思わぬ招待
「さて、どうしたものかしらね」
店から出たフィナシェは、これからのことを思案する。
悪魔が街を支配しているというが、今のところこれといった証拠は見つからなかった。
「もう少し、探索してみようかしら」
「これは丁度良い、探す手間が省けたか」
フィナシェが歩き出そうとした時、背後から抑制のない声がかけられた。
振り返ると、ナズルが立っていた。相変わらず感情のない表情をしており、何を考えているか全くわからない。
「何か用かしら」
相手が一人かつ、敵意はなさそうだったので、フィナシェはさして警戒もせずに聞いた。
「この街の当主が、お前に会いたいと所望している」
ナズルは全く感情のこもらない口調で答えた。人間を相手にしているとはとても思えず、人形
の相手をしているような錯覚に陥りそうになる。
「この街の当主が、わたしに? どういうことかしら」
ナズルの言葉は嘘ではなかったので、フィナシェは訳がわからなくなっていた。
「言葉通りだ。別に会いたくないなら断ればいい」
強制的に連れて行かれるかと思っていたが、ナズル自身にはそのつもりはなさそうだった。
「あら、こういう時は無理にでも連れて行く、っていう流れになるんじゃないかしら」
「教会関係者と揉め事を起こすのは、こちらとしても望むことではない。で、どうするんだ」
ナズルに言われて、フィナシェは思案する。
一応、嘘は言っていないようだけど……ただ、この人は感情が無さ過ぎる。嘘も真実も変わらずに話せる可能性も否定はできない、か。
でも、これは情報を得るにはまたとない機会ね。神父様が聞いたら勝手なことをするな、って怒られるかもしれないけど。
「わかったわ。案内して頂戴」
「そうか、なら俺に付いてこい」
フィナシェがそう返答すると、ナズルはぶっきらぼうにそう言った。ナズルはフィナシェを顧みることすらせず、さっさと歩き出した。
その速度が思っていたよりも早かったこともあって、フィナシェは追いかけるのも一苦労といった感じだった。
この人、そこまで体が大きいわけでもないのに、歩くの早いわね。
アサラほど背が高ければその分歩幅も大きくなるから、歩くのが早くなるのはわかる。だが、ナズルは平均的な体格で、歩幅もそれほど大きいわけではない。
歩き方を見ると全く隙がなく、何かしらの技能を習得していることは容易に察せられた。
「ちょっと、わたしはあなたほど早く歩けないのよ。少しは気を使ったらどうなの」
さすがに追いつくのも難しくなり、フィナシェは思わず文句を言ってしまう。
すると、ナズルの足がピタリと止まった。
「そうか。俺はそういった気遣いができなくてな。悪いことをしたか」
そして、振り返るとそう言った。その表情は相も変わらず抑制はなかったが、どこか申し訳なさそうにも見えた。
「あ、わかってくれればいいのよ」
ナズルが意外にも素直だったので、フィナシェは少し戸惑ってしまう。
「俺がこんなことを言うのは、意外かな」
フィナシェの心境を見透かしたかのように、ナズルはそんなことを言う。
「そうね。あなたからは冷徹な印象を受けたから、余計にね」
ここで取り繕っても仕方ないと思い、フィナシェは素直にそう答えた。
「どうも、俺は人に気を遣うのは苦手なようでな。何かあったら、遠慮なく言うといい」
「そうさせてもらうわね」
そこで、フィナシェはふっと笑みを漏らしていた。
感情こそ表には出さないが、ナズルは意外にも人間味があるようだ。
「で、どうしてこの街の当主様はわたしに会いたいのかしら」
小走りで追いかける必要がなくなって、余裕ができたところでフィナシェは当初からの疑問を口にした。
「さあ、な。俺は命令を受けただけだ。当主が何を考えているかなど、全くわからんよ。ただ、この街に外から教会の人間が来たことを異様に気にしているようだったが」
まるで他人事のように、ナズルはそう答えた。
「それなら、わたしだけではなく、もう一人の神父も連れて行くべきじゃないかしら」
