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4 モナリザの微笑④












   4 モナリザの微笑④








   話を数日前、このはちゃんと澤田さんが

   月見とろろ蕎麦と焼き魚定食を食べた日に戻す


   野中このは













先生が女の人の和服姿を好きになったきっかけは、10代のあかりさんの豪奢な振袖姿が忘れられないから、それなのにあかりさんはドレスで式をあげたんだ。


それは知らなかった。


その途端に、蒼生さんの言いなりになって着せ替え人形のように着物を着ている自分がとても惨めに思えたんです。なぜなら、先生が本当に見たいのはわたしの白無垢姿ではないから。


あかりさんが着物を着ていなかったのは知らなかった。

結婚式の写真はあそこになかったものな。


社食で澤田さんとあった午後、取引先との打ち合わせがあって外出した。向かう電車の中、揺られながら思い出す。


先週末、先生は作家の集まりに引き摺り出されてて留守だった。夜遅くまでになりそうと言われてて、わたしは1人家の中で自由でした。わたしには先生に内緒で時々やっていた秘密の悪戯のようなことがあった。それは、先生の書いたものを読み漁ることです。


それは本になったものではなくて、創作メモとか日記のような雑文。出版されることのない文章。同居人の特権だと泥棒のようにこっそり読んでいた。


最近書いているものは読みたくないんです。新作はまっさらのままで読みたいから、完成するまで内容を知りたくない。読みたいのは古いもの。先生の本は全部読んでいるから、メモや日記を読んでいるとなんとなくあの作品の頃かとわかるものです。本人が知ったら怒るかなと思いながら、でも、やめられずにいたわたしの悪戯。


そして、見つけてしまった。


先生についてなんでも知りたいと思ってはいたんでしょう。だけど、見てしまった今となっては思う。例え夫婦となる間柄であったとしても、踏み込まない方がいい領域はあったかもしれません。相手のためというよりはそれは、純粋に自分のためでした。


いくら一緒に住んでいたとしても、相手の机の引き出しの奥底までは事情がなければ見ないと思うんです。全てのものの整理整頓を自分でせずに相手に任せるとか、あるいは任されてないのにわたしのように勝手にあちこちひっくり返しては書かれたものを読み漁っていたりしなければ。


引き出しの奥の一番下に入れられていた。それは、先生とあかりさんのアルバムでした。

開かなければよかったのに。開かなくてもそれがあかりさんとのアルバムだとわかったのに。それでも開いて、そして見てしまったんです。


今よりももっと若い先生が、綺麗な女の人と一緒にいる。

写真だけではなくてわたしは先生の本を読んでいた。先生の処女作はあかりさんに捧げられたものだったから。文字で想いを知っていて、そしてその2人を写真で見てしまった。

写真に映る像と文字がその時その場に漂う空気までをも甦らせてしまったみたい。


2人がどれだけ愛し合っていたか、どんな関係だったのか、それがその時、本という文に写真という像が合わさって実体化してしまいました。


見なければいいのに、でも、見ないでいられるわけがなく、わたしはアルバムを食い入るように眺めた。美しい人でした。顔形だけではなく、その明るい笑顔。先生の映画を撮った星井監督が言っていた。明るくて元気で、カメラであの内面の明るさを映したかったと。でも、亡くなってしまったと。


その頃の2人は、先生ではなくてあかりさんがカメラを持っていたようで、2人で撮っているものの他にあかりさんが撮った先生が出てくる。旅先で、あるいはこの家で。普通の日に家の中で撮った写真。先生は写真が嫌いだからか嫌がっている。それを無理やり撮ったのだろう。その拗ねた顔。その少し甘えた拗ねた顔。そんな顔、わたしに向かってしたことはない。


それから続く、周りに誰もいない2人だけの家で撮られた愛し合う2人の写真。拗ねてた顔が結局はあかりさんに笑わされて、とても幸せそうに笑ってる先生。カメラを取り返して先生に撮られるあかりさん。その時の2人の笑い声が聞こえてきそうなそんな写真。


