出発
その日、要は朝から洋子を叩き起こして準備を急がせ、自分は二人分の荷物を父の車に乗せ、手際よく動いた。
父が、出勤前に集合場所となる駅へと送り届けてくれることになったからだ。
駅のロータリーへと入って行くと、そこには1台のマイクロバスが止まっていて、『短期集中合宿御一行様』と札があるのが見て取れた。
これだ、とドキドキしながら車を降りると、父親が荷物を降ろしてくれた。
「挨拶しとくかな。しばらくお世話になるし。」
父は言うがしかし、ロータリーには次から次へと車が入って来ていて、父の車が出発するのを待っている他の車で渋滞している。
全員が荷物を下ろす3人を見ているように思えた。
要は、言った。
「いいよ、他の車の迷惑になる。心配ないよ。ありがとう、父さん。」
父親は、回りを見て確かにと思ったのか、頷いて洋子を見て早口に言った。
「遊んでばっかじゃ駄目だぞ、洋子。お前が大学落ちたら、その分要に突っ込もうって母さんと話し合ったんだ。看護学校じゃなく良い高校に行かせて予備校も行かせてやって、行きたいって言ってる医学部に行かせてやりたいって。やる気のないお前はそこで終わり。どうしても大学に行きたいなら、今回結果を出せ。分かったな。」
洋子は、ショックを受けた顔をした。
「え、酷い!」
父親は、首を振った。
「お前次第だ。じゃあな。」
父親は、そう言い残してさっさと運転席に乗り込むと、去って行った。
すぐに、他の車が滑り込んで来る。
…留学したいなんて今は言えないな。
要は、それを聞いて思った。
気持ちは嬉しいが、必要なお金の桁が違うのだ。
呆然としている洋子を急かして、スーツケースを引っ張ってマイクロバスに近寄ると、中から愛想の良い若い男が出て来た。
「お名前をお願いします。」
要は、答えた。
「立原要と、洋子です。」
その男は、微笑んで頷いた。
「はい。お待ちしていました。」と、栞のような物を差し出した。「これは、勉強できる科目一覧と担当の教師の名前一覧です。船に着きましたら、それぞれのレベルの確かめるために簡単なテストを受けて頂きます。そこから個々人用のカリキュラムを組んで、進めて行く予定ですが、詳しくは後でご説明します。お荷物は網棚に載せてください。空いている席はどこでも座ってくれて良いですよ。」
要は、頷いてその冊子を受け取り、洋子に頷き掛けて、バスの中へと乗り込んで行った。
バスの中にはもう、数人が来ていてそれぞれ思い思いの席に座っている。
後ろの方から、声がした。
「洋子!要!こっちこっち!」
倫子がこちらへ向けて盛大に手を振っている。
…恥ずかしいから派手に叫ばないで欲しい。
要は、そう思いながらスーツケースを持ち上げて最後尾まで歩いて行った。
「倫子、もう来てたの?」
要が言うと、倫子は頷いた。
「うん。一番乗りだった。お母さんが送ってくれたの。そっちはお父さんが送ってくれたんだね。見てたよ。」と、洋子を見る。「あれ。洋子、なんかテンション低いよ?」
洋子は、暗い顔で言った。
「…お父さんから死刑宣告受けた。」
倫子は、え、と驚いた顔をする。
要は、網棚にスーツケースを上げながら言った。
「オーバーなんだよ、頑張れば済むことだろ?最初から頑張るつもりがないってことなんじゃないのか?」
洋子は、泣き言を言った。
「そんなの、要は頭が良いからそんな風に思うのよ!私はバカなの。なのに、大学落ちたら終わりってどういうこと?一浪ぐらい良いじゃない。」
倫子が、ああ、と言った。
「駄目よ、あんたそんな風に考えてるからお父さんにダメ出しされるのよ。私も教えてあげるから、今回必死にやろう?私は要ほどじゃないけど、そこそこ良い学校だからさ。」
洋子は、じっとりと倫子を見た。
「…馬鹿にしてるでしょ?」
倫子は、頷いた。
「しようがないじゃない、バカなんだから。自分で言ってるくせに。」
要が呆れてため息を付いていると、その間にも次々に人が入って来ていて、バスの扉が閉じた。
さっき入り口で案内してくれた、男性が言った。
