神父の力
「さて、フィナシェさんを探さないといけませんね」
アサラは周囲に注意を払いつつ、館の中の探索を始めた。
内部は思っていたよりも広く、牢屋も一つだけではなさそうだった。
「一緒の牢屋に入れてくれれば、手間も省けたのですけど……っと、見つからないようにしないといけませんね」
曲がり角付近に人の気配を感じて、アサラは足を止める。壁際に体を密着させると、小さく何かを呟いた。
「しかし、ヴァンドアから来たっていう神父とシスター、わざわざ捕まえる必要なんかあったのか」
「さあ、オレ達は言われたことをやるだけだ。考えるのは領主様の仕事だしな」
二人組の男達はそんなことを言いながら、アサラの前を通り過ぎていった。どういうわけなのか、アサラに全く気付いている様子はなかった。
「フィナシェさんの場所を漏らしてくれれば良かったのですが。そう上手くはいきませんか。ここの領主はああ見えてかなり用心深そうですし……恐らく、私とは反対側にいるのではないでしょうか」
アサラはヴェガの性格を分析して、フィナシェが囚われている場所の当たりをつける。館の外観を思い出して、今いる位置の反対側を目指して歩き出した。
館の中は思っていたよりも広い上に部屋も多くあり、牢屋らしき場所を探すのも一苦労だった。
「あのシスター、何でもとんでもない能力を持ってるらしいな」
「なるほど、どうりでオレ達が苦戦させられたわけだ。見た目に騙されたぜ」
その間何度かごろつき達とすれ違うが、ごろつき達はアサラの存在に全く気付く様子がなかった。
「だから、居場所を教えてもらいたいのですけどね……ですが、フィナシェさんには何か隠された力があるようですね。その力を狙って攫われた、ということでしょうか」
アサラは立ち止まって考え込む。
教皇庁から渡された資料には『年若い悪魔退治だが、今まで仕事で失敗をしたことがない。武器は主にナイフで、投擲を得意としている』くらいしか書かれていなかった。
それを踏まえると、情報収集に長けている人間が揃っている教皇庁ですら、調べることができなかった能力ということになる。
「そんな能力があるようには……でも、あの体躯で悪魔退治をこなすのですから、何かしらの秘密があってもおかしくはないかもしれませんね」
アサラは改めてフィナシェのことを思い出す。自分よりも頭二つ分は低い背丈に、年頃の少女らしい華奢な体つき。あの手紙がなかったら今回の仕事相手だとは全く思わなかっただろう。
「おい、神父が脱獄したらしいぞ‼」
「あの牢屋から、どうやって⁉ 見張りは何をやってたんだ」
「いや、わからんが……いつの間にか、気絶させられていたって話だ」
「だが、あの鉄格子をぶっ壊したのに、全く音がしなかったぞ」
「それが、あの神父は鍵を簡単に開けたらしい」
「は? どうやってだよ」
アサラが牢屋から抜け出したことに気付いたのか、ごろつき達が大騒ぎを始めていた。
「もうばれてしまいましたか。思っていたよりも早かったですね」
その様子を見て、アサラは予想外というように呟く。
「シスターの方は、どうなってる」
「あっちはナズルの旦那が見ているから、余程のことがない限りは問題ないはずだ」
ごろつき達が慌てているのを見て、アサラは壁際に背中を預けた。やはりごろつき達はアサラに全く気付くような様子はない。
「領主様に報告はしたのか」
「あっ、まだだ」
「馬鹿野郎、それが最優先だろうが」
ごろつきの一人が、弾かれたようにヴェガの元へと走り出す。
アサラはその様子をちらりと眺めると、足音を立てないように歩き出した。
「……騒がしいわね」
上の階が騒がしくなったことに気付いて、フィナシェは何事かと顔を上げた。
「さあ、な」
ナズルもそれには気付いているだろうが、さして興味はないというように言う。
「あなた、この館でも上の立場なのでしょう。これだけの騒ぎを放っておいていいのかしら」
その様子を見て、フィナシェは疑問を感じていた。ナズルはごろつき達をまとめている立場だから、これだけの騒ぎに対して対処しようとしないのは違和感がある。
「今の俺の任務は、お前が逃げないように見張ることだ」
ナズルはちらっとフィナシェに目線をやった。
「いくら何でも、こんな堅牢から逃げるのは無理よ」
「俺もそうは思うがな。だが、それができる奴がいないとは限らないだろう」
「そんな人間が……」
フィナシェはそこで言葉を止める。ナズルは冗談で言っているのかと思っていたが、本気で言っていることに気付いたからだ。
「本当に、お前は人の言葉の真偽がわかるようだな」
ナズルは驚いたのか、眉が少し吊り上がっていた。最初こそ全くの無表情かつ無反応な人間かと思っていたが、感情の起伏が他の人間よりもかなり小さいだけのようだ。
