脱獄
「神父が何の用だ」
領主の館を訪れたアサラに、門番が怪訝な視線を向けた。
「いえ、ここの領主様にちょっとした用件がありまして。取り次いでいただけますか」
「あんた、見たところこの街の教会に所属している神父じゃなさそうだな」
アサラの丁寧な対応に毒気を抜かれたのか、門番は一応話を聞くつもりになっていた。
「よくわかりましたね。私は所用でこの街を訪れたのです」
「へぇ、わざわざ他所の街からねぇ。で、神父様はどこから来たんだい」
「ヴァンドアですよ」
世間話をするかのように聞いてきた門番に、アサラはそう答えた。
「ヴァンドアとはまた、随分と遠くから来たもんだな。それに、教皇庁のお膝元じゃねえか。そんなところのエリートさんが、わざわざこんな田舎まで何用だ」
「まあ、そこは色々と、ね。それに、私は下っ端も下っ端なので、エリートなどとはとてもとても。下っ端なんて、あちこちに使いっ走りさせられるものですから」
門番が明らかに怪しいという態度を示したので、アサラは大袈裟な身振りでそう言った。
「はは、あんたも大変だな。偉い奴の使いっ走りってのは、中々に苦労するもんだ」
その様子がおかしかったのか、門番は声を上げて笑い出した。
「それで、領主様には取り次いでいただけますか」
「オレの一存では決めかねるんだよな。今、領主様は何かと忙しいとも聞いている。ま、一応話だけはしてやるよ」
門番はそう言うと、館の方へと向かって行った。
「思っていたよりも、あっさりと引き受けてくれましたね。何か裏でも……いえ、この街は怪しい所だらけなのでしょうけど」
思いの外交渉があっさりと終わり、アサラは少し意外だというように呟いていた。もう少し、いや、かなり難航すると予想していたこともあって、この結果には拍子抜けもしていた。
「領主様がお会いになるそうだ。くれぐれも、失礼のないようにな」
しばらく待たされた後で、門番が戻ってきてそう告げた。
「ありがとうございます」
アサラは軽く頭を下げる。
「中に入ったら、案内する奴がいる。そいつについていけばいい」
「お仕事、ご苦労様です」
アサラは門番に軽く会釈をすると、館の中へと入った。
「あんたか、ヴァンドアから来たっていう神父は」
館の入り口では、屈強な男がアサラを待っていた。
「ええ、アサラといいます。どうぞお見知りおきを」
「なんだい、ヴァンドアの神父ってのは、どいつもこいつもそんなに丁寧なのか」
アサラが丁寧に挨拶をすると、男はくすぐったい、というように言う。
「いえ、これは私の性格的なものですので」
「はっ、そりゃそうか。全員が全員そんなんだったら、オレは鳥肌が立っちまう。おっと、領主様のとこに案内しねえとな」
男は笑い声を上げると、アサラに対して自分に付いてくるように促した。
「それで、領主様はどのような人なのです」
案内されている間、アサラは軽く話題を振ってみた。
「ま、オレらのようなのも平気で雇ってくれるから、ありがたいお方だな」
「あなたは、何か……いえ、人の事情に首を突っ込むのは野暮ですね」
アサラは男の素性を探ろうとして、思い留まった。今の目的はフィナシェの行方を探ることで、目の前の男を探ることではない。
「で、あんたは何が目的でここに来たんだ」
「仕事の関係で、領主様と話をする必要がありまして」
「領主様は礼儀にうるさい方だ、失礼がないようにな」
「ご忠告、感謝します」
「……領主様、神父様をお連れしました」
豪華な装飾が施された部屋の前で、男は立ち止まった。そして、中にいるであろう領主に声をかけた。
「ご苦労、お前は自分の仕事に戻ってくれ」
「了解しました」
中から領主の声がして、男は自分の仕事に戻っていく。
「失礼します」
アサラは扉をゆっくりと開けて中に入る。
「これは神父様、わざわざご足労いただきありがとうございます」
中にいた領主は、アサラの姿を見ると丁寧に応じた。
「これはご丁寧にどうも、私はヴァンドア所属の神父で、アサラといいます」
「さすがに神父様は礼儀がなっているな。私はこの街の領主でヴェガという。そんなところで立っていても疲れるだろう。かけてくれたまえ」
ヴェガに座るように言われて、アサラはヴェガの対面に座った。
「さて、神父様。今日は一体どういった用件かね」
アサラはヴェガの様子をそれとなく観察していた。あれだけの荒くれ者を雇っているのだから、相応に粗暴な人間と予想していたが、意外にも落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「少し前から、私の連れのシスターが行方不明になってしまいましてね。どこを探しても、中々見つからなくて困っているのですよ」
アサラは回りくどいことをせず、本題を切り出した。
「連れのシスター?」
ヴェガは意外そうな表情を作る。
本当に知らないのか、それとも知らないふりをしているのか判断が難しいところだった。