「それでは、これから港に向けて出発します。私はこの合宿で教師を務めます、大井真司です。真司と呼んでください。この合宿の間は、皆さんご兄弟で参加されてる方も居ますので、下の名前で呼ばせて頂きます。詳しい事は、船で改めてご説明があります。では、2週間頑張って行きましょう。」
マイクロバスは、駅のロータリーを出て一般道へと向かって行く。
ロータリーでは、送って来ていた保護者の何人かが、手を振って見送っていた。
そうして、バスは一路海の方角へと向けて、走って行ったのだった。
港に着くと、それぞれ荷物を手に前から順に降りて行く。
そこには、それほど大きくはないが、2階建てになっている観光船のような物が停泊していた。
そこに横付けされてある、長い通路を歩いて階段を上るように促され、要は他の皆に付いて、船へと乗り込んだ。
船の中は、案内された階はそれぞれテーブルの付いた長椅子の客席ばかりで、トイレが前と後ろにある。
船首の方を向いて座ると、目の前にモニターがあって、電波が届く所ではテレビが映るようだった。
真司が、広々としているそこで、前に立って言った。
「ここから、6時間ほどの航海となりまして、下の階は小さな食堂ですが、今はやっていません。貸し切りですので、後で昼食のお弁当とお茶は配らせて頂きますので、到着まではそれと、各々お持ちになられているお菓子などでしのいでください。ご自由に過ごしていただいて結構ですが、甲板に出る時は気を付けてくださいね。後しばらくで出航致します。」
皆が、無言で頷く。
それぞれ、自分が一緒に来た人以外は全く面識がないので、どこか緊張気味だ。
そんな中でその船は、急に大きな音を立て始めたかと思うと動き出して、大海原へと出て行った。
段々に遠くなる陸地に、本能的に不安な気持ちになりながら座っていると、真司が二人の男を連れて、戻って来た。
一人は真司と同じぐらいの歳の頃で、もう一人はそこそこ年齢が上のように見える。
真司は、言った。
「それでは、教師の二人を紹介します。」と、若い方を見た。「こっちは田代博正。」
博正は言った。
「博正って呼んでくれ。オレは英語担当だから、それ以外の科目は勘弁な。」
鋭い目で少し警戒したが、博正はとてもフレンドリーな雰囲気を出していた。
真司は、その隣りの男性を見た。
「そちらは、岡田忠司。」
忠司は、会釈した。
「忠司と呼んでくれ。私は何の科目でも大丈夫だ。何でも聞いて欲しい。」
頭良さそうだなあ。
要は、思った。
真司と博正もそれなりにキリッとしていて頼りになりそうだったが、忠司からは言いようのない、頭が良い人特有のオーラのような物を、知識の圧を感じた。
真司は、言った。
「教師は他に二人居て、先にあちらへ行って準備をしてくれてる。その二人もオールマイティなので、何でも聞けると思ってください。じゃあ、今は午前9時半。今から、皆さんにテスト問題をお渡ししますので、島に着くまでにやりきってください。レベルと個々の問題点を見るだけなので、話しながらやって頂いて結構ですが、テスト問題について話し合ったりは絶対にしないでください。途中、お弁当を配りますので休憩してもらって、とりあえずこのワークが終わるまでは頑張ってください。終了した人から順に、教師の誰かに手渡してくれたらいいです。終わった後は自由に過ごして頂いて結構です。終わらなかった場合でも、島に到着する1時間前には回収しますので出来る限り埋めるようにしてくださいね。」
6時間は長いなあ。
要は思いながら、次々に配られる冊子を見つめた。
自分のところにも来た冊子の中を見てみると、英語、数学、物理、化学、生物、地理、現代社会、日本史、世界史、国語とそれぞれテストというには少ない問題数だが、きちんとポイントを押さえている問題がずらりと並んでいた。
そして、各教科後ろへ行くほど難しい問題になっているのも分かった。
ここに居る人達は、要以外は高校生ぐらいに見える人達ばかりだ。
恐らくは、中学生が単独で離島へ合宿は敷居が高かったのかもしれない。
つまりは、ここにある問題ぐらいは皆、解けるはずなのだ。
…やらなきゃ。
要は、中学生だと馬鹿にされたくない気持ちが湧いて来て、早速荷物から筆記用具を出して、その問題に取り掛かったのだった。