前当主の娘
「どうやら、上手く撒けたようね」
追手が来ないことを確認して、フィナシェはそう呟いた。
「あなた、その恰好は……シスター、ですよね」
少女が半信半疑といった感じで聞いてくる。
「一応は、ね。こんな身なりだから、信じ難いかもしれないけど」
フィナシェはボロボロの修道服の端を摘まむと、そう答えた。
「いえ、ただのシスターにしては、かなり戦闘能力が高いな、と思いまして」
だが、少女の疑念は別のところにあった。フィナシェがシスターとは思えないほどの技量を持っていることを疑っていた。
「そうかしら」
「あそこまで的確にナイフを投げて追手を足止めするなんて、普通はできませんよ。余程特殊な訓練でも積んでいれば、話は別ですけど」
とぼけようとしたフィナシェに、少女は詰めよった。
「わたしの素性が気になるのかしら」
「助けてもらっておいて、失礼かとは思いますが」
「少なくとも、あなたの敵ではないことは保証するわ」
少女が自分に対してかなり疑念を抱いていることを察して、フィナシェはそう言った。
「そう、ですね。そうでなければ、わたし達を助けてくれませんものね」
少女はフィナシェの言葉を一応信じることにした。
「それで、あなた達は何者なの? 当主の館に攻め込むなんて、普通なら考えないわよね」
「……」
フィナシェがそう聞くと、少女は何を話したらいいかと考え込む。
「サニアさん、この人は信用できるんじゃないですか」
すると、周りにいた男の一人がそう進言した。
「あなた、簡単に言うけど、彼女はただのシスターじゃないわよ。信用できないとまでは言わないけど……」
サニアはそこで言い淀んだ。
「でも、見ず知らずの俺達を助けてくれたじゃないですか。悪い人じゃないと思いますよ」
「まあ、信用できないならそれはそれで構わないわよ。それに、わたしはあなた達に便乗してあそこから逃げることができたんだから、気にする必要はないわ」
サニアが迷っているのを見て、フィナシェはそう言った。
「便乗して逃げたって、どういうことですか」
「サニアさん、ここで立ち話をするのもなんですから……」
「そうね、わたし達の拠点でゆっくりと話をしましょう。一緒に来てくれますか」
サニアは男の意見を受け入れて、フィナシェに一緒に来るように提案する。
「わかったわ」
こちらに対して危害を加えることはないことがわかったので、フィナシェはその提案を受け入れた。
「随分とあっさり信用するのですね。わたし達が、あなたに何かするとか思わないのですか」
フィナシェがあっさりと受け入れたので、サニアは逆に疑念を抱いていた。
「わたしは仕事柄、色々な人と接するわ。だから、あなた達のことは信用しても大丈夫だと判断しただけよ」
自分の能力について説明したところで、信用されるとは思えなかったので、フィナシェは適当な理由をでっち上げた。
「そうですか」
サニアはそれ以上言及することはしなかった。
拠点は思っていたよりも離れた場所にはなく、思っていたよりも早く到着する。
「着きました」
サニアはフィナシェの方を振り返った。
「思っていたよりも、大きな建物ね。こんな所に大勢で集まったりして、目立たないのかしら」
それを受けて、フィナシェは疑問を口にした。
これだけの人数が集まる場所ならそれなりの広さが必要だが、当主に反逆しようとする集団が集まるにしては目立ちすぎるようにも思えた。
「普通に考えれば、当主に反逆しようとする集団がこんな所に集まるなんて思わないでしょう」
「なるほど、そういうことね」
サニアの説明を受けて、フィナシェは納得したように頷いた。
中に入ると、これといった装飾品はなく、生活用品すらほとんど置いていなかった。こんな場所で密会をしているなど、誰も思わないだろう。
「フィナシェさん、よく見たらボロボロじゃないですか。誰か、代わりの服を用意して」
サニアは明かりを付けると、フィナシェの修道服がボロボロになっていることに驚いていた。すぐさま、周囲に新しい服を準備するように指示を出した。
「フィナシェ、でいいわよ。あなたもわたしとあまり歳が変わらないようだし、普通に喋ってくれて構わないわ」
フィナシェは初めて明るい場所でサニアの顔を見て、自分とさして変わらない年齢であることに気付かされた。だから、自分とは普通に接するように促した。
「あっ……そうで、そうみたいね。なら、お言葉に甘えてそうさせてもらうわ」
サニアの方もフィナシェが自分とあまり歳が変わらないことに気付いて、フィナシェの提案を受け入れる。フィナシェの背が低いことも相まって、自分よりも年下かと思ったかもしれない。
「それで、あなたはどうしてあの屋敷にいたの」
ずっと疑問に思っていたのか、サニアは真っ先にそう聞いていた。
「理由はわからないけど、当主がわたしを屋敷に招いたの。本来なら断るべきだったかもしれなけど、思うところがあって敢えて受け入れたわ。そうしたら、拘束されそうになったから咄嗟に逃げて、この有様ってところよ」
