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01:第一場_橋の上 林檎が落ちる

 石造りの橋の上で、ゲルトルートは物思いに耽っていた。

 眼下には、サイマイル王国を貫く、と言えば聞こえがいいが、遥か彼方のディモント公爵領から流れてくる貧弱な川があった。

 海に近い王都付近ともなれば、曲がりくねり水深も浅いこともあって、大小様々なゴミがあちこちに堆積していた。サイマイル王国独特の内陸に向かって吹く風のせいで、悪臭も漂ってくるほどだ。お世辞にも美しいとは言えない。


「君は美しいって、言ってくれたのにね」


 ゲルトルートは、ふふっと笑う。勝ち誇ったような、悲しそうな、不思議な笑い方だった。


「やっぱりお世辞だったのね」


 濁った川の水は、彼女の顔を写してはくれない。今はそれで良かった。自分がどんな顔をしているか、ゲルトルートは見たくなかったからだ。


 そんな彼女の足元に林檎が転がってくる。

 怪訝に思いながらもそれを拾い上げ、振り向くと、橋の真ん中あたりで、白髪の老婆が空の籠を持って途方にくれていた。

 

「おばあさん、落としましたよ」


 ゲルトルートが林檎を差し出す。

 石の橋は出来てから随分経つ。石が浮き出たり、欠けたりして凸凹していた。だから躓いてしまったのだろう。そして林檎の表面も随分と傷んでいた。

 

 それにしたって、まるで何度も落としたみたい。

 と、ゲルトルートは不審に思った。

 

 老婆はゲルトルートの持つ林檎を見て、目をつり上げた。


「あんた、砂糖はどうしたんだ!」


「砂糖ですって?」


「そうだよ。砂糖だよ。

林檎と一緒にこの籠に入れていたんだ。

あんた、どこに隠したんだ!?」


 突然、老婆にまくし立てられたゲルトルートはびっくりしてしまった。

 何も言えないうちに、老婆は自分がこの娘に砂糖を盗まれたと騒ぎ出す。


「私、知りません」


「そんなはずない。

ああ、病気の孫に、林檎を砂糖で甘く煮て食べさせようと、なけなしのお金で買ったというのに。

この盗っ人!」


「失礼なこと言わないで下さい」


 ゲルトルートが強めに抗議すると、老婆は哀れっぽく泣いた。


「なんて恐ろしい娘なんだろう。こんな年寄りを怒鳴りつけて、金品を奪うなんて」


 砂糖どころかお金まで盗まれたことになっている。


「おばあさん、砂糖を落としたとおっしゃいましたが、どんな包みに入っていましたか? 量は? どこのお店でいくらで買ったものですか?」


 ゲルトルートが丁寧な口調で問い質すと、老婆はふんっと鼻を鳴らした。「ぼうっとしていると思いきや、随分と生意気なお嬢ちゃんだ」


 老婆は改めてゲルトルートの姿を上から下まで見た。

 ふんっと鼻を鳴らす。「なんだい、“お仲間”か」

 

