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6 裸の王様②












   野中将臣














東京駅、改札口で父親を待っていた。


「遅いな……」


時計を眺めてまた、改札越しに奥まで見通す。こちらへ向かってくる人々の間に父親の顔を探す。


「別の改札口に行っちゃってないかな?」

「ええ?」

「やっぱり中に入って東北新幹線の改札にした方が良かったな」

「そんな心配しなくても大丈夫よ。お義父さんだって子供じゃないんだし」

「でも、東京駅は広いし」


やっぱり電話をかけようと思って携帯を取り出していると、そんな僕の袖を妻がひく。


「あ、ほら、いた。お義父さーん」


手を振っている。彼女の視線をたどると、その先にニコニコと笑う父がいた。


「君が先に見つけるなんて」

「なに?なんか言った?」


不思議なものだと思う。僕の方が父親のことはもちろん妻よりよく知っているのだから、大勢の中で探させたら僕の方が先に見つけるものだと思うのだけれど……。いつの間にか奥さんも父親を見分けられるようになっている。


セカセカと歩く人たちの中で、のんびり歩く父は少し目立っていた。改札を潜ってやってくる。


「いやいや人が多いなぁ、東京は」

「迷いませんでした?」

「途中で駅員さんに教えてもらいましたよ」


それから、僕らから目を逸らして父親は駅の構内をぐるりと見渡す。


「東京の人は歩くのが速いなぁ」

「そうですか?」

「そういう田舎者丸見えな発言やめろよ」


僕がそういうと、父はどこ吹く風と全く気にしないのに、奥さんに噛みつかれた。


「なによ。そんな言い方しないで。わたしだって、あなただって田舎者でしょ?」

「まぁまぁ祥子さん」


父が宥めている。


「将臣は親に久しぶりに会うとどうしても一言は憎まれ口を叩きたいやつなんですよ」

「ええ?」

「挨拶みたいなもんなんです」

「あら、やだ」


二人で笑ってる。


「腹へった。なんか食べに行こう」


そう言いながら父の荷物を持った。


「自分で持てるよ」

「まぁ、いいじゃん。父さん、何食べたい?せっかく東京にきたんだからさ。寿司か?天ぷらか?」

「寿司はないだろう。寿司は」

「まぁ、寿司は仙台の方がうまいか。じゃあ、何?」


駅のすみの方へよって人の流れを避けながら僕らは今夜の行先を決めようとする。


「そうだなぁ。あれが食べたいな。この前テレビでやっていた」

「なに?ラーメンとか言わないでよ」

「スプーンでスッと触れるとふわぁっと開いて広がるんだ」

「……」


ご丁寧にスプーンを持って真っ直ぐに動かす手つきまでしてみせた。しかし、何を言ってるのかさっぱりわからない。


「ええっと、あれは……」


映像は浮かんでいるのだろう。でも、名前が出てこないらしい。軽く目を閉じて指を額に当てて考え込んでいる。


「オムライスですか?」


妻がゆう。驚いて彼女の顔を見た。父はパッと目を開いて嬉しそうにした。


「ああ、そうそう。あのケチャップのご飯の上に卵がフワッと載っていて」

「スプーンでスッと縦に切るとふわって開いてトロトロと広がるんですよね」

「なんで、わかるの?今の説明で……」

「え?」

「クイズ番組のクイズみたいだったんだけど、なんですぐわかるの?」


本当に不思議だった。妻はコロコロと笑った。


「やあね、簡単よ。お父さん、そのテレビ、火曜日の夜に見ましたよね?」

「ああ、うん、そうかもしれない」

「わたしも同じテレビを見ていて、美味しそうだなぁって思ってたの」

「なんだ……」


驚いて損をした……。それから、妻はスマホで検索し、お店の名前を確かめている。


「そんな、テレビでやったばっかの店なら混んでるんじゃないの?」

「でも、せっかく東京まで来たのよ。ね、お義父さん」

「オムライスなんてどこでも食えるじゃん」

「そんなことないって、本当に美味しそうだったのよ。ね、お義父さん」


妻がせっせと父に話しかける。すると、父は僕らに向かってしみじみといった。


「将臣はいい人と結婚したなぁ」

「なんだそりゃ」

「そこはそうだねって答えるところでしょ」


パシリと叩かれた。叩かれた肩を片手でおさえながら憮然とした顔で妻を見た。


「なんかつまらないな」


本来ならのけものは父のはずなのに、なんで俺がのけものに?


