


 グスタフは面白そうな顔で頷いた。「しかし、それでゲオルグがグスタフだとなぜ分かった?」


「フリードリヒさんとゲオルグさんは親友には違いありませんが、やはりどこか遠慮が感じられました。

ゲオルグさんが主で、フリードリヒさんが従でした」


「あいつは真面目だからなぁ」


 だからバレるんだ、と言いたげなグスタフに、ゲルトルートは少しムキになる。


「逆に、陛下は面白がって、私に気が付かせようとしませんでしたか?」


 フリードリヒの堅い口を開けられる特別な人間であること。

 ディモント公爵の手紙を受け取れる立場にあること。

 彼は時々、自分がフリードリヒよりも上の立場であることを匂わせていた。

 フリードリヒが公爵であることが分かれば、その上の立場の人間の数は限られる。そこに年齢などを加味すれば、サイマイル王国で該当する人物は国王しかいない。


 ゲルトルートの指摘に、グスタフは手を叩いて笑った。侍従長が顔を顰める。


「さすがゲルトルート嬢。私が見込んだ通りのお嬢さんだ」


「……ありがとうございます」


「今日はそれを確かめに来たの?」


「はい。

春に、フリードリヒさんに会う前に、知っておきたかったんです」


 「ふーん」とグスタフは頬杖をついた。女官長が見とがめるように、片方の眉を上げた。


「フリッツと結婚するの?」


「それは……フリードリヒさんのお気持ち次第です」


「なんだ、あいつ、まだ迷っているんだ」


 グスタフが王座から離れ、ゲルトルートの前まで来ると、跪いた。


「陛下!?」


 侍従長と女官長が呆れ顔で、伯爵令嬢の前に屈した国王を見ている。

 ゲルトルートは慌てた。これは一体、どういうことだろう?


「ゲルトルート嬢。

ならば私と結婚してはみないか?」


「――!」


「王妃になれば、国家予算、使いたい放題だぞ?」


 ゲルトルートの目を見ながら、グスタフはいたずらっ子のような笑みを見せた。

 からかわれているんだわ、と思っても仕方がない表情だった。だから彼女は気兼ねなく断りの言葉が出る。


「陛下!

ご冗談はおやめ下さい。……使いたい放題なんて、出来ないのでしょう?」


「そんなにディモント公爵と結婚したいの?」


「私は、フリードリヒさんと一緒になりたいです」


「残念。フラれちゃった」

 

 グスタフは立ち上がると膝をかるく叩いた。勿論、王宮は磨き抜かれ、汚れなどない。

 豪華だが、冷たい場所だ。

 不意に、ゲルトルートは気づいた。

 彼はここに一人で座っている。とても寂しそうに見えた。

 もしかしたら求婚は本気だったのかもしれない。少なくとも、あんな風に軽く拒絶すべきではなかったのではないか。


「あの……」


「いいんだ。

私の王妃になれる貴族の娘は百人以上いるだろうが、ディモント公爵の妻になれるのは、サイマイル王国に君一人だけ」


「そんな……!」


「本当さ。君はあの“羊の血と臓物の煮込み”を美味しいと食べた。

あの時に、私の負けは決まった」


 「だからとっとと告白すればいいのに、あいつは何をやっているんだ?」とグスタフが王座で怒って見せた。


「フリードリヒさんは妹さんのことが気になっているのでしょう」


 ディモント公爵令嬢アデイラ。

 アデイラはフリードリヒの恋人ではなく、妹だったのだ。

 つまり彼は領民のためとは言え、妹を売った――。


「そのお金で、自分が幸せになることを許せないのですわ。

あ! 私と結婚することが望みかどうかは――分かりませんが」


「あの年の飢饉を収められなかったのは私だ。

アデイラ嬢を売ったのは私だ……」


「陛下」


 ヘイブレアンはサイマイル王国の一部。グスタフはサイマイルの王。つまり、ヘイブレアンの不幸は彼の至らなさが原因なのだ。ヘイブレアンだけでなく、国内で起きたすべてに、彼は責任を取らなければならない。

 グスタフの手を取ってあげたい気持ちを、ゲルトルートは抑えた。同情は愛情にはならない。


「運河が出来るといいなぁ。

そうすれば、この国はもう少し、豊かになれるかもしれない。

……国家予算、使いたい放題出来たらいいのにね、ゲルトルート嬢」


 国王が右手を上げた。謁見は終了するという合図だ。

 ゲルトルートはもう一度、深く礼をすると、退出することにする。「あ! そうだ! あの、王命――」

 いきなりの求婚で動揺し、そのことを聞くのを忘れていた。


「私はいつも正しいのさ。そうだろう?」


 グスタフはフリードリヒから話を聞いて、王命を“正しい”ものに書き換えていた。

 トワーズ伯爵家からノートゼーヘン男爵家へ。


「感謝申し上げます。グスタフ陛下」


「今度会う時は、ゲオルグさんだ。忘れるな」


 また、外に出ようとしているらしい。侍従長と女官長が渋い顔をしている。


「はい。陛下」


「それから、君の父上を拘束して娘を要求した領主は、きちんと処分しておいた」


「はい?」


「手慣れている。調べたら領内の民にも同じようなことをしていた。普通に迷惑だろう」


 それから、市場の巡回を強化して、砂糖に混ぜ物をしている店がないか調査を命じたし、ガス灯も直したし、若い娘を狙うごろつきたちへも目を光らせると言う。


 後世、サイマイル王国のグスタフ王は、享楽的で気ままで、女ったらしと評判だったが、皆に愛される不思議な魅力があったと伝えられる。そして、身分を隠し、街に出て、悪漢をこらしめらという物語がたくさん作られることになったが、それはまた、別の話である。


***


 王宮を辞してから数日後、トワーズ伯爵邸の前に馬車が停まった。

 乗り心地が良いと評判の最新式の馬車で、ピカピカの黒塗りで金の装飾が施され、手入れの行き届いた白馬が二頭、繋がれており、御者が一人と見目が良い従僕が三人、お揃いの青いお仕着せを着て侍っている。

 そこから降りてきた若い娘は、素晴らしい菫色のドレスを身にまとっていた。

 銀と淡水真珠で出来た髪飾りで飾られている栗色の髪の毛は緩く結い上げられ、大半は背中に渦を巻いて流れている。まるで未婚の小娘のような髪型だが、左手には立派な結婚指輪がはめられていた。

 耳や首、腕にも小ぶりな宝飾品が輝く。この装飾品を選んだ人物は趣味が良い。彼女の持つ上品な雰囲気と華奢な身体には、下手に大仰な装飾品より、ずっと似合った。その代わり、繊細で芸術品とも言うべき細工が施され、使われている貴石はどれも色艶が見事で最高品質なのが分かった。

 手袋も帽子も肩掛けも手提げ袋も靴も……全てが高級な品々だ。

 しかし、彼女が持っているものの中で最も素晴らしいものは、籠の中で眠る甘い香りの温もりだろう。

 ゲルトルートははじめ、仔猫か仔犬でも連れて来たのかと思った。

 ふにゃあ、と泣いた。


「あ、赤ちゃん!」


「この子はウィルよ。ウィリアム・ホール。

そして私はアデイラ。

はじめまして、ゲルトルート嬢。そう呼ばせていただくわ」


 ホール夫人アデイラ。

 フリードリヒの妹が、ゲルトルートを訪ねて来たのだ。

※第一幕は終了しました。次の開演まで、しばらくご休憩ください。

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