「なんですって?」


「ああ、商売の邪魔だよ。ここはあたしのショバだ。あっちに行っとくれ。

さて、あと一個、林檎を落としたはずなんだが……」


 老婆はゲルトルートから林檎をひったくると、もう一つを探しはじめた。

 そこに大きな影が落ちる。


「これでしょうか?」


 背の高い青年が林檎を差し出している。

 老婆はさっきと同じように、男の頭の先からつま先まで観察すると、ふんっと鼻を鳴らして去って行った。


 青年がその背中に声を掛けた。「お気を付けて」

 それを見たゲルトルートは、人がいいのね、と青年を評した。

 あの老婆は最初から無いのもをあると難癖をつけては、金を巻き上げているようだ。


「そうね、確かに、“お仲間”だわ。

最初から愛情なんて無かったんだもの」


 ゲルトルートは再び、橋の欄干の所へ戻った。

 彼女の父親は、世間一般に変わり者のトワーズ伯爵として知られていた。トワーズ伯爵はあちこちから金を集めては、消費をすることを繰り返している。

 ある日、裕福な商人マッジ氏がトワーズ伯爵邸にやってきて、貸した金を返すか、ゲルトルートを息子の嫁に寄こすかの二者択一を迫ってきたのだ。

 トワーズ伯爵は「この屋敷に金は無いが、娘はいるからな」と結婚を承諾した。

 サイマイル王国では貴族と平民の結婚には、王から特別な許可が必要だった。マッジ氏はトワーズ伯爵の気が変わる前に、早速、献金と共に、申し出を行った。あとは王命が下るのを待つだけだ。


 諦めて嫁ごうとした娘に、父親はにやりと笑う。『まぁ、待て、ゲルトルート、いい考えがあるんだ』


「何がいい考えよ!」


 川には小舟が溢れていた。

 サイマイル王国は海岸線が狭く、大型の帆船が使える港は一つだけ。それだって、大きさは十分ではなく、沖合に停泊するしかない帆船も多かった。そこから小舟に荷を下ろし、この曲がりくねった、浅く、幅も狭い川を使って運ぶのだ。川はいつも行き交う小舟で渋滞しているが、運べる荷物の量は多くなかった。


「お父さまの“いい考え”なんて、上手くいった試しがないわ」

 

 また林檎が転がって来た。

 ゲルトルートがため息を吐きながらも拾うと、あの老婆が額に手を当てている。

 もう関わり合いたくはないが、仕方がない。


「落ちましたよ――っ!?」


 その時、人込みから声が上がった。「泥棒!! 誰か! 誰か捕まえてくれ!!」


 細身の男が人をかき分け、こちらに逃げてきた。今にもぶつかりそうだ。


「危ない!」


 ゲルトルートは咄嗟に老婆を伴って、間一髪、衝突を避けた。

 その鼻先を先ほどの大柄な青年が通り過ぎていき、あっという間に逃げて行った細身の男を捕まえる。

 はずみで、盗んだらしい財布がゲルトルートの足元に転がってきた。老婆が横からそれをくすねようとしたので、急いで拾い上げ、胸元にしっかりと抱く。老婆が抗議をしているが、知らぬふりをした。

 青年が捕まえた男を役人に引き渡して、こちらにやってくる。


「お怪我はありませんか?」


 ゲルトルートは財布を守りつつ、老婆の方を確認する。「私の財布だ! 返せ!」

 

「元気そうです」

 

 青年はゲルトルートにつられたように、ちょっと笑った。「そのようですね」

 それから心配そうな顔で付け加えてくれた。「あなたは――?」


 そこにようやく財布を盗まれた方の男が追いついてきた。ゲルトルートは老婆の手をかわしながら、財布を返す。財布の持ち主は中身を念入りに確認したので、少し嫌な気持ちになったが、丁寧にお礼を言ってくれた。


「奥さん、助かりました。ありがとうございます」


 奥さんですって? ゲルトルートは首を傾げ、その隣に立っていた青年は顔を赤くした。


「奥さんだなんて! 違いますよ! 違いますから……! あの、お気を付けて!」

  

 青年は律儀に訂正しようとしたが、財布を盗まれた男は、急いで橋を渡って行った。


 欄干の方に戻る前に、ゲルトルートは自分の夫と間違われたらしい大柄な青年をこっそり観察する。

 ゲルトルートよりずっと背が高く、肩幅も広い。鍛えられた身体をしているので、軍人かもしれない。大分、着古してはいるようだが、元の生地の良さと、縫製が見事なのだろう、今でも十分、立派に見える上着を羽織っていた。

 ゲルトルートがあまりに長く見てしまったので、青年も気付いたようだ。

 慌てて、川の方に視線を向けた。 

 