「ああ、地下鉄乗りますよ。こっち」


そんな僕の心境はほっとかれ、奥さんに手を引っ張られた。僕たちはゾロゾロと移動を始めた。


この日、3人とも少し浮かれていたと思う。


大人になって、働き始めてみると毎日は慌ただしく学生の頃のようにはいかない。くるくる、くるくるとそれは回り、灰色ののっぺらぼうのような毎日がどんどん続いてゆく。学生の頃とは段違いのスピードで毎日が回り始めると、その回転する何か越しに見える様々なものが同じに見えるんだ。いわば、人は働き始めると感覚が鈍り、様々なもののちょっとした違いを認識できなくなるんだと思うんです。同じ毎日が続き、何を見ても同じように感じる。何かに新鮮に心を震わすことなど無くなってしまう。


立ち止まれなくなる。心を震わすことにはそれなりに時間がかかるからです。大人の僕たちに立ち止まる時間なんてない。そう、僕たちには決定的に時間が不足している。


僕たちがこの日浮かれていたのは、そんな、常識的な大人の大部分が捕まってしまう大車輪のようなものから、この日だけ解き放たれていたからだと思います。


感覚がまるで子供の頃に戻ったみたい。何もかもが新鮮で、輝いて見えた。もしも今、空から雨粒が降ってきたら、その香りを感じるだろう。そして、地面に落ちて滴の上げる音の一つ一つの違いに耳を傾けるだろう。普段なら煩わしさしか感じず、雨は雨、違いなどありはしないのに。


どうして僕たちが大人のループから自由になってそんなふうに感覚を取り戻していたのか。それは、特別な日の前の日だったからだろう。正確にいえば、身近な人の特別な日の前の日だったから。妹の結婚する前の日。


きっといつか、あの時はこうだったよねと僕たちは写真を見るなりしながら思い出を語り合う。忘れられない日になるだろうという予感がする。その予感が僕を子供のようにしていたんです。ワクワクしていた。僕たち3人は大なり小なりワクワクしていました。妹の人生において大きなイベントの前の日に。


