4 モナリザの微笑①
4 モナリザの微笑①
野中このは
社食で、お財布を握りながら食券売り場で悩む……、というわけにはいかないのである。なぜかといえば食券売り場は混んでますからそんなことをすれば後ろの人に迷惑です。ま、いいか別にかけそばでと思い、かけそばの食券を買おうとして隣の月見とろろそばに指が滑った。
流石にただのかけそばも寂しいかという人間心理である。
そして、テーブルに腰かけてツルツルと月見とろろそばを食べる。月見の月が割れて黄身がダラァっと広がった。黒い醤油だしに黄色が広がるのをしばし眺めた。
ドスンと目の前に誰か座った。
「なんでこの世の終わりみたいな顔してんの?」
「……」
澤田さんだった。彼の前には焼き魚定食がある。大根おろしがかかってる。
「普通、女の子の前に座る時って、ここいい、とか聞きませんか?」
「自分で自分のこと女の子っていう大人の女の人ってどうかと思う」
「話をはぐらかさないでくださいよ」
「ね、なんで、そんな景気の悪いもの食べてんの?」
焼き魚定食のお値段マイナス100円で月見とろろそばになる。
「あ、あれか、豪華な結婚式あげるからお金を節約してるのか」
「……」
パチリと箸を割りながらにやにやしている中年男性の顔を見ました。この人は一足先に新婚なんです。
「先生が暎はいろいろと小姑みたいにうるさいから式の話はギリギリまでするなって」
「うん」
「わたしは何も話していませんが、何を根拠に豪華だと?」
「そんなんちょっと考えればわかるでしょ?僕のパイプラインぐらい」
ツルツルと不景気にそばを啜る。
「理沙ちゃんか……」
「考えるまでもないでしょ」
「ご主人にはいうなというのを忘れていた」
「失礼だな。人のことをなんだと思ってる」
澤田さんが綺麗な箸捌きで魚をほぐすのをしばし眺める。
「やっぱりハンバーグとか焼き肉定食は食べないんですね」
「何が言いたい?」
「唐揚げ定食とか」
「……」
肉をこれでもかと躊躇なく食べるのは若者の特権である。またツルツルと不景気にそばを啜り、ペットボトルのお茶を飲む。ふと少し離れた席の女子社員がコソコソ話しながらこちらを気にしているのが見えた。
「あの人たちはあれだ、別れた元カレと元カノがなに話してるんだろうって噂してますよ」
「暇な人たちだ」
「もともとそういう事実はなかったって澤田さんの能力ならいくらでも噂を操れるでしょ?」
「人を魔法使いみたいにいうな」
もしも澤田さんが魔法使いだったら、間違いなく真っ黒な魔法使いだなと思う。真っ黒な……。食べる手を止めて、ゴツゴツとした木の杖を持った黒魔法使いの澤田暎を想像してみる。名前も変えないとな。魔法使いが澤田暎なんて名前ではな。それに杖も、木の杖じゃないな、なんかでっかい宝石みたいのがついた金持ちそうな……。
「何を考えているの?」
「いえ、別に。他愛もないことです。でも、魔法使いではなくても、容易く情報を操れますよね?」
「しつこいな。僕は……」
「はい」
「する必要のない無駄なことはどんなに容易いことでも一切しない」
「……」
「みんな、なんて無駄なことばかりして生きているんだろう、時間は限られているのにといつも思いながら周りの人を見ているよ」
それから黙々とキレーに魚の骨を外して、大根おろしをのせて、そこにテーブルのトレイにおいてある醤油をきちっとかける。だらっとかけない、きちっとかける。ラピュタの封印が解けて動き出してしまったために足場を失って落ちてゆく人を見て喜んでいる、あれは誰だったっけ?あの悪役の……。みろ、人が蟻のようだ、だったかな?そんな感じの上から目線的な発言をしつつ、地味に焼き魚を食べてるし、澤田さん。*1
「何を考えているの?」
「いえ、別に。他愛もないことです」
何か物寂しい気がすると、月見とろろそばに調味料のトレイから取ってぱっぱと七味唐辛子をかけてみました。
「無駄なことでもないと思うんですが?ほら、理沙ちゃんの名誉を考えて」
「別に理沙の耳にここの噂は入らないし」
理沙ちゃんはもうこの会社にいないのです。
「でも、元同僚が気を効かして、元カレ元カノで仲良くランチしてたよと隠し撮りをして理沙ちゃんに写真を送るかもしれませんよ」
「今でも理沙が連絡取ってんのってこのはちゃんと、高梨さんくらいじゃない?」
「だから、高梨さんが気を効かして送るんですよ」
「それでもし理沙の耳に入ったとしても、理沙が気にするとは思えない」
「……」
たしかに……
「でも、なんかやじゃないすか。こう、全く根拠のないことをああだ、こうだと言われるのって」
「いつも人に頼ってないで、自分でどうにかしなよ」
「え……」
チーン
なんかすごくまともなことを言われた気がするのは気のせいだろうか。
「俺、言っとくけど、お前らのドラえもんじゃないから」*2
「……」
今、すごいことを言われたような。わたしたちって夫婦で(まだ夫婦ではないが)、のびたA、のびたBなのだろうか。2人で合わせてのびた完成形?そうなの?
