ここでの日常
要は、記憶が戻ったばかりだったが、ハリーとクリスを手伝って、記憶の改ざんに立ち合った。
ステファンとは初対面だったが、ステファンも興味深げに一緒について来ていたので、そこで話をした。
ステファンは、本来癌で他界しているはずだった。
が、彰が行くより早く、記憶を戻していたのでさっさと治療をし、今は命に別状はないらしい。
それでも定期検診は欠かさずしているらしいが、人狼になったのでそれからは、全く心配なさそうだ、とのことだ。
言われてみたら、ステファンは実際の年齢よりも遥かに若く見える。
これも恐らく、人狼効果だろうと要は思った。
「君には細菌を探してもらわねばならないのだよ、要。」ステファンは言う。「ジョンが探し出した物も、それなりだがあの頃見つけた物とはやはり違う。あれほど劇的な効果は得られないのだ。なので君には話が聞きたいと、ずっと彰は言っていた。」
要は、頷く。
「はい。偶然できた物だったので…ある程度まで来ると一気に死滅する細菌で。」
ステファンは、頷いた。
「私が今は細菌の培養を手伝っているが、君でなければ発見できないのかも知れないな。歴史は繰り返す。細かい所では寛大のようだが、彰の子供達を見ても紫貴が前回生んだ子達も全員順番通りに戻って来ているし、変わらない所もあるのだ。私は生き延びた。その意味も考えているのだよ…もしかしたら、私はこれからも何も成せないのかも知れない。」
え、と要はステファンを見た。
「それは…もう居ないはずの時間だからですか?」
ステファンは、頷いた。
「そうだ。今の私はゴーストのようなもの。手伝う事はできるが、一人で何かを発見したり、何かを成すのは無理な気がするのだよ。こうして生きているだけでも儲けものなのだから、それでもいいがね。前回、私はジョンを放り出して逝ってしまった。今回は、私はジョンをとことん助けてやりたいのだ。そのために生きようと思ったのだからな。」
要は頷きながら、彰とステファンはやはり似ている、と思った。
一見薄情なようだが、その実とても情深く、信じたものは絶対に見捨てたりしない。
ステファンが、彰を自分の子なのではないかと思うと言っていたが、それは間違いではないのだろう。
クリスが、言った。
「記憶の書き込みをするので、まだ話すなら廊下に出てくれないか。」
要は、邪魔をしていた、と慌てて言った。
「あ、ごめん。もう黙ってる。」
クリスは頷いて、作業を続けた。
要は、それを見守りながら、彼らにどんな記憶を書き換えて行くのか、注意深く見守ったのだった。
次の日の朝、要が緊張気味に廊下へと足を踏み出すと、隣りの洋子が出て来て、大きな欠伸をした。
「あ、おはよう、要。あなたの方は進んでる?私も、ちょっと分かるようになって来たんだ。昨日のテストの点数、結構良かったんだよ。」
要は、慎重に頷いた。
「うん。オレ、奨学金もらえるかもなんだ。高校に行かずに大検取って、年齢が追い付いたら医大を受験したらって言われてて。寮に入らないとだけど、全部サポートしてくれるらしいんだ。」
洋子は、驚いた顔をする。
「え、ほんとに?!すごいじゃない、でも全部無料なの?寮なんて、お金が掛かるからお父さんが嫌がるんじゃない?」
要は、答えた。
「もちろんお金は掛かるけど、その分奨学金がもらえるから。無料にならない所は後でオレが働いて返すんだから、大丈夫だって。だから姉ちゃん、父さん達を説得する時一緒に頼んでよ。」
洋子は、頷いた。
「それはもちろん協力するよ!要は頭が良いもんね。私もやればできるってちょっと自信が出て来たんだ。今日も頑張るよ。」
前の姉ちゃんより、前向きだ。
要は、微笑んで頷いた。
「姉ちゃんは馬鹿じゃないんだから、やればできるんだよ。オレに頼ろうとするから、やるのを諦めたりしてただけで。」
洋子は、フフと笑った。
「そう?うん、そうね、要ができるんだから私はいいやって思っちゃってた。でも自分のことだもんね。頑張るよ。」
記憶は順調に定着しているようだ。
