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6 裸の王様⑤












   野中将嗣













神前で式を終えた後、新郎新婦の写真撮影があって、僕たちは二人が写真を撮る様子を少し離れて眺めながら、寒いながらも晴れ渡った空の下に咲く梅を楽しんだ。


「本当に綺麗ですねぇ」


手持ち無沙汰に梅を眺める僕に話しかけた人がいた。それは僕より年配の女性でした。日野さんのお母さんです。


「梅がですか?」


するとふふふと笑われた。


「娘さんですよ。ご冗談をおっしゃるのね」

「いや……」


顔合わせで食事をした仲ですが、どちらかといえばご主人が話されていて、それに、場に妻がいなかったことで、ちょっとギクシャクとした雰囲気もあったのです。静かな席でした。打ち解けたとも言い難い。遥かにお互いの息子と娘を眺めながら、奥さんはポツポツと話しました。


「息子の趣味で、なんというかあの子はたくさんの人の前に出るのが嫌な性質ですから」

「日野さんがですか?」

「ええ。大人しい子です」

「はぁ」


小説家という職業はむしろ人前に出るのではないかと思うのだが。ただ、確かにこうやって本人に会ってみると、火野蒼生というのは大人しくて人見知りをする人だというのはうなづけるかもしれない。


「こんな式になってしまって。本当はもっと皆さんに見せてあげたほうがよかったんじゃないかしら。娘さんのせっかくの日なのに」

「ああ、いや、それはいいんです」

「本当に?」

「本人は全く気にしてませんよ」


奥様はしばらくまるで点検でもするかのように僕の顔を眺めていましたが、その目を逸らしもう一度息子たちの方を眺めました。カメラに向かって微笑むこのはの横で、日野さんもやはり嬉しそうにしていた。


「あの子、本当に変わったわ」


独り言のようにそう奥様は呟いた。


「息子さんですか?」

「ええ」

「変わったというとどんなふうに?」


有名になったから変わったとかなんとかそんな話だろうと思ってた。


「難しい子でですねぇ。子供の頃からなんというか、一見、普通の子と変わらないようなんですけど、妙に鋭いところのある子でね。親のわたしがこんなふうに言うことでもないのかもしれないですが、理解しきれないというか危ういというか」

「はぁ……」

「自分でもどうすることもできないピリピリとしたものを持ってるような子なんです」

「……」


なんと返したらいいのかわからなくて黙ってしまいました。奥様は僕の方を見ると疲れたようなだけど、安心した顔で笑いました。


「それが丸くなりました」

「丸く?」

「ええ、丸く」


どこがどう丸いというのだろう?僕は離れたところにいる日野さんを眺めました。自分には見えない、しかし、その丸さを母親は見えるのだろう。


「親にもできないことをしてくださる方がこの世にはいるんですね」


そして、奥様はしみじみと娘の方を眺めるのです。


「いや、それは、うちの子が?」

「ええ」

「そんな大した子ではないですよ。うちの子は」


そう言う僕の方を見て、奥様はただ笑って何も言いませんでした。向こうのほうで娘たちはあの先刻通った渡り廊下に二人並んで立っている。カメラマンがそんな二人を色々な角度から写真に収めているのが見える。


