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2 戦友④












   野中このは












   

 とある日曜の夜に唐突に兄に呼び出され駅前のカフェへゆく。兄はなぞなぞのようなことをわたしに問いかけた後で、冷めたコーヒーを残して消えた。正確にいうとコーヒーは冷め切ってはいなかった。残してもあれなので、言われた通りにその少し酸味のある夜に飲むにしては十分に濃いコーヒーを喉に流し込んだ。眠れないことがあるからこの時間にはあまりコーヒーを飲まないようにしてるのに、しょうがないな。コーヒーを飲み終わったところで立ち上がると、狐につままれたような気分で店を出て家へと戻る。兄は一体なにをしたかったのでしょうか?

 

 せっかく外に出たから何か買いたいものなかったっけと、商店街をぶらぶらしながら結局なにも買わずにうちへと戻った。ガチャリと玄関を開けてリビングに入った。


「もう、戻ってきたの?」


 ソファに座ってテレビを見ていた先生に驚かれた。


「お兄さん、なんだったの?」

「それが、さっぱりよくわからないのよ」

「さっぱり」

「もともと、時々、わけわかんないことする人だから」

「ふうん」


 そして、先生はまたテレビに視線を戻した。先生の膝にエメラルダがのっていた。一緒にテレビを見ている。自分も上着を脱ぐと2人のそばに座った。そして、ふと思いついて聞いてみた。


「ね、先生」

「なに?」

「タイタニックみたいな大きい船に乗っていて」

「うん」

「船が沈もうとしてるの」

「うん」

「救命ボートに1人しか乗れないの。わたしを置いて乗りますか?」


 先生は肩肘をソファーの肘掛けにのっけて頬杖をつき、もう一方の手で猫を撫でながら明るい顔ではははと笑った。


「そんなん、乗らないと答えるに決まってるでしょ?」

「なんか含みのある言い方ですね」

「実際にその状況になってみないと、僕の答えが嘘か本当かわからないよ」

「ええっ」


 わたしは乗らないとちゃんと答えたのに……。先生の膝の上からエメラルダがわたしを見上げている。


「乗らないってちゃんと言ってくださいよ」

「乗らない」

「なんかスッキリしないな」

「言葉なんかに頼ろうとするからだよ。人間は嘘がつけるのに」

「ええっ」

「起こった事実だけ組み立てて、相手を信用するかどうかは決めるべきだ」

「なに言ってんですか、言葉に頼って生計立てている人が」

「ああ、それはどうもすみません」

「もうっ」


 先生はわたしの顔を見ながらまた楽しそうに笑った。猫がニャアと鳴く。エメラルダにまで笑われた。


「女の人ってそういうたらればの話、好きだね。いうだけならなんでも簡単なのに」

「もういいです」

「ああ、怒らないで。ね」

「怒ってなんかいませんよ。この程度のことで」

「このはさんは乗る?」


 反対に聞かれた。さっき頭の中で船に残る先生の様子を想像して、胸を痛めた自分をなんだか損したような気分で思い出した。


「先生を1人置いて乗るなんて可哀想だって思ってたけど」

「うん」

「2人で死んだらいろいろめんどくさいことにもなるかもしれないし乗ろうかと思います」


 だから、そう言いました。そんなこと言われてるのに、先生はおかしそうに笑ってる。全然こたえないらしい。


「もう、バカみたい。2人ともピンピンしてるのに、死ぬ話なんかして」

「うん、やめよ。こんな話、縁起悪いしさ」


 その時だけ、先生の声がしんみりとして、そして、髪をそっと撫でられた。わたしは少しハッとした。しまったと思いました。


「お風呂はいってきますね」


 何事もなかったかのように立ち上がり、パジャマを用意して脱衣所へとゆく。1人でお風呂に入りながら思いました。多分ね。身近な人を亡くしたことのない人にはわからないような痛みというものがあると思うんです。それが、もう高齢の祖父母であるとかならまた違うのでしょうけど。先生は、若くして連れ合いを亡くしているのに。そんな人に向かってあんな質問……。


ジャー


 シャワーの音を聞きながら反省しました。思いやりが足りませんでした。


 愛している人と死別する。それはほとんどの人が経験するありふれたこと。

 だからと言ってその痛みが、ありふれたものであることはないでしょう。

 だって、それぞれの1人にとってその経験は、初めてのものなのだから。


2022.11.6

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