要はホッとしながら、リビングへと降りて行った。
リビングには誰も居なかったが、キッチンには多くの人が居て、思い思いの食べ物を手に談笑していた。
その中には、博正と彰も、真司もステファンもクリスも居る。
要は、言った。
「おはようございます。早いですね。」
そう言えば、部屋の閂は入っていなかった。
クリスが答えた。
「今日からまた、上達した人達を振り分けてクラス替えだからな。あ、要は引き続き彰さんとマンツーマンで。」
要は、頷いた。
「はい。」
洋子が、言った。
「私のクラスは?」
気になるらしい。
クリスは、答えた。
「君は一つ上のクラスで国語と英語を。これまでのクラスで数学を引き続き勉強してほしい。国語と英語はかなりのレベルまで来てるから、きっと数学さえなんとかしたら、志望校を2つぐらい上げても大丈夫そうだよ。」
倫子が、驚いた顔をする。
「え、ってことは洋子、あなた私と同じクラスに来るの?国語と英語。」
洋子は、誇らしげに胸を張った。
「うん。頑張るわ。」
…記憶を改ざんする時、英単語でも記憶させたんだろうか。
要は思ったが、何も言わなかった。
そう言えば…倫子は前回、記憶が改ざんできていなかったはず。
要は、気になって倫子を見た。
「それより倫子、大丈夫か?その、頭が混乱してるとかない?」
倫子は、怪訝な顔をした。
「私?私は大丈夫よ。もちろん毎日詰め込まれてなんかぼうっとするけど、受験勉強ってそんなものだもんね。」
なら、良いけど。
要が躊躇っていると、彰が箸を置いた。
「…要。」要が彰を見る。彰は続けた。「早めに始めたいのだよ。ここで食べるのなら、早く済ませて四階に上がって来て欲しい。そうでないなら、パンと飲み物を持って一緒に上がって来てくれ。」
要は、慌てて頷いた。
「はい。一緒に行きます。」と、急いでパンを掴んでペットボトルの紅茶を手に取った。「すみません。」
彰は、頷いてさっさと先を歩いて行く。
要は、それを追って行った。
階段を上がり始めると、彰は誰も追って来ていないのを確認してから、言った。
「…倫子さんに薬が効かないと思ったのだろう?」
要は、頷いた。
「はい。人狼薬に適性のある体質の人には、軒並みあの薬が効かなかったのを思い出して。そもそも前回倫子は思い出しましたよね。記録で読みました。」
彰は、頷いた。
「その通りだ。それはクリスもハリーも承知しているし、彼らはあの頃よりも数段研究を重ねた記憶を持っている。博正や真司のように、人狼化している人には確かに今も効く薬はないが、適性があるだけのただの人には、もう効かない薬はないのだよ。心配することはない。倫子さんは間違いなくここ一週間の記憶を失くし、上書きされた記憶をそれとして持っているよ。」
要は、ホッとした。
「クリスとハリーが記憶を持っているのはすごいことですね。これから数十年一緒に研究することになりますけど、更に進化した薬が開発できそうです。」
彰は、頷いた。
「その通りだ。私もさっさとシキアオイを完璧に構築してから、次に向かいたいのだが…細菌がな。君の発見した細菌、私も今回アメリカで似たような物を見つけて持ち帰り、ずっと培養を続けているのだが未だにこれという物が見付かっていない。今はステファンが培養して続けてくれているが、全くそれらしい物にならないのだ。それでもシキアオイのようなものはできたが、いまいち効果が出ないのだよ。君の力が必要だ。」
要は、頷いた。
「はい。ステファンから聞きました。あの細菌のDNAは覚えていますし、戻ったら早速始めたいと思います。」
彰は、微笑んだ。
「では、部屋に入る前に、別棟へ行こう。」彰は、四階を通り過ぎて五階へ向かった。「5階の通路を抜けて隣りに、紫貴と子供達を連れて来ているのだ。あちら側にもプールがあるし、ビーチもあるから子達も楽しんでいるのだよ。紫貴が君に会いたがっている。」
じゃあ穂波も居る…!
要は、頷きながら彰について歩いて、にわかに緊張した。
彰は、それを知ってか知らずか、微笑みながら先を歩いて行ったのだった。




