第3-25話 日常、そして後遺症
夜明けの太陽より眩しい光は、とある瞬間を持って一際大きく輝くと、まるで互いが互いを喰いあうかのようにゆっくりと消えて行った。
それをただ、じぃっと見ていた人たちは次第に普段通りの生活へと戻っていった。彼らにとって日常とは続くものであり、時折起こるハプニングなど楽しむものなのだ。
事情が分かる数少ない者たちも、賢者が移動した先など誰にも分からないため、動くに動けない。そのため、彼らも彼らなりに日常へと戻っていったのだ。
そして、当の本人たちはというと海の上に浮かぶ孤島にいた。
「……僕は、頭を砕いたと思ったんだけど…………」
そこにいたのは額に大きな傷を負った賢者と、七人がそれぞれの恰好で頭を抑えている強欲の悪魔の姿。それが浜辺に打ち上げられて、へこんでいる姿はある意味で壮観であり、ある意味で滑稽でもあった。
「俺ァ、強欲の悪魔と結びつきが強いから死ぬような傷はこいつらに等分されんだよ」
「んな滅茶苦茶な……」
「お前だって貪食の悪魔とそう言う契約を結んでるんじゃねえのかよ」
「いや、良く知らないよ。そこら辺は」
「何で」
「何でって……。あんまりそう言う話しないから」
「馬鹿か? 契約は自分の命に係わるんだぞ? 何でちゃんとしないんだ」
「まあ、死んでないし。良いんじゃないの?」
「適当な奴だな。んで、なんだっけ悲嘆の悪魔だっけか」
「今の僕はアイゼルだけどね」
「????」
アイゼルの言葉に賢者が首を傾げた。まあ、これはちゃんと説明しないと分からないだろうから、と思い立ちアイゼルは口を開いた。
「悪魔に成るときって、始祖に願いごとを叶えて貰えるじゃない」
「……? 俺の時は無かったぞ?」
「あ、あれ? まあ、いいや。僕は三つ願い事を叶えて貰ったんだよ。その時に叶えて貰ったのは『人間と悪魔に交互に成れるようになりたい』。そんなわけで、僕は自由に悪魔と人間の行き来が出来るっつーわけ」
「なんつーか、羨ましいやつだぜ。『正一位』の悪魔は力が強すぎて世界から拒絶されるからな。長い間、現世に留まるのも楽じゃないんだ。見てろよ、ほら」
賢者が指で強欲の悪魔を指さすと、彼女たちの姿がゆっくりと朧気になり、そして元の七つの珠へと戻っていった。
……そう言えばグラゼビュートはどこに行ったんだろう?
『お前の腰にいる』
ふと、いつものように頭に声が響いたので視線を腰にやると砕けたはずの『魔劍』が元に戻っていた。
(事象の否定をした記憶が無いんだけど)
『これはもうこういうものだと思え。『正一位』の悪魔が入った魔導具に常識が通じると思うな』
(まあ、それもそうか)
そういってアイゼルが視線を海の果てに向けると、先ほど生まれた重力場で持ち上げた海水が空から落ちてきていた。
(そういえばお前が壊した月はどうなるんだよ)
『……ん。賢者が治すだろ』
(んな適当な……)
アイゼルがそう返すが、一方の賢者は砂を払って立ち上がると『七冠』を操作して修復魔法を月の残骸に仕掛けていた。
「真っ先にそこを治すんだ……」
「まあな。潮の満ち引きとか星の重力関係とかで月が無くなるとどうなるか分からねぇからよ」
「ところで、メイちゃんがメリーって話。本当なのか?」
「マジだよ。業者が運んできたから買い取って、実験してたら同じ部屋にいた被検体ごと看守を殺して脱走したんだ」
「それはお前らが悪いだろ。勝手に実験してんだから」
「こっちだって別に好きでやってるわけじゃねえよ。『侵略者』に勝つためにやってんだ」
「孤児を作っておいてか?」
アイゼルの言葉に賢者は歯切れが悪そうに答えた。
「……そりゃまあ、実験体は数が多ければ多いほうが良いし」
「僕たちの村の子供を誘拐したのはお前らか?」
「お前らのところは業者だって言ったろ。子供の誘拐とかを専門でやってる盗賊団がいるのは知ってるか?」
「貴族とかに売りつけるやつだろ? 流石にそれくらいは知ってるよ」
「そいつ等が俺のとこにも売りに来るんだよ。別にこっちも全部が全部やらねえよ。そんなに暇じゃねえ」
「もう子供を実験体にするな。これは忠告じゃない」
アイゼルは魔劍に手をかけながら、賢者にそう言った。
「分かった。分かった。もうお前らとやる気力も魔力も残ってねえよ」
「本当に分かってんだろうな」
「分かってるよ。それにそろそろ賢者の役職も辞め時だしな」
「そいや今年で賢者歴15年くらいか」
アイゼルの言葉に賢者は頷いた。彼は月の修復を終えて、一息ついたのか砂浜に寝そべった。
「俺は一応、人間ってことで通してるからよ。これ以上賢者やるのは怪しまれるからなるべく避けたいんだよ」
「いや、もうだいぶ怪しいぞ」
賢者の強さは人間やめてるレベルだと巷で噂されている。というか、本当に人間じゃないとはさすがのアイゼルも思っていなかった。グラゼビュートですらも七冠の中にいた強欲の悪魔には気が付いてはいたが賢者の存在に気が付いたのはここ最近であるし。
「怪しいうちに引退しとけば疑惑で済むだろ」
「いうほど疑惑だけですむか」
「すむんだよ」
賢者は朝日を心地よさそうに浴びながら大きくあくびをした。
「なあ、アイゼル。お前、賢者やらねえか」
「……は?」
突然の言葉にアイゼルの思考が吹っ飛んだ。しかし、賢者当人はというと、ひどく眠そうな顔でポツリと呟いた。
「眠た……」
と。
だからアイゼルは先ほどの言葉を賢者ジョークとして聞き流す。
「寝るなら僕を王都に戻してからにしてよ」
「自分で戻れよ……。『正一位』だろ……」
「疲れてんだよ。こっちも」
「俺いま月治したよね?」
「ほら、あんた先輩だろ。後輩が困ってるんだぞ」
「ケッ、都合の良いときだけ後輩面しやがって」
「おいおい。そんなこと言っていいの? 僕が最後の後輩だぞ? 最後の大罪だぞ?」
「……分かったよ。つれて帰ってやるよ」
賢者は心底嫌そうな顔をしながら立ち上がると、『七冠』のうち三つをその場で回転させゲートを作る。
「ほれ、通るぞ」
「サンキュー先輩」
賢者に続いてアイゼルはゲートをくぐると、目の前にメイシュとサフィラがいた。
「アイゼル!」
「それと賢者も!?」
「俺はおまけ扱いかいな……」
賢者はひどく疲れた顔をして、部屋の出口に向かった。それを見届けようとした瞬間、アイゼルは自分の身体がふらりと倒れたことに気が付いた。
「あ……れ……?」
「そりゃ後遺症だ。これから一週間ほど、死んだように眠るからちゃんと面倒みてやれよ」
賢者はそこにいた二人の少女にそういうと、一際大きな欠伸をして部屋から出た。それを見届けるよりも先にアイゼルは深い眠りに落ちていった。