「お前の方が扱いやすいと思ったんだろう。できれば二人共連れて来いとは言われているが、駄目ならお前だけでも連れて来い、という指示を受けている」
「甘く見られたものね。まあ、慣れているけど」
フィナシェはふっと息を吐いた。小柄な少女と大柄な男では、小柄な少女の方が扱いやすいと思われても仕方ない。
「だが、俺はお前も只者ではないと思うがな。見た目で侮ったら痛い目を見そうな、そんな雰囲気を感じるが」
一瞬だけ、ナズルの顔に表情らしきものが見えたような気がした。
「買い被り過ぎよ」
「そういうことにしておくか」
フィナシェがナズルの言葉を否定すると、ナズルはまた無表情でそう言った。
「あなた、この街ではどういう立場なの。ならず者っぽい連中も上手くまとめていたようだし」
ナズルの立場が少し気になって、フィナシェはそれとなくそう聞いた。
「一応、当主の側近ということになっている。あの連中は問題は起こすが、上手く使ってやればそれなりに役に立つ。まあ、ある程度飴をくれてやらんとまともに言うことを聞かないのが悩みの種だが」
普通の人間なら困ったような顔をするところだろうが、ナズルは全く表情を変えない。
「どうして、あんな連中を使うのかしら。もっとまともな人間を使った方が、楽じゃないかしら」
「さあな、さっきも言ったが当主の考えていることはわからんよ。俺は部下だから言うことに従うだけのことだ」
「随分と簡単に答えてくれるけど、いいのかしら。部外者のわたしに内部事情を話したりして」
ナズルが思っていたよりも簡単に質問に答えるので、フィナシェは不思議に思っていた。ある程度内容は選んでいるだろうが、それにしても簡単に話過ぎている。
「構わんよ。お前がこの街の実情を知ったところで、何か問題があるわけでもない」
ナズルは問題ない、というように言った。
「そう」
フィナシェがそう答えると、不意にナズルが足を止めた。
「どうしたの?」
「着いたぞ」
ナズルにそう言われて、フィナシェは目の前の建物を見る。当主が住む館となればそれなりに豪勢なのが相場だが、この館は度を越しているようにも思えた。
「また無駄に豪華な館ね」
「そうかもしれんな」
フィナシェは当主を否定するようなことを言ったが、ナズルはそれを否定しなかった。思っているよりも当主に忠誠を誓っていないのかもしれない。
「この館は無駄に広いからな、はぐれると迷子になる。しっかり付いてこい」
フィナシェを一瞥してから、ナズルは門に手をかけた。
館の中は無駄に広く、はぐれたら本当に迷子になりそうだった。
それでもナズルは全く迷うことなく歩いて行くので、ほぼ完全に館の内部を把握しているようだった。
「そういえば、今日は一人で行動していたのね」
「俺とて、常時あいつらを管理しているわけではない。あいつらも必要以上に拘束されるのを嫌うしな。必要に応じて命令を出す程度に留めている」
「そういうことね」
一際豪華な装飾が施された部屋の前で、ナズルは立ち止まった。
そして、扉を数回叩く。
「当主様、例のシスターをお連れしました」
「ご苦労、入れ」
中からそう声がして、ナズルは扉を開いた。
「これは……」
部屋の中に入って、フィナシェは驚きの声を上げていた。一地方の当主の部屋にしては必要以上に豪華で、この資金はどこから調達してきたのかと疑念を抱いてしまう。
「本日はこちらの招待を受けてもらって、感謝する」
当主とおぼしき人物がそう口を開いた。年齢は三十後半から四十くらいといった感じで、思っていたよりも見た目はまともそうだった。
「ナズル、ご苦労だった。下がっていいぞ」
「了解」
当主がナズルに下がるように言うと、ナズルは一言返事をして部屋から出て行った。
「シスター。そんな所に突っ立っていないでかけたらどうかね」
「では、お言葉に甘えて」
フィナシェは当主の対面にある椅子に座った。
「さて、何から話そうか」
当主は意味ありげな笑みを浮かべていた。