地下鉄に乗って僕たちがたどり着いたお店は老舗の洋食屋さんでした。時間がまだ早かったのが幸いしたのか、待たずに入れた。メニューを開いて眺める。


「お義父さんはオムライスですよね?」

「そうだね」

「じゃあ、わたしもオムライス」


僕がメニューを開いている隣で、二人はメニューをろくに見もせずにパタンと閉じた。


「同じもの二つ頼むの?」


メニュー越しに異を唱えたみた。


「ダメ?」

「3人で別々のものを頼んで、分けあったほうがよくない?」


妻は首を傾げそっと父の方を見る。


「お義父さん、どうですか?」

「いや、それで別に構いませんよ。僕はそんなにたくさん食べる方じゃないし。この歳になってはね」

「じゃあ、なんにする?」

「ええっと……」

「あ、これいいな。エビフライ。自家製タルタルソースだって」

「ああ……」

「あ、それにやっぱ洋食屋といったらハンバーグだろ」


パタンとメニューを閉じて、僕がオーダーしようと店内を見回し始めると父に呼ばれた。


「将臣」

「はい?」


手を半分上げかけた姿勢で、父を見る。


「祥子さんにちゃんと選ばせてあげなさい」

「え、やだった?エビフライとハンバーグ。やだって言わなかったよね」


すると父はため息をついた。それから、ひどいことを言った。


「お前、よくそんなんで、結婚できたな」

「……」


手を半分上げかけた姿勢で、絶句した。すると、妻が横でくすくすと笑い出した。


「お義父さん、いいんですよ。別に。こういう人だってわかってて結婚しましたから」

「なに?なんで?今のなんかおかしかった?」

「昔からこいつは本当に落ち着きがなくって。他の人よりテンポが速いんですよ。いっつも」


父はいっつものところで言葉に力を入れ、そして、眉間に皺を寄せた。僕はちょっと憤慨した。……ちょっと。


「そんなたかが料理の注文でそこまで言わなくても」

「まぁ、待ちなさい。僕たちはこの店をテレビで見たからね。お前よりもよく知っている」


そして、父はおもむろにメニューをそっと開き、妻に見せながら、とあるところで指を指した。


「ああ」

「どうですか?」

「いいですね」

「他のものでもいいですよ」

「いや、やっぱりこれで。わたしもこれが食べたいです」


それは、ハッシュドビーフでした。ハヤシライス。


「そんな、家でも簡単に作れるようなもの」

「まぁまぁ、そんな家でも簡単に作れるようなものが、どれだけ違うのか楽しみじゃないか。ねぇ、祥子さん」

「そうですね」


僕をのけものにするというつまらない遊びはまだ続いているらしい。ウェイターを呼んで注文をすます。メニューは全て下げられる。テーブルの上にはソースや醤油や塩などの調味料とコップに入れられた水が三つ。料理が来るまですることがなくなった。特に喉が渇いているわけでもなかったが水を飲んだ。なんだか手持ち無沙汰だ。テーブルの上でコツコツと指をならす。見てる方がイライラするからやめろと言われる僕の悪癖。ふと思い立ちポケットから携帯を取り出す。


「母さんに電話しようか」

「やめときなさい」


即座に父に止められた。


「なんで?一人で寂しくしてない?」

「一人で静かな家にいるときに、賑やかなところから電話をかけられて、切った後の静けさと言ったら……。もっと寂しくなるだろう?」


そんなもんか……。


「じゃ、このはに電話かけるか」

「このはさん、式の前日で忙しいのじゃないの?」

「平気、平気」


トゥルルルル、トゥルルルル

呼び出し音をしばらく聴く。


「お兄ちゃん?」

「おう、このは。元気か?」

「はぁ」

「緊張してる?」

「なにか用?」


少し、迷惑そうな声を出されたと思うのは気のせいだろうか。まぁ、いい。


「父さんと会ったぞ」

「ああ、そう」

「代わるか?」


そう言って電話を渡そうとすると、なぜか父はいらないいらないと手を振り首も振る。


「なんだよ。自分の娘だろ」


無理矢理渡すと、やれやれと携帯を受け取った。


「いよいよ明日だね」


妹に話しかけるときに、父の声が丸くなった。息子に対する時と娘に対する時で、本人が気づいているのかどうかわからないが声からして違う。


「夜はゆっくり休みなさいね。明日はお前が主役なんだから」


受話器の向こうから笑っている声が僕たちにも聞こえた。


「そんなことないよ……うん……まぁ、でもな、結婚式というのは歳を取れば取るほどにどんどん輝きを増すようなさ、宝石のような思い出になるんだから。だから、いい加減な気持ちでいてはいけないよ」


いい加減な気持ち……


「お待たせしました」


一瞬ぼんやりしていた時に、料理が届いた。湯気の上がったそれをウェイトレスがとんと置く。それは、金色の卵のかかったオムライス。


「おお、すげー。うまそう」

「でしょう?」


妻が得意げに言う。


「なんか不思議な形してるな。あ、ここをスプーンで開くのか?」


お腹が空いている時に、目の前にほかほかと湯気をたていい香りのする食べ物がきた。がっつきたかった。


「ちょっと、もうっ」

「いて」


スプーンを持って上にかかった卵に切れ目を入れようとして、妻にペシりと叩かれた。


「お義父さんのでしょ?」

「別にみんなで食べるんだし」

「でも、お義父さんが楽しみにしてたのに」

「ああ、わかった。わかった。ほら、父さん」


スプーンと自分の携帯を交換した。


「このは」

「なんか賑やかだね」

「寿司でもなく天ぷらでもなく、オムライスを食べにきてんだよ」

「ええ?」

「ああ、まぁ、でも、今、取り込んでるから切るな」

「えっ……」

「明日な」

「ああ、また、明日」


プチっと電話を切る僕を、向こう側から父親と奥さんがじっと見ている。


「食べないの?」

「食べるけど……」

「ほら、父さん、早く。俺、腹へった」

「はいはい」


それから父は気を取り直して、スプーンを持つ。ケチャップライスの上に袋状になった卵がでんとのっている。そして、これでもかと湯気を上げている。その真ん中にまるで外科医がメスを入れるように父はスプーンで切れ込みを入れた。卵はすーっとはじけてぱかりと開いた。内側に閉じ込められていた半熟の卵が流れ出して広がった。まるで火山に溶岩が流れるみたいに、黄金の川が豊かに広がった。


「わ、すげー、ふわふわのとろとろだ」

「ね?」


なぜか二人がドヤ顔をする。


「これ、どうやってこんなちょうどいい状態にするの?魔法みたい」

「ねー」


卵とご飯の周りにはデミグラスソースがかかっていて、ソースで煮込まれた肉や野菜が散らばっている。家庭でのオムライスとはまた一味違うようだった。妻だけでなく僕も欲しいと言ったため、結局、父はそれを三等分する羽目になった。もぐもぐと食べながら話し合う。それは確かに絶品だった。


