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不死川雪路は探偵に非ず  作者: 毒原春生
不死川雪路の首吊り死体
7/15




合宿所の掃除が滞りなく終わったところで、一日目は夜を迎えた。

林間学校や修学旅行ではないから、掃除の次に新たなイベントは控えていない。食事と入浴が終われば、あっという間に就寝時間までまもなくとなる。


消灯は二十二時。今日び、中学生もまだ寝ない時間ではなかろうか。

とはいえ、不服を抱いたところで時間がずれ込むわけではない。灯りが落とされてしまう前に、一階の自販機まで散歩としゃれこむことにした。

そんな折。


「……あれ?」


一階の廊下で、僕と同じく寝間着用に持ってきたジャージを着た雪路と鉢合わせた。

挨拶をするよりも先に、首を傾げながら聞く。


「雪路、髪ほどいたんだね」

「髪?」


僕の質問に、今度は雪路が首を傾げる。

自分の頭に手をやった彼女は、そこで得心が行ったらしい。髪ゴムで強引に束ねていない黒髪を片耳に引っかけながら、人形めいた顔のままわずかに眉をひそめた。


「困りましたね、いつほどいたのか覚えていません」

「あれ、そうなのかい?」

「なにぶん、普段馴染みがない装飾でしたので。入浴前なのは確かだと思うのですが」


それは間違いないだろう、と頷いてみせた。

どれだけ馴染みがなくても、直接触れる機会があれば嫌でも気づく。

しかし、それならいつとれたのだろう。

思い出せる範囲では、夕食時に顔を合わせた時。あの時にはまだつけていたような気もするが、僕の記憶力は至って平凡だ。いくら可愛い恋人のことでも詳細な断言はできない。


「まあ、なくしてしまったものに拘泥していても仕方ないでしょう。探して安易に見つかるものでもありませんし。後ほど西藤さんに事情をお話して、譲渡ではなく貸出のおつもりでしたら、代替品を購入することで許していただけるよう尽力しましょう」


記憶を検索する僕とは対照的に、雪路の口からはさっぱりした言葉が出た。

仮にも借り物をなくしたというなら、もう少し気にしそうなものだが。


「どう過大評価しても、一つ五百円にも満たないようなものでしたので。だからこそ譲渡を前提にあのヘアゴムを受け取ったのですが、いざ紛失したとなると貸出の可能性を考慮しなかったことが悔やまれますね」


僕の疑問を察したように、彼女が補足の言葉を口にする。


「値段は安くても、思い入れとか使いやすいとかはあるんじゃないか?」


ついでとばかりに、さらなる疑問を投げかける。


「そのご意見もごもっともです」


揚げ足取りのようになってしまったが、雪路は気にすることなく答えてくれた。


「ここはあえて、先輩に問い返しましょう。私が先輩に誕生日プレゼントに差し上げた、吸水性に優れたハンカチがあったとします。ハンカチを必要としている某さんにそれを貸したとして、その後先輩はどう行動しますか?」

「……すぐに返してもらうようにするかな。それか、そもそも貸さないとか」

「やむを得ず、しばらく貸す場合になった際は?」

「大事なものとはさすがに言わないだろうけど、お気に入りだから扱いに気をつけてほしいくらいは言うね。後から文句を言って「そんなものを渡すな」って言われても嫌だし」

「はい。そういうことですね」

「……なるほど」


わかりやすい。そういうものなら、渡す際に何らかのリアクションがあるということか。


「これが貴金属ということであれば「貴重品である」というハイコンテクストがあるので、あえて説明するまでもない、ということも考えられます。ですが、何の前情報もなくヘアゴムに貴重品という付加価値があることを推察せよというのは難題です」

「ごもっとも」

「とはいえ、これは必要以上に気に病む理由がないというだけであって、自身の非そのものを弁護しているわけではありません。金銭的にも心情的にも価値が無いとしても、西藤さんの所有物を損失させた事実に変わりはありませんので」