「人は一人では生きていけないものですよねぇ」


それを眺めながら奥様はそういった。それから大きく息を吸って、そして吐いた。


「あんなことがあったときに、本当に心配したんです。息子がどうにかなってしまうんじゃないかと。それがこんな日を迎えられるなんてね」

「それは前の奥様のことですか?」

「ええ」


根掘り葉掘り聞くのもどうかと思いやはり黙っていると、奥様は僕の方を見て少し悪戯っぽく笑った。


「実はわたし達もあの子の式に出るのは一回目なんです」

「え?」

「わたし達の方から、というよりはあの子の方から絶縁されていた時期があるんですよ。お恥ずかしながら」


驚きました。このことについては全く知らなかったので。


「不思議ですねぇ。わたし達とあの子とだけでは、わたし達親子はうまくいかないんです。でも、縁を繋げてくれる人というのは、家の外にいるんですねぇ」


その縁を繋げた人というのは……


「余計なことを話してしまいましたかしらね」


奥様がそう言った時に、カメラマンが僕たち周囲に散在していた親族を見渡して声をかけてくる。集合写真を撮るから集まれというのだ。そこで、その話はそこまでとなった。


***


場所を移して会食となった。着替えのある娘達とは別に案内されて先に会場へと急ぐ。それは3代続く割烹でした。落ち着いた佇まいの門をくぐり中に入ると、そこから少し離れて庭の眺められる静かな部屋に通された。皆でしばらく庭を眺めたり出されたお茶を飲んだりしながら待っていると、動きやすい着物に着替えた二人が現れた。


娘は雪のように白い白無垢を脱ぎ、真珠のような少し黄色がかった白地に薄紅色や淡い水色の花弁が描かれた色とりどりの春らしい装いをしていて、日野さんは濃紺の出立ちでした。嫌味のない娘らしさの際立つ隣に落ち着いた佇まいで日野さんがたち、お似合いの二人だった。


和やかな雰囲気でのんびりと食事を楽しむ。このはの昔からの友達のなっちゃんが来ていて、そのなっちゃんの娘さんがまだ幼稚園生なのだけれど、その愛らしい子を中心に場が賑わっていた。


中座して手洗いに立ち廊下を通りながら戻る途中、ふと前を見ると、新郎がいる。一人でポツンと廊下から中庭の池を覗きこんでいるんです。その廊下は腰の辺りまでは壁があるのですが、それより上には窓などはなく中庭に直接開放されていて、そして、廊下は池の上に張り出していて覗き込めば池が見えるのです。


「まるで一昔前の時代に戻ったみたいだな」


僕が話しかけると新郎はこちらを見ました。


「日野さんは着物を着ても違和感がありませんね。一昔前の日本人みたいだ」

「そうですか?」

「建物も古いし、自分がいつの時代にいるのか一瞬わからなくなりました。映画の中に入ってしまったみたいだ」


日野さんは僕の言葉に控えめに笑いました。


「どうしたんですか?主役がこんなところで。皆が待ってますよ」

「いや、今日は僕が主役ではないですよ」


確かにこの人はお母さんがおっしゃる通り、かなり大人しいのです。先ほども端っこで皆が話すのを静かに聞いていた。僕は彼をさっさと場に引き戻すのを諦めて横に立ちました。


「何を眺めていたんですか?」

「鯉を」

「ああ、鯉がいるんですね」


僕も下を覗き込んだ。ゆらりゆらりと鯉が泳ぐのが見えた。色とりどりの立派な錦鯉だった。


「鯉をうつくしいと思うのは日本人だけではなくて、輸出されて海外でもそこそこ高値で取引されるそうですね」

「そうなんですか」


知らなかった。


「日野さんは鯉が好きなんですか?」

「いや、別に、そういうわけでもないんですが……」


隠れて悪戯していたのを見つかった子供のような顔で笑った。


「日本画や水墨画でよく取り上げられるモチーフなので、それがなぜなのかなと思って」

「ほう。それで、どうしてだと思いますか?」

「そうですねぇ」


そこで婿殿は廊下の窓枠と言ってもいいのだろうか?へりに頬杖をついて池を覗くのです。


「水に流れる様を見つめていると、不思議と心が落ち着くからではないかと思いました」

「なるほど」

「人間も昔、魚だったからですかねぇ」

「そうでしたっけ?」

「進化論によるとそういうことになってたはずです」

「はぁ」

「でも、あれも本当に本当かわかりませんよねぇ」

「そうですね」


頬杖をついている和服姿の男の人の横で、自分もなんとなくひらひらと動き回る鯉を眺めていました。いや、このははいつもこの人とこういう不思議な会話をしているのだろうかと思いながら。