「そりゃあ、お父さまの企み通り、イーサンはパメラを好きになったし、パメラもイーサンが必要だった。

上手くいったわ、今回ばかりはね」


 ゲルトルートは自分の着ているドレスに目をやった。

 元々は従姉のパメラのものだったドレスだ。

 トワーズ伯爵の姉、パメラの母親は、裕福なノートゼーヘン男爵の後妻として嫁いで行った。

 男爵には先妻との間に息子がいて、後妻との間にも息子を得た。その次にパメラと言う娘を儲ける。パメラは小さい頃から、それはそれは愛らしく、父親の男爵は遅くに出来た娘を目に入れても痛くないとばかりに可愛がった。

 パメラはいつだって自分の好きなようにドレスを仕立ててもらった。そして、ドレスを新調してもらう度に、ゲルトルートに見せにくるのだ。


『トゥルーデ! 見て見て、お父さまがまた、新しいドレスを作ってくれたの。このレースはお母さまのお見立てよ。私は趣味じゃないけど、お母さまの顔も立ててあげなくっちゃね。折角だから、お母さまの新しいお帽子にも同じレースをあしらって、お揃いにしてもらったのよ。これで一緒に公園を散歩するのよ。いいでしょう?』


 幼い頃に母親を亡くしたゲルトルートに、父親の散財のせいで、いつも質素なドレスしか着られないゲルトルートに、パメラはいつもそうやって自慢してくる。


「思えば昔から嫌なやつだった」


 そんなパメラが、自分のドレスをゲルトルートにあげると言い出した。ちなみに、この十七年間で、はじめての出来事である。

 

「ねぇ、トゥルーデ! 

明日、イーサンに会うのでしょ?

いつもそんなみすぼらしいドレスじゃ、愛想をつかされるわ。

このドレスをあげるから、とびっきりお洒落してみせたら?

きっとビックリするわよ」


 ただし、パメラの手にあったドレスは、色も形も最悪としか言いようがないものだった。

 「まさか私を辱めるために、こんな酷いドレスを注文した訳じゃないわよね??」ゲルトルートは内心、疑ったが、去年の舞踏会にパメラが新調し、嬉々として着て行ったのを知っているので、単に二人の趣味が合わないだけと認めるしかなかった。

 表向きは感謝の笑みを浮かべながら、「私には似合わないから」とドレスを返そうとした。

 するとパメラは自分の親切が拒絶されたことに驚きの色を見せた。「何を言っているの? 私の可愛いトゥルーデ! とてもよく似合っているじゃないの。そんな自分を卑下しちゃ駄目」

 そう言いながら、熱心にドレスを受け取るように口説いてきた。


「私の可愛いトゥルーデが、こんな素敵な淑女になって、イーサンもきっと驚くでしょうね。

ねぇ、私もその場に居合わせたいの。明日、私も同席させて?」


 ゲルトルートが許可しなくても、パメラはいつもイーサンのいる場に同席していたので、わざわざそんな申し出をすることに、嫌な予感がした。しかし、二人の間に、そんな気配はしなかったはずだ。

 けれどもそれはゲルトルートの楽観的な考えだった。


 彼女は今日、婚約を破棄された。

 

 イーサンはパメラに何度も目配せされた挙句、立ち上がったと思ったら、また座り、汗を拭いてから、冷めた紅茶を一気に飲み、また立った。が、また座ろうとしたので、焦れたパメラがイーサンの腕を取って、立たせた。


「私たち、愛しあっているの。そうよね、イーサン!」


 それで観念したイーサンは、「すまない! ゲルトルート! 僕は彼女を! 愛してしまったんだ!

えっと……つまり、君との婚約は破棄する!!」と、力強い、と言うか、力一杯に宣言したのだ。

 いつも以上に気合の入ったドレスを着たパメラが勝ち誇ったように笑った。


「ごめんね、()()()()()()。そういうことなの。諦めて」


 パメラのドレスはゲルトルートの理解が及ばない色と形だったが、不思議と彼女には、よく似合っていた。

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