「そういうあなたも、感情が全くないように見えて実はそうでもないのね」
フィナシェがそう言うと、ナズルははっとしたように手を顔に当てた。
「俺も色々とあってな。感情というものは欠落したとずっと思っていたが……はたして、これは喜ぶべきか悲しむべきか」
そして、ふっと笑みらしきものを見せる。
「ナズルの旦那」
ごろつきの一人が、牢屋の中に駆け込んできた。
「どうした」
ナズルは普段の無表情に戻ると、ごろつきの方に顔を向けた。
「実は、例の神父が脱獄したようで」
「……そうか。それで神父は見つかったのか」
「いえ、まだです」
「俺も手を貸した方がいいか」
「でも、旦那はシスターを見張るようにと領主様直々に言われているんですよね」
ナズルが睨むような視線を向けたので、ごろつきは恐縮したように答える。
「構わん、緊急事態だ」
「そういうことなら、是非お願い……」
それ以上、ごろつきの言葉は続かなかった。何もされていないというのに、膝から崩れるようにその場に倒れ込んだ。
「案内、ご苦労様です」
その背後から、アサラが姿を現した。
「神父様?」
まさかアサラがここにいるとは思わずに、フィナシェは声を上げていた。
「フィナシェさん、無事でしたか」
「全くの無傷というわけではないですが、一応は」
「かなり酷い怪我をしているようですが、無事なようでなりよりです」
アサラはフィナシェの方を見やると、一瞬顔をしかめた。
「神父、まさかここまで来るとはな」
ナズルはアサラの前に立ちはだかった。
「おや、さすがに見張りがいないというわけにはいきませんか」
軽口を叩くアサラに、ナズルは無言で拳を叩き付ける。
「神父……様?」
ナズルの拳がアサラの胸元で止まっていた。ナズルが寸止めをしたのか、それともアサラが何かしらの力で止めたのか。いずれにしても、二人がただならぬ雰囲気を纏っているのがわかる。
「ナズル君、ご挨拶ですね」
アサラがやれやれ、というように大袈裟な溜息をつく。
「相変わらずだな、アサラ。今のも本気で打ったつもりだったが」
ナズルはすっと拳を引いた。
「えっ? ど、どういうことなの」
二人が顔見知りだとわかって、フィナシェは混乱していた。
「あ、すみません。色々と説明しないといけませんね。でも、その前に」
アサラは鉄格子の前まで歩いて行くと、牢屋の鍵に手をかざした。それだけの動作で、牢屋の鍵が音を立てて開いた。
「あ、あなた……い、一体」
その人間離れした動きに、フィナシェはそれ以上言葉を出せなかった。手をかざすだけで鍵を開けるなんて、とても人間ができることではない。
そこで、フィナシェは最初にアサラに出会った時にあった違和感を思い出した。どう見ても人間の見た目なのに、まるで人間でないような印象を受けた。
「とにかく、助けに来てくれたってことでいいのでしょうか」
「はい」
アサラが頷くのを見て、フィナシェはゆっくりと牢屋から出た。
「随分と、酷い怪我をしていますね」
アサラはフィナシェの肩口にそっと手を当てる。
「……あなた、本当に何者なの?」
自分の怪我が治ったのがわかって、フィナシェはアサラを見上げてしまう。
「そうそう、私に接する時はそうして下さいね。丁寧な言葉を使われると、どうにも落ち着かないものですから」
「それならお言葉に甘えて……って、そうじゃないわよ。一度に色々とあり過ぎて、何が何だかもうわからないわ」
フィナシェは大きく頭を振った。
「フィナシェさん?」
「お前の能力を見れば、誰もが驚くのは当然だろう」
「あ……それも、そうですよね」
ナズルに冷静に指摘されて、アサラは少し落ち込んでいるようにも見えた。
「神父様、ごめんなさい。せっかく助けに来てくれたのに、お礼の一つも言わないで」
その様子に、フィナシェはゆっくりと首を振った。
「いいんですよ。驚かれるのには、慣れていますから」
アサラは笑顔を作ったが、そこか無理のあるようなものだった。
「予定とは少し違ったが、領主の所に行くぞ」
「はい、私達の任務を遂行しましょう」
ナズルに言われて、アサラは思い出したようにそう言った。
「わたしも、連れて行ってくれないかしら。知らないままでいるのも嫌だし、何より先生を止めないといけないから」
フィナシェは強い決意を持って、二人に声をかけた。
「足手まといだ、といいたいが。ここに残していても逆に不安だ」
「ナズル君、相変わらず素直じゃないですねぇ」
感情のない言葉でナズルが答えると、アサラはそれを冷やかした。
「……行くぞ」
それを無視して、ナズルは牢屋から出て行ってしまう。
「やれやれ、私達もいきましょうか」
アサラに促されて、フィナシェもナズルの後を追いかけた。