わたしは知っている。わたしはあの先生の処女作に感動した読者の1人です。

先生はあかりさんに心の一番奥にある白く燃えるようなそんな愛情を捧げた。愛情を全て彼女に捧げた。後も先も考えない。


先生にとってあかりさんは間違いなく唯一の人だったんです。


賭けてもいい。先生はきっと、あかりさんが倒れてからこのアルバムを一度も開いていません。開けるわけがない。どれだけ心を引き裂くか。


何かに憑かれたように写真を眺めた後に、わたしはアルバムをポイと床に置くと、先生の書斎の片隅で放心しました。


どこかでわかってたと思う。わたしが手にしている男の人は、心を既に空にした男の人なんです。


先生がわたしをあかりさんを想ったくらいの強さで想う日なんてくることはない。

人間がそこまで人を愛すること自体、一生に一度起こるか起こらないか。

きっと多くの人がそこまでには至らず死んでゆくのではないでしょうか。


わたしたちってまるで3人で隠れん坊してるみたいだなと思う。あかりさんとわたしと先生で。わたしが鬼の番になった時に、2人は示し合わせてわたしを残して先に家へ帰ってしまうんです。でも、わたしはいつまでも2人を探し続ける。どこかに隠れていると思って。


その日は、その後書斎をもとあったように綺麗に戻して、そして、夜、先生が帰ってくるのを待たずに先に寝てしまった。


翌日になったら、前日よりはもう少し落ち着きましたがその衝撃が収まるわけはなく、なんとなく憂鬱な日々を過ごしてた。そして、そんな時に澤田さんからあかりさんがドレスで式をあげた話を聞いてしまったのです。


わたしはいつも先生の顔色を伺って、自分より先生がどうしたいかを優先している。それは、自分がそうしたいからでもあります。だけど、それで愛情を得られるのでしょうか。あかりさんは自分を優先させてそれでもあんなに愛されたのに。


どうしていいかわからない。最悪な気分でした。


取引先での打ち合わせを終え、仕事は溜まっているけれど社に戻る気にもなれず、家に帰ろうと思って吉祥寺に向かった。子供の頃からの癖でしょうか。わたしは悩んでいると本屋に向かってしまうのです。一番落ち着く場所がわたしにとっては書店だからでしょうか。家の近くで一番品揃えのいい大型書店に足を向けた。


店内に入ると何を買いたいとか特になくて、ただフラフラと美しい装丁の本たちの色とりどりの背表紙を眺めて歩く。


それはほんの一瞬の出来事でした。


半地下の店内に続く階段の先に見慣れた人がいた。大きな重そうな本を持って眺めている。その姿を見たときに悟ったんです。


この人を失うことなんてできない。


そして、あかりさんの声が聞こえた。いつかわたしの夢に現れた彼女の口にした言葉。


女は図々しくないと幸せになれない。


階段を降りて蒼生さんに近づいた。先生は何かの写真集を眺めていた。


「先生?」


その声に先生がこちらを向いた。


「なんで?」

「たまたま寄ったらなんかよく知っている人がいるなと思って」


落ち込んでいるときによりによってあかりさんに言われた言葉を思い出して立ち直るなんて、わたしはどうかしているのかもしれません。でも、思い出した。あかりさんの言葉。


「帰りましょ。蒼生さん」


先生の腕を取った。

どんなにあかりさんが先生を愛していても、あかりさんに先生の腕は取れない。


この人と結婚して、長い長い時間を過ごして、でも、結局わたしは最後に隠れん坊で取り残されるように1人置き去りにされるかもしれない。ただ、一つだけはっきりしていることがある。

先生が心の芯を燃やしてあかりさんに捧げたように、わたしは蒼生さんを愛しています。

この人を失って生きていくことなんてできない。それがさっきわかった。


人生とは時に、自分が人を愛した分だけ同じように返ってくるものでもないのかもしれません。でも、それがなんだというのでしょう。


女は図々しくなければ幸せにはなれない。


帰り道で蒼生さんが何を思ったかわたしに尋ねた。


「なんか憂鬱になるようなことでもあるの?」

「……」

「あるの?」


憂鬱なんてそんな生やさしいものではありません。だけど、それを教えて何になるでしょうか?

代わりに尋ねた。


「先生、わたしと結婚できて嬉しいですか?」

「そりゃ、もちろん」

「そうですか」


これはわたしの秘密。一生言いません。わたしにも女としてのプライドがありますから。













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