「でも、人の口に戸は立てられないし……」
「そんなん別に思い悩む必要ないじゃん」
「へ?」
「自分の結婚の話の噂を広めればそれで終わりじゃん」
ふっとそこで我ながらやさぐれた笑みが出た。ツルツルと蕎麦を啜ってから口を開く。
「そしたら、四角関係みたいなわけわかんない噂が出てきますよ」
「三角でなくて、四角?」
「澤田さん、理沙ちゃん、わたし、先生」
指を折り折り言って聞かせる。
「いや、それ、どういう関係なのよ?」
「だから、先生と澤田さんが女を取り合ったという……」
「うわぁー」
この上もなく不味いものを間違えて口に入れてしまったようなレスポンスである。
「ないわぁ、それ」
「でしょ?だから、なんか対策を考えてくださいよ。魔法使いアッキー」
「な……」
動揺して箸をぽろりと一本落とした。アッキー。
「変な名前つけるのやめてくれる?」
「ダメすか?アッキー」
「魔法使いアレキサンダーならよい」
「いや、なんか、むっちゃ強そうな名前だなー」
黒魔法使いで筋肉ムキムキなのが頭に浮かぶ。
「で、式の準備とかは順調なの?」
「もう、先生が張り切っちゃって」
「え……」
「式場決めたのも、式の後のお食事の場所決めたのも……」
準備を始めてからの慌ただしい日々が走馬灯のように頭をよぎる。
「衣装決めたのも、ぜーんぶ」
「蒼生なの?」
「はい」
ツルツルと不景気に蕎麦を啜る。
「あれか、和風の式だから、張り切っちゃってるのか」
「なんか?」
わたしは澤田さん相手に小首を傾げた。
「着物だけでなく、庭と建物と着物、季節感が出る花の要素まで含めての総合芸術だそうですよ」
「え……」
「式場をあそこにしたのは、兎にも角にもあの、渡り廊下です」
「……」
「総檜造りの社殿、渡り廊下、梅……」
「梅?」
「梅、梅です……」
「ああ、梅、梅の名所だね、あそこ」
「それにお食事の場所も庭と建物が売りの由緒あるところで」
中庭に池があり色とりどりの錦鯉が泳ぐ料亭です。予約した部屋から中庭が覗けるようになっている。結婚式という特別な日にとびっきりの写真が撮りたいのだそうです。
「そういうのにげっそりして不景気な様子なわけ」
「いや、別にそういうわけじゃありませんけど」
「まあ、でも、やっと夢が叶ったというかな」
「夢?」
「着物がいいって言っても聞いてもらえなかったものな」
ピンときた。
「あかりさんですか?」
「そうそう」
「へぇ……」
「一生に一度のことだから、望みを聞いてあげればいいのにね。でも、言うこと聞くような子じゃなかったからなぁ」
懐かしいものを思い出すように社食の天井を見ながら、アッキーは遠い目をした。そして、ふと我に返った。
「あの、ごめん、なんかどうでもいいことを言ってしまったような……」
「いや、別に、全然、気にしませんから」
「……」
「気にしませんからっ」
そして、すっかり冷めたとろろ月見蕎麦、ほとんど食べたけどまだちょっと残ってるのをトレイごと持ち上げて席を立った。
***
しかし、なんだかその一言が重く残ってしまいました。
時々、断片的に耳に入ってくるあかりさんの像。そして、あかりさんと一緒にいる時の蒼生さん。それは、わたしの知っている先生とちょっと違うんです。そのことがなんだか引っかかるんです。先生が女の人の和服姿に執着するようになったきっかけは、あかりさん。10代の彼女の豪奢な振袖姿が忘れられないから。
それなのにあかりさんは式で着物を着ることを拒絶したんだな。
なんかあかりさんって、わたしと違うな。
*1 見ろ、人が蟻のようだ
正確には 見ろ、人がゴミのようだ でした。宮崎駿監督制作のアニメ天空の城ラピュタに登場するムスカが口にするセリフです。Wikipedia参照
*2 ドラえもん
藤子•F•不二雄による日本の児童向けSF漫画に登場する22世紀の未来からやってきた猫型ロボットである。野比のび太はその主人公の小学生。Wikipedia参照