「私と一緒に、ヴァンドアから来たのですが。さすがに私一人では仕事に支障が生じますので」
「それはお困りのようだな。だが、申し訳ないが私も詳しいことはわからないのだよ」
ヴェガは申し訳なさそうに首を振った。
「領主様であれば、この街の情報を網羅していると思ったのですが」
「いや、いくら私とて、全てを把握しているわけではないよ」
「そうでしたか、お手数をおかけしました」
これ以上情報を引き出すことは難しいと感じたアサラは、この場から引き上げることにする。フィナシェがこの館のどこかに囚われているのはほぼ間違いないが、ヴェガも中々のやり手で尻尾を出しそうになかった。
「そうか、力になれなくてすまないね。そういえば、神父様。この街には仕事で来たそうだが、ヴァンドアからわざわざ来るほどだ。余程の用件なのだろう」
そんなアサラを引き留めるかのように、ヴェガが声をかけてきた。
「ええ、まあ」
若干不審に思いつつも、アサラは適当に返事をする。
「それで相方がいないというのは、中々に大変だな」
「ひょっとして、シスターを探す手伝いをしてくださるのですか」
「なるほど、神父様はいささか楽観的なようだ。だが、世の中はそこまで甘くはない」
ヴェガが手元にあった鈴を鳴らすと、部屋に数人の男がなだれ込んできた。
「おや、来客をもてなすにしては、少々荒っぽい歓迎ですね」
こんな状況にも関わらず、アサラは冷静だった。
「ほう、この状況でも慌てないか。先のシスターといい、ヴァンドアに所属している人間はどうにも肝が据わっている」
「先のシスター、ですか。やはり、フィナシェさんはここにいるのですね」
ヴェガの言葉に、アサラの視線が鋭くなった。
「いや、彼女は取り囲まれた時に、そこの窓を突き破って逃げたのだよ。全く、このガラスも決して安いものではないのだが」
それに対して、ヴェガは困ったというようにアサラを見る。
「領主様、この神父はどうしますか」
男達は座ったままのアサラを取り囲んだ。
「神父様、あなたは窓を割って逃げるようなことはしないでしょうね」
ヴェガは少しだけ口元を歪めていた。
「いや、本当に彼女はそんなことをしたのですか。ここから窓を突き破って逃げた、となればただではすまないでしょう」
アサラはそれを素直に信じることができずにいた。確かにフィナシェは今までの実績からしても、相応の悪魔退治であることはわかっている。ただ、実際に対面すると想像以上に小柄かつ華奢な少女で、封筒を持っていなければ本人だと気付かなかっただろう。
「彼女は何か体術の心得でもあるのかね。大した怪我すらしていなかったようだよ」
「私も初めて会ったものですから、詳しいことは。ですが、無事でなりよりです」
「それで、神父様。大人しくしてくれるかね」
ヴェガに言われて、アサラは周囲の男達を見渡した。いずれも屈強な体つきをしており、それなりに心得もありそうだった。
ここで無理に突破することもできなくはなさそうだが、フィナシェを探しにきたのだからここで逃げたら振り出しに戻ってしまう。
「わかりました。私を捕らえて何の得があるのかわかりませんが、私も痛い思いをしたくありませんしね。素直に従いましょう」
アサラは軽く両手を上げて降参の意を示した。
「話が早くて助かるよ。連れて行け」
ヴェガが命令すると、男達はアサラの両腕を掴んで立ち上がらせる。
「いえいえ、そこまでお手数をかけてもらわなくて結構ですよ。私も揉め事は苦手ですし、あなた達に従います」
「随分大人しいな。先のシスターとは大違いだ」
アサラがあまりに従順なので、男達は意外そうな顔をしていた。
「付いてこい」
男達はアサラを取り囲むようにしてどこかに連れて行く。
「ここに入っていろ」
見るからに牢屋、といった場所に通されて牢の扉が開かれた。
「ご苦労様です」
「はっ、牢屋に入れられてご苦労様、か」
アサラが牢に入ると、扉が閉じられて鍵がかけられた。
「ま、大人しくしてろよ。といっても、あんたが何かできるとも思わんが」
一人の見張りを残して、男達はいなくなっていた。
「おや、一応見張りをつけるのですね」
見張りをつけられたことが意外だったこともあって、アサラは思わず口にしていた。
「オレらは必要ないと思っているがな。領主様は何かと用心深い」
男は鼻で笑うと、近くにあった椅子に腰を下ろす。
「そうですか」
アサラは鍵に手をかざした。すると、何の前触れもなく音を立てて鍵が開いた。
「なっ、お、おい……」
それを見て慌てた男は、人を呼ぶために声を上げようとする。だが、それは途中で止まってしまった。
男は意識をなくすと、その場に倒れ込んだ。
「すみませんが、少し眠っていてくださいね」
アサラは男を受け止めると、牢屋の中に横たわらせる。そして、再度鍵に手をかざすと今度は鍵が締まった。
「これで少しは時間が稼げますね。ですが、この館は思っているよりも広そうです。できるだけ早く合流したいところですね」
アサラは足音を立てないように牢屋を後にした。