第4-8話 壊滅、そして欲求
喉を焦がすような熱がベリウスを襲っていた。
任務に当たった騎士団は壊滅。小さな、本当に小さな地方都市を守るためだけに派遣された3500名のうち、一体何人が生き残っているのだろう。ベリウスは壊れていく街をどこか、他人ごとのように眺めながらそう思った。
「……負け、だ」
それ以外、この状況をなんと言い表したら良いのだろう。
『アルゲニブ』はついに50を超えた。絶え間なく、雨のように天から降り注ぐ『星界からの侵略者』たちは面で制圧をしてくる。足並みをそろえ、生き残っている人間をみたら鉈を振るって容易く命を奪い取る。
「……どうして、こんなことが」
俺たちが一体何をしたというのか。
熱でもうろうとしてきたベリウスの思考は常にそう訴えていた。
瓦礫の中にはかつての仲間たちが見るも無残な姿で転がっている。ベリウスが生きているのは奇跡。そうと以外形容のしようがない状況だったが、今の彼にそれを正しく認識できるだけの精神は残されていなかった。
燃え盛る街の中を行く当てもなく歩き続ける。『アルゲニブ』は皆、まっすぐ王都に向かって進んでいった。そうして、時折街の生き残りを見つけると、容易く命を奪っていくのだ。
剣と盾を力なくぶら下げ、歩き続けるベリウスが見つけたのは瓦礫の下で頭の潰れた母親の死体を抱えて、力なく震え続ける二人の姉弟だった。
「……そこは、危ないぞ」
掠れて、ひび割れた声がベリウスの喉から絞り出された。その言葉に、弟を守ろうとベリウスの間に立ちふさがる。
「瓦礫が崩れるかもしれないから、早くそこから出なさい」
「……騎士団の、人ですよね」
震えながら、姉のほうが口を開いた。
「……ああ」
「……お母さんを、助けてください」
それは、分かったうえで言っているのだろうか。それとも、現実を受け入れられていないのだろうか。
ベリウスは鈍った頭でどう答えるべきかを考えた挙句、のろのろと口を開いた。
「俺に、治癒魔法は使えない。悪いが……助けることは出来ない」
「……なら、騎士団の所に連れて行ってください」
「このありさまだ。治癒術師の奴らが生きているのかも……」
その言葉に、弟が泣き始めた。
今までずっとこらえてきたのだろう。あふれ出る涙は止まらずに、母親の血と交じり合って瓦礫の中に染み込んでいく。
「とにかく、そこは危ない。瓦礫に潰されるかも知れないから」
ベリウスはそう言って母親の死体から離れようとしない二人組を外に連れ出そうと一歩踏み込んだ瞬間に、全身が悪寒に包まれた。
咄嗟に盾を構えたのは、奇跡。刹那、激突したのは大きさが四メルもある巨大な鉈。『アルゲニブ』の通常兵装だ。激しい金属音と、爆発音にも似た音を立ててベリウスの身体が宙に舞う。
「……ッ!」
今の一撃で左腕の骨が粉々に砕けてしまっている。何度も地面の上を跳ねてようやく静止。自らの一撃で死ななかった人間をみた『アルゲニブ』は驚愕と共に絶叫。その咆哮で周囲の炎が一気に掻き消えた。
『アルゲニブ』が疾走体勢に入る。一歩一歩崩れるような瓦礫を踏みしめてベリウスめがけて突貫。
「……落ち着け」
息を吐く。自らに言い聞かせて、精神の安定を図る。
「……ッ!」
ベリウスは足と足の隙間に身体を滑り込ませると、『アルゲニブ』の突進を回避。一瞬だけでも姿を見失った『アルゲニブ』は自らの足元にいるはずの人間を探してキョロキョロと視線を彷徨わせる。
「逃げろッ!」
瓦礫の下にいる子供たちに向かってベリウスは叫ぶ。二人はぼーっとしたまま動かない。
「死にたいのかッ!」
ベリウスが足元の石を蹴って二人に飛ばすと、子供たちははっとした表情に移り変わり、母親を引きずるようにして逃げ始めた。
……しかし、遅い。
「クソッ……」
既に『アルゲニブ』はベリウスに気が付いている。やるしかないのだ。
ここで自分が時間稼ぎをするしかないのだ。
ベリウスは震える身体で剣を構えた。
「……何のために騎士団に入ったんだ」
自問する。
「何のために、命を賭けるんだ」
自問する。
「誰かを、守りたかったからだろッ!」
そして、自答する。
頭が良かったわけではない。
魔術に才があったわけではない。
魔法が使えたわけではない。
ただ、人より身体が丈夫だっただけだ。
そんな自分が、誰かのために役立つ仕事はないかと考えた時に騎士団があった。それなら、何も出来ない自分でも誰かのためになると思った。
ベリウスは『アルゲニブ』に向かって走り出す。
笑われるだろう。無謀だと。
笑われるだろう。愚かだと。
勝てるはずもない戦いに命を懸けるなど、愚者のすることだ。
誰かのために命を懸けるなど、使命に酔った若者のすることだ。
それでも、ベリウスは走り出さなければいけなかった。
走らねばならないだけの、物がそこにはあった。
姉弟がベリウスの子供に似ていたから?