「これ、オムライスひとつに卵を何個使ってるんだろうな」

「ほんとね」

「一個ではないだろうなぁ」

「下手したら3個使ってるんじゃない?」

「すごい栄養だなぁ」


妻がスプーンを持った姿勢で少し引いた。今更だがカロリーを気にしているのだろう。


「でも、3人で分けたら大丈夫、大丈夫」


父がそう取りなす。


「卵って、なんか家庭って感じがするよね」

「どういうこと?」


僕がそういうと妻にすかさず聞かれた。


「どういうことって言われても、なんとなく」

「ああ、まぁ、言わんとすることはわかるような気もするけど……」


卵は丸いからだと思います。そして、開けると金色だから。それにそもそも卵って子供じゃないですか。そこまで考えてそこから、卵が鶏の子供だと思い、生まれることなく食べられていると鶏サイドにふと立って考える。

いやいやいや、そんなこと言い出したらキリがないだろ。食べてる時にこんなこと考えるのよそう。


「明日、楽しみですね」


妻が父に話しかける。


「ああ、うん。そうですね」

「寂しいですか?」


そういうと父は苦笑して、手を振って否定した。


「いや、いや、まさか。嬉しいですよ」

「またまたぁ」


僕は父に突っ込んだ。妻は両手を合わせてうっとりと言った。


「和装、いいですよねぇ。わたしも和装にすればよかったかなぁ」

「もう一回やる?」

「もう」


妻は笑った。いい笑顔だった。


「すぐにそういう冗談言うんだから」

「こういうやつなんですよ。すみませんね」

「なんで父さんが謝るんだよ」

「育てた責任があるからな」


冗談ばかり言い合いながら、終始笑って食事は済んだ。会計を済まして外に出る。外へ出て真っ直ぐ家へ向かおうとすると、父がぐずった。


「いや、やっぱり悪いよ。お前たちの気持ちは嬉しいけどさ」

「何、言ってんだよ。親子なのに」

「祥子さんが気を使うだろ」

「お義父さん」


右の腕を僕が引っ張っていて、そして、左の腕を妻がそっと捕まえた。


「たった一晩じゃないですか。気を使わないでください。どうせ同じところへ行くのですから、待ち合わせなんかせずに同じ家から出ましょう」

「……」


父がそれでもちょっと遠慮して僕と妻の顔を交互に見ている。


「狭いですけど」


妻が付け足した。


「なんか今、婉曲的に給料が安いって言われた気がした」

「もう、被害妄想よ」


そして、また3人で笑い合った。それは、小波が岸に寄せるような静かで優しい談笑だった。確かに僕たちはこの日浮かれてました。浮かれた3人でお祭りのような夜をもう少し続けたかった。


そして、それから、ちくりと思った。


もしここに母さんがいたら、こんな雰囲気で食事はできなかったろうなと。そしてもちろん、夜二人を家に泊めるなんてことにはならない。家が狭いからとも言えるけど……。


考え直して式に出ろと何度も言ってきたくせに、今となっては母がいないことにホッとしている自分がいる。母が心の調子を崩し、どんどん気難しい人になっていく。大きい意味ではそれも一種の老化現象なのかもしれません。昔は今のような人ではなかったのに、人は変化する。周りの僕たちはその変化に戸惑いながらも、それが長くなっていくとまるで最初から母が扱いにくい人だったかのようにそれを受け入れ、そしてそれが、暗黙の了解になっていく。


家族にはそういう、なんというのでしょうか?心の季節のアルバムのようなものがあると思うんです。家族にはわざわざ説明したり言葉にしたりしなくてもわかるそれぞれの魂の軌跡とでも言うのかな?その時、その時によって色の変わるアルバムのページのようなもの。


母が以前とは違う気難しい人になってしまった。それは、例えるなら季節の変化のようなものだと最近思う。そして、その季節の移ろい方は家族によって違う。それを共有する人たちというのが、家族なのだと思う。痛みも願いも、そして、喜びも。


僕たち家族のページの色は妹が大きくなり母から離れようとする時に、次の季節へと移りました。家族の四季は、自然の四季とは違う。次の季節にいつ僕たちが移れるのか、それはわからない。ただ、今、とある色の中にある。それを共有している。それを共有する中に新しく僕の妻も、祥子も入っている。


同じ色を見ている。それが、一緒に生きるということなのだと思う。

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