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盈月明夜  作者: あす
1/1

無題・前

 ふいに彼女は我に返った。

 風に遊ばれる髪を右手で梳きながら周囲を見遣る。

 視界に広がる光景は決して見渡しが良いとは言えなかった。鬱蒼としたジャングルでは、たとえ目的のものが目立つ形態をとっていたところで見つけ出すのは容易ではない。

 まして『それ』は視界の遮られた場所をこそ好むのだ。

 懸念点に気を取られ、注意が散漫になったのがいけなかった。

 小さく嘆息。

 そうして、彼女は歩きだした――


     *


 ふいに彼は目を覚ました。

 重力に抗って逆立つ髪を掻きながら周囲を見遣る。

 そこには色々なものが散乱し、しかし何もなかった。少なくとも生きていくのに役立つものは。

 起き上がる気力さえ、絞り出さなければ湧いてこない。

 客観的に見ずともわかる。

 自分は今、死にかけているのだと。

 大きく嘆息。

 そうして、彼は歩きだした――


     *


 風に晒され、塵が舞う。

「…………っ」

 とっさに目を瞑り、防塵用のマントで体を包む。塵の一つ一つはさほどでもなかったが、

それらが大量に風に煽られるとあたかも砂塵のように中空で踊る。

 これが目に入ると、最悪失明する事もあるらしい。

 そのため、外を出歩くには塵芥(じんかい)用のゴーグルが必須なのだが。

「……大丈夫かな」

 小さく呟く。

 彼女は今、そのゴーグルを携帯していなかった。

 だが、その独白は自身を案じてのものではない。

 薄く開いた双眸で、あたりを見回し、

「…ねこー!」

 叫ぶ。

 しばらく待ってみたが、反応はない。

 さっきからその繰り返しだ。

 あたりは、風の吹き荒ぶ音を除けば背筋が震えるほど静まり返っていた。

 己の声が周囲の礫層に反響し、不気味に木霊しているのがわかる。

 故に、こちらの声が届いていないとは思えないのだが。

「どこ行ったのよ、もう…」

 自然、毒づく声が漏れる。

 日が暮れる前には見つけ出さなければならない。

『廃礫区画』と名づけられたそこは、その瓦礫で構成されたジャングルのような地形から別名「天然の迷路」と呼ばれている。日が暮れればもちろん、日が昇るうちでさえ来た道がわからなくなれば遭難することがある。また、子供が組んだ積み木のように雑多で不安定な石塊があちこちに点在することから、時に起こる崩落に巻き込まれれば命を落としかねない。

 とは言えここには何度も訪れているため、彼女一人であればさほど問題にはならない。太陽の方角から来た道はわかるし、危険なところは避けて遠回りするようにしている。

 ――一人であれば、だが。

 ふと、足を止める。

 何か物音がした。それも近い。

『廃礫区画』では植物が育ちにくいため、葉のこすれる音さえしない。

 耳を澄ます。

「こっちだ」 

 風化した瓦礫が作る塵のカーペットに足をとられないよう、ボロボロのスニーカーでしっかりと地面を踏みしめて再び歩きだす。

 夕暮れが、近い。


     *


 死とはこんなにも身近に存在しているのだと、そう実感せずにはいられない。

 防塵ゴーグルは吹き荒れる風に混じる塵という小さな暴力は防いでくれるが、

己を今まさに窮地へ追いやっている圧倒的な暴力までは防いでくれない。

「あー…これは、死ぬか」

 言葉にしてみたが、ひどく空寒かった。

 足はもはや意思とは無関係に動いているが、その実どこにも向いてはいない。

 ――ここで道に迷ってから、そろそろ7日が経とうとしていた。

 しくじった、と言わざるを得ない。

 ここまで広範囲に『終わっている』場所に足を踏み入れたのは初めてだった。

 想像もしていなかった、と言ってもいい。

 気がつけば来た道を見失っていた。

 風化の果てに崩れ落ちたかつての建造物も、今となっては視界を阻む障害物でしかない。

 目算で歩きまわったのも災いし、いたずらに体力を削られた果てに彼はいつしかその深部まで潜りこんでしまっていた。

 おそらく周辺の住民はそれを理解しているのだろう。7日の間に自分以外の生物に遭遇することはなく、夜ともなるとあたりは死んだように静まり返った。

 かつての人類が生み出しながら、今の人類に忌避される『終わった世界』。

 ――最大の失敗は、そんなかつての人類を侮ったことだろう。

 千鳥めいた足取りで、体がふらりと揺れる。

 胡乱な目つきで、彼は腹を抱えた。

 そう。彼を死地へ追いやっているのは――飢えだった。

 携帯していた食料はとうに尽きた。そもそも集落地にも寄らずに何日もデスハイクするつもりはなかったため、手持ちの食糧などたかが知れていたのもある。幸い数日前に降った雨のおかげで喉の渇きだけはどうにか凌げているが、腹部を締め上げるような強烈な飢えはとうに限界を超えていた。

 ふと、足を止める。

 何か物音がした。それも近い。

 静寂な世界に慣れた耳は、敏感に音の方向をとらえた。

 慌てて大声をあげて助けを呼ぼうとした。が、衰弱しきった体からは声が出ない。

 それでも何とか自分を見つけてもらおうと、最後の気力を振り絞って歩きだす。

 夕暮れまで、もう少し。


 

 


 

 


 

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