フィナシェはボロボロの修道服を指差した。
「どうやったら、そこまでボロボロになるのよ」
「館の上階から窓を突き破って飛び降りたわ」
「……よく無事でいられたわね」
サニアは呆れたようにそう言った。
「これでも、悪魔退治をやっているわ。普通の人間よりは鍛えているつもりよ」
「悪魔退治? あなたが、そんな小さな体で……」
信じられないという表情で、サニアがフィナシェを見ていた。
「わたしのナイフ捌き、あなたも見ていたでしょう」
こういった反応には慣れているので、フィナシェは自分の実力を示すことで説明の代わりにした。
「確かに、あれだけの技量があるなら問題はないかもしれないわね。にわかには信じられないけど」
「まあ、信じる信じないはあなたの自由よ。それで、今度はこちらから聞いてもいいかしら。あなた達は、どうして当主の館を攻めたのかしら」
「……そうね、ここまできたら隠しても仕方ないわね。わたしは、この街の前当主の娘なの」
フィナシェの問いに対して、サニアは一瞬だけ迷ったような素振りを見せる。だが、すぐに思い直して説明を始める。
「前当主の娘、ね。それならある程度はわからないわけでもないけど……」
サニアの話を聞いて、フィナシェはある程度納得していた。
サニアが前当主の娘だというなら、現当主であるヴェガに対して反旗を翻すのもわかる。
「今の当主のヴェガは、父の側近だったわ。でも、ヴェガはある時父を裏切って……父は、娘のわたしが言うのもどうかと思うけど、善政を敷いていたと思うわ。でも、ヴェガは決して善政を敷いているとは言えないわ」
「そうね。彼は施政者として正しいことをしているとは言えないわ。でも、わたしは彼の目的がわからない。何か、大きなことを企んでいるような、そんな気がしてならないの」
フィナシェは先程のヴェガとのやり取りを思い出して、そう口にした。中々本心を悟らせなかったことといい、何を考えているのかわからなかった。
「確かに、父に仕えていた頃から何を考えているのかわからない部分はあったけど」
サニアはそれを肯定するように頷いた。
「それに、彼は何が目的かわからないけど戦力を集めているわ。たったこれだけの人数で戦いを挑むのは無謀じゃないかしら」
フィナシェはサニア達の戦い方に無理があったことを指摘する。
最初はある程度押していたとはいえ、あのまま戦っていたら一方的に負けていたのは目に見えていた。
「それくらい、わたしだってわかっているわ。でも、これ以上この街の住人が苦しむのは見ていられなかったの」
サニアもそれは理解しているのか、苦し気な表情になっていた。
「サニア様、替えの服を用意しました」
そこで、新しい服を用意した男が戻ってくる。
「ガルア、ありがとう」
ガルアのことは信頼しているのか、サニアの表情がふっと柔らかくなった。
「あり合わせで悪いけど、これを使って」
「ありがとう。事情があって、修道服でいるわけにもいかなかったから助かるわ……こんな上等な物、よく用意できたわね」
フィナシェは服を受け取った。あり合わせと言っていたが、その割にはそこそこ上質な物で、サニアが前当主の娘だということを伺わせた。
「サニア様を助けて頂いたのですから、これくらいは当然です」
ガルアはさも当然、というように一礼する。その様子からして、以前は執事をしていたのだろうと予想できた。
「今日はもう遅いから、ここに泊っていくといいわ。これからのことは、明日話し合いましょう。ガルア、部屋に案内して」
「わかりました」
サニアに言われて、ガルアは恭しく一礼した。
「何から何まで、悪いわね」
「では、こちらへ」
ガルアに案内された部屋は、思っていたよりも良い部屋だった。この街の教会の部屋には及ばないが、普通に休むには何ら問題はなかった。
「ありがとう」
「あの、もし良かったら我々を助けてくれませんか」
「どういうことかしら」
不意にガルアに言われて、フィナシェは聞き返していた。
「今、ここにいるのは前代に仕えていた者達です。ですが、大半はヴェガに鞍替えしてしまい、人数もごく僅か。そこで、あなたのような方が助けてくれれば、と思いまして」
「わたしの力なんて、微力なものよ」
フィナシェはゆっくりと首を振った。自分の能力は悪魔退治、それも一対一に特化したものだ。人間相手にはどこまでやれるかわからないし、ラギナはともかくナズルには到底及ばない。
「そうですか」
ガルアは残念そうに息を吐いた。
「でも、わたしの目的と合致するなら、協力することも考えているの。だから、詳しい話をした後で決めようと思うわ」
「あなたの目的、ですか。それは一体」
「話すと夜が明けるくらい長くなるわ。だから、明日にしましょう」
「そうですか。良い返事を期待していますよ」
ガルアは一礼すると、部屋から出て行った。
「とんでもないことになったわね」
フィナシェはボロボロになった修道服を脱ぎ捨てると、そのままベッドに倒れ込んだ。自分でも思っていた以上に疲労していたのか、睡魔に襲われるのはあっという間だった。