「これで、本当に良かったんですかねぇ」


そして、そんなことを言い出すのです。


「今更、また、そんなことを」


呆れるのを通り越して笑ってしまいました。


「あ、いや、後悔しているとかそういうことでは全くなくて」


日野さんが慌て出した。慌ててる婿殿は落ち着いている時よりも、もう少し若く見えた。


「もう少し別のやり方であればお母さんも納得してもらえたんじゃないかと思って」

「鯉を見ながら本当はそんなことを考えていたんですか?」

「……」


少し人と違ってわかりにくいけれど、この人は優しい人なのかもしれないなと思いました。


「勝った人はもっと堂々としてないと」


すると、困った顔をする。


「こういうことは勝ち負けではないですよね?」

「うん、まあ、そうですね」


だけれど、実質的には、あなたは紫織と娘を取り合って、そして、勝ち取ったのですよと心の中で呟く。


「娘は気にしていませんよ」

「そうでしょうか」


僕のその言葉に全く納得していない目で僕を見る。僕はぽんぽんと彼の肩を叩きました。


「しっかりしてくださいよ。本当にいざとなると女が強いというのはいつの時代も変わらないな」

「はぁ」

「このはなんて、一昔前の駆け落ちした女の人みたいですよ。あの子の方がなんというか、戦って勝った人のように堂々としているのに、君がそんなんでどうするんですか」

「でも、こういうのは良くないと思うんですよ」


ふうと息が漏れました。

世の中にそこそこ名前が売れていて、僕よりも稼いでいるであろうこの年下の男の人を、それでも慣例に従って僕の息子だとするとしたら、実の息子は簡単に僕の話に頷くのに二人目の息子はなかなかどうして頑固ですね。


「だからといって、このははあなたに出会ってしまったんだから……」


娘があのまま勝也君と結婚していたらどうだったろうか。何度かそのことについて考えてみたことがあるんです。僕たちはきっと全然違う今にいたでしょう。


ほんの少し何かが違っていたら、今日、ここに集っている人たちは一生顔を合わすことも言葉を交わすこともないまま、それぞれ別の人生を生きていたのだろうなぁ。


「縁というのは僕たちの手には余る。止められないものなのではないかなぁ」

「はぁ」

「このははあなたに出会ってしまったのだから、だから、あの子に止められはしなかったんだと思いますよ」

「……」

「このことには意味がある。だからきっと先にはきっと僕たちの知らない何かがあると思うんです」

「そうでしょうか」

「そうですよ」


そして、やっと新郎は鯉から顔を上げて空を眺めた。お母さんの言葉を思い出す。この子は難しい子なんですよ。


「さ、戻りましょう。主役が長く席を外してはね」


ふっと笑って婿殿はやっとその窓辺りから離れてくれた。僕は当初の目的を果たした。主役を席に連れ戻すという役割です。二人で由緒あるお店の床を鳴らしながら並んで歩く。


人と人のえにしというものは、不思議なものです。


二人が出会い、そして、それをきっかけにまた僕たちが今日集った。本来これは、神様によって定められたことなのではないでしょうか。もちろんそこに僕たち人間の意志による選択もあるにはあると思うんです。だけど、娘がこの日野くんに会ったのは、やはり定められたことだったのではないかなと。大きく流れる流れの中で、僕たちは自分で少し流れを変えることはできると思う。そこで、最終的に流れ着く先を変えることはできる。できるけれど、やはり僕たちは流されているのだと思う。大きな流れに逆らって行くことなどできない。


そこに神様による意志があるのならば、何か意味のあることが、結末と言ってもいいと思うのだけれど、僕たちを待っているのではないでしょうか。紫織とこのはにとっての意味のある何かが、きっとある。未来は見えないけれど。


それにしてもこの人は本当に困った人ですね。人の娘をとっておいて、その僕から慰められるとは。


襖を開けて部屋に入る前に日野さんはおもむろに言いました。


「お義父さん」


この日、僕は初めて婿殿にお義父さんと呼ばれた気がします。


「ありがとうございます」

「そんなお礼を言われるようなことなんてしていませんよ」


するとまた、彼はそっと笑った。僕はその彼の笑みを眺めながら襖に手をかけた。


2023.02.04

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