3月1日 引っ越し
この街も、もう見慣れたな、、、。あと、1ヶ月でお別れと思うとどこか寂しい気持ちになった。長野から東京に来たけど、またここから離れるとは。
でも、あの日思い切って東京に来てよかったなと今では思える様になった。8月くらいまでは後悔することが多かった。一番の後悔は、聖徳高校の時の野球部だ。せっかく、4月まで続けてきた野球ができなくなるのは、想像以上につらかった。新しいクラスに入ってもなかなか馴染めない毎日も続いた。そんなある日、野球部の健太郎と八幡から手紙が届いた。健太郎からは、最近の近況報告。八幡からは、俺へのお礼の手紙だった。健太郎には、引っ越すことを伝えていたが、八幡は、全く伝えずのお別れだった。だからこそ、連絡をくれたのは嬉しかったし、八幡に負けずに頑張らないといけないと思った瞬間でもあった。八幡は、推薦で大学進学を決めていて、野球も続けるらしい。野球が上手いかはおいといて彼とまた一緒に笑える日が近くなっていることは考え深かった。受験も終わり、そろそろ連絡をとろうと思っていた頃でもあった。
俺は、当時のことが少しずつ蘇ってきていた。俺が引っ越しをしたのはGW直後。江陵高校戦の時に、健太郎に引っ越す話をしたんだっけな。試合に出ていなかった健太郎は、不貞腐れながらバットを振っていた。レフトのホームランゾーンにいた健太郎を呼びに行ったのを鮮明に覚えていた。あの日、代打で出場した俺は、聖徳高校最後の打席となった。
その打席で、たまたまホームランを打つことになったのだ。まるで、仕組まれたかの様な打席だった。江陵高校の投手は、ストレートしか投げてこなかったからだ。そして、そのストレートが俺の好きな真ん中高め目に放り込まれた。監督は、最後の打席だということを知っていただけに俺に指示は出してこなかった。そんなこともあり、投げてきた球に対して思いっきりバットを出すと、打球は、レフトの頭上を飛び込んでいったという仕組みだ。
昨日の合格通知が届いた時は、これまで味わってきたことのない不思議な気持ちになっていた。合格したんだという気持ちには、今もなれていなかった。母や父からも褒めてもらったがピンとくることさえない。むしろ、夢なんかじゃないかと思うくらいだ。
ずっとしてきた勉強をしていなのも変な感覚だ。いつも近くに置いていた英単語帳や社会ノートは、今も変わらずに机に置いてある。そんなことを考えていると目的地のカフェに着いた。