それもあるだろう。
純粋に子供たちを守るためだろうか?
それもあるだろう。
だが、ベリウスが駆け出したのはそれよりももっと単純な事。
己が騎士団に入り、そして騎士団として生きてきたうえで最も大事にしなければいけないこと。それを、忘れるわけには行かないからだ。
「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおッ!!」
叫ぶ。ひたすらに叫ぶ。
『アルゲニブ』はまっすぐ走ってくる。何一つ小細工は見せない。それだけで、ベリウスには十分なのだ。
ふと、走りながらベリウスの頭に思い浮かんだのは二人の子供の姿だった。
騎士団の任務でほとんど会えないというのに、寂しいなどとは一つも漏らさずじぃっと家でベリウスの帰りを待つ子供たちのことだった。
『アルゲニブ』の鉈が振り上げられる。
思い返せば騎士団に入ると言った時、母親からひどく反対された。彼女がベリウスの決定に反対したのは後にも先にも、あれが最後だった。
鉈が振り下ろされるよりも先に、ベリウスが地を蹴った。
妻とは、騎士団の先輩の伝手で知り合った。初めて見た時はひどく、活発な女性だと思った。話してみると、驚くほどに話が合った。こんな人と一緒になれたら、幸せだと思った。
振り下ろされた『アルゲニブ』の鉈が地面を巻き上げて、もうもうと土煙を上げる。
息子と酒を飲むのが楽しみだった。
『アルゲニブ』は力任せに煙を切り払うと、まだ残っていた建物を破壊してその残骸をベリウスに注いだ。
娘が結婚相手を連れてくるのが楽しみだった。
ベリウスは残骸に足を取られ、思うように身動きが取れなくなる。
「……ッ!」
子供たちが無事に巣だったら、妻と二人で田舎に行こうと常々話していた。何も無い所で、細々と農家をしながら何もない生活を送る。
そんな何でもない人生。
英雄になんぞは成れない。なる必要もないのだ。
ただ、当たり前に生きていく。
それだけの幸せを噛みしめたかったはずなのに。
「……死ねない」
土煙が晴れ、『アルゲニブ』がベリウスの姿を捉えた。
ベリウスが自らにかけた呪いが切れた。
死にたくないと、そう思ってしまった。
「俺はまだ、死ねないッ!!」
ここで生き延びたからと、何かが残せるわけじゃない。
死にたくないのは、ベリウスのエゴだ。
騎士団員としての役割を放棄した、我がままだ。
けれど、
けれど、もう一度家族に会いたいと思うのは贅沢なのだろうか。
子供の成長をまぢかで見たいと思うのは贅沢なのだろうか。
「死にたくない!!」
気が付けば、澎湃と溢れてきた涙によってベリウスの視界は曇った。
それは幸か不幸か。鉈を振り下ろす『アルゲニブ』の姿を隠した。
それは、ベリウスの感じる恐怖を少しでも和らげただろうか。
分からない。それは、きっとベリウスにだって分からないだろう。
分かるのは二つ。
そこに響いたのは、鉈と剣がぶつかる金属音だけということ。
そして、
恐る恐る涙をぬぐったベリウスの前にいたのは、
「そうだよ。誰だって」
血まみれの、
「死ねないんだ」
少年だったということだけなのだ。