「うん、そうだね」

「叱責をいただいた際は、素直にそのお怒りを受け止める所存ですよ。そこはご安心を」


そんな言葉で締めて、雪路は小さく息をついた。

人形めいた表情なのは変わらないが、心なしか落ち込んでいるように見える。わかりやすいミスなんて滅多にしないからなあ、この子は。


完璧主義とまではいかないが、雪路は潔癖なところがある。

髪ゴムと言えど、なくしてしまったのが気になるようだ。

何か力になれないものか。そんなことを思いつつ、ささやかな提案を口にする。


「謝る時、僕も一緒にいようか?」


言ってから、もう少しマシな言葉はなかったのかと自分自身に呆れ返る。案の定とも言うべきか、雪路の首が横に振られた。


「そんな卑怯な真似はしません」

「卑怯って、そんな大げさな」


もし西藤が怒っても、第三者の目があるなら当たりは弱くなるかもしれない。そういう心算がなかったとは言わないが、それを卑怯と称するのはオーバーではないだろうか。

そんな僕の反応に、雪路は軽く肩をすくめる。


「先輩は鈍いですよね」


いきなりディスられた。

脈絡が欲しい。


「昼も同じことを東田さんに言われたんだけど」

「そうですね。何やら東田さんと仲睦まじいご様子で」

「うっ」


不服を伝えたら、見事に墓穴を掘った。


「……転びそうになったから、支えただけだよ」

「ええ、それは存じておりますとも」

「それはそれで怖いな……。自分で弁明しておいてあれだけども」


僕の彼女、僕の動向を把握しすぎでは。

思わず眉をひそめて見せるが、小さく微笑まれるだけだった。これくらいで心から引かないことはお見通しされているようだ。

雪路の愛が重量級なのは、今に始まったことでもない。


「先輩は、ご自身の魅力に無頓着なところが困ります」


そんな僕の彼女は、アンニュイな顔になって溜息をついた。


「女の子を恋に落とすのに必要なのは、劇的な出会いやイベントだけとは限りません。軟体動物のようにぬるりと入ってくる優しさが、てきめんに効く場合もあるのですよ」

「僕は褒められているのか貶されているのかどっちなんだい」

「もちろん、褒めていますとも。だからこそ、先輩の動向を目で追わずにはいられず、些細なことでもやきもきせずにはいられないのですから」


ふむ。

魅力云々に関してはいまいちピンとこないが、雪路が不安を覚えたということは、鈍いと言われた僕にも理解できた。

それなら、ひとまずその不安を払拭するのが彼氏たる僕の役目だろう。


「ところで雪路は、何の用があって出歩いていたんだい?」

「……所用はありません。男子部屋に比べると人数は少ないのですが、それでもそう広くない空間に他人が複数いる状況は、やはり息が詰まってしまいまして」


話題を変えた僕に少しだけ不服そうにしつつも、雪路は返答を口にする。

つまるところ、僕と似たようなものらしい。

ならば、気兼ねする必要はあるまい。


「そういう先輩は?」

「飲み物を買いに自販機まで。さて、ここでお願いなんだけど」


言いながら、僕は芝居がかった動作で片手を差し出した。


「せっかくですので。外の自販機まで、僕とデートしてくれませんか?」


気分は、お姫様を誘う王子様。

南海くんくらいかっこよければ、こういう王子様然としたポーズも様になるのだろうけど。僕ではそうもいかないので、せめて恥ずかしがらないように努めた。


「……」


そんな僕を見て、しばらく目を瞬かせた後。


「ええ。エスコートしてくださいな、私の王子様」


僕の白雪姫は、とびきりの笑顔を浮かべてその手をとった。



――――この時。

僕らは、学校行事という非日常に浮き足立っていたのだろう。

少なくとも僕はそうだった。

可愛い恋人と合宿しているシチュエーションに浮き足立ち、浮かれていた。

外――すなわち、第三者の目があるところでは必要以上に接触しない。そんな決め事を課している一番の理由を、すっかり失念するくらいには。


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