第3-19話 隊長たち、そして侵食
あり得ない。アイゼルは最初にそう思った。何しろ、王城内は全て魔法も魔術も使えないようにアイゼルが『阻害魔法』が展開されているのだ。どんな絡繰りを使ったとしても、魔力が外に出る以上アイゼルの魔力と干渉を起こして魔術は使えなくなるはずなのだ。
「どうしてッ!」
アイゼルは魔劍を左手に持ち帰ると、ケルビムを視界に収める。先ほどアイゼルに押されたソフィアは何が起きているのかを一瞬で理解すると、アイゼルのへし折れた右腕を元の状態に無理やり治した。
治癒術者による右腕の治療が欲しいところだが、アイゼルの『阻害魔法』は一切の例外を許さない。この場では敵も味方も、アイゼルの魔力がこの場から消えるまでは外に出る魔法を使えないのだ。
「どうして、と聞かれると答えづらいなぁ」
ぼんやりと呟きながらケルビムが一歩踏み出した。
「別に難しいことをしているわけじゃないんだよ」
そう言ってケルビムは再び右手を掲げた。彼の手を中心にして世界が歪んでいく。
「交換なんだ。こちらとそちら。同じ物を、ただ交換しているだけ」
そして、アイゼルが再びケルビムの射程に入る。
「……ッ!」
「あーくん。こっちだ!!」
今の攻防でケルビムの間合いを見抜いたソフィアが強引にアイゼルの身体をその場から離す。次の瞬間、今までアイゼルのいた空間がねじ曲がった。
「おっと。これは俺の損だ」
何の気も無しにそういうと、アイゼルは折れた右腕をかばうようにして左手でもってケルビムを攻撃しようとした瞬間。魔劍が空中で静止した。
「私のことを忘れてない?」
そう言ってほほ笑むのは、二番隊隊長のエルザ。彼女は魔劍の刃に手が触れないように指二本でアイゼルの動きを制すと、そのまま彼の背中を大きく蹴って地面に叩き伏せた。
「……くそっ」
『落ち着け。敵は四人。よく見て動け』
グラゼビュートの言葉に違和感を覚えて周囲を見ると、五番隊隊長のシゲルザの姿はどこにも見えなかった。
『やつは早々に帰った。恐らく、四人で十分と思ったのだろう』
(なるほどな)
『ケルビムの能力は交換魔術の発展形だろう。だが、向こう側が何かの代償を捧げているようには思えない。恐らくは一切の代償無しで、何らかの結果をこの世界に呼び出している。俺の権能に近い効果だと思っていい』
(……頭おかしい魔法だな)
『王家直属魔術師部隊の一番隊隊長だろ? それくらい出来ねば話にならぬのだろうさ』
(かもな)
アイゼルは知覚魔法の攻撃予測範囲に自らが入ったことを感知。一歩ズレることによって、音速近い打撃を回避する。
「あら。今のを避けられるとは思わなかったです」
シスターは何気なしにそう言って、掲げた拳を振り下ろした。四番隊隊長のシースは肉弾戦の猛者。この王国内で彼女と拳を交わして勝てる人間はいないと噂されるほどの化け物だ。
アイゼルがちらりと視線をやると、ソフィアにはケルビムとケースが付いている。つまり、アイゼルの前にいるエルザとシースは、アイゼルを倒すために二人一組となったのだろう。
「隊長たちに二人して相手してもらえるだなんて光栄の極みですよ」
「アイゼル・ブート。お前は序列最下位の時に正二位の魔人を倒している。油断はしないぞ?」
「してくださいよ。僕は王立魔術師学校の後輩ですよ?」
「ふふっ。大丈夫ですよ。壊れても治せますから」
「今は治せないですけどね」
「なら、その間死ななければよいだけのことだろう」
「そういうことになるんですか」
軽口を叩きあいながら、アイゼルたちは互いに互いの間合いを確かめる。三人の中で最も間合いが広いのは剣を持ったアイゼル。エルザもシースも、今の武器は拳だけなので間合いは最も小さいと言っていいだろう。
しかし、片や指二本でアイゼルの動きを止める女と、片や身体強化も無しに音速近い拳を放つ女である。どんな油断も許されるはずが無い。
「よそ見が多いですね?」
ふと、目の前にいたはずのシースの声が真後ろから聞こえた。遅れて知覚魔法がシースの移動と攻撃予測線を表示。
……そんな馬鹿な!
知覚魔法ですらも届かない速さを持つ彼女の掌底はアイゼルの脇腹を直撃したが、しかしアイゼルはそれよりも数瞬早く攻撃方向に飛んでいる。だが、その緩和も掌底をくらった瞬間に一切の意味がないことを知った。
「っつぁああああああ!!!」
衝撃が体内で四方八方に飛び散って、アイゼルの身体の中をぐちゃぐちゃにしてそれでも抜けきらない。その一撃は、特に折れた右腕に響いた。まるで、再び腕を折られたかのような錯覚を覚えるような攻撃。
『凄いな。魔力操作によって魔力を針のように変化させている』
グラゼビュートの解説が遠く聞こえる。
『それを攻撃と同時に敵の体内に放射するのか』
(……どういうことだよ)
『体内に他者の魔力を強制的に打ち込むことで揺らしているのだ。落ち着いて体内の魔力を整えろ。でないと、死ぬほど苦しむぞ』
彼の忠告に従って、アイゼルは深呼吸。体内の揺れる魔力を落ち着ける。だが、それを許さないのが二人。
「皆さん、そうされるんですよー」
そう言って飛び込むシスターを後目に、アイゼルは権能解放。視界は揺れ、呼吸は落ち着かない状況の『因果貪食』は、しかし今までの通りにしっかりと発動すると、シースの身体を斬り捨てた。
「……何ッ!?」
その状況に驚くエルザだが、彼女とて範囲外ではない。次いで連続解放。脳が焼けつくような痛みと共に、『因果貪食』が発動する。しっかりとエルザの腕を断ち、攻撃不能に追い込んだ。
「はぁっ、はぁっ……」
アイゼルは肩で大きく息をすると、痛む右腕と暴れる体内魔力に息を吐き続ける。エルザもシースも強敵だった。既にアイゼルの侵食率は《30.1%》と跳ね上がっている。だが、こうして一息もついていられない。ソフィアがまだ戦っているのだ。
「加勢するよ。ソフィア!」
「助かる!」
ケースとケルビムの攻撃をかわし続けていたソフィアだったが、流石に二対一は相当に分が悪いと見えた。防戦一方に追い込まれ、反撃に移れていない。いや、ここは防戦一方でも生き残っているだけ凄いとみるべきだろうか。
「何人増えても同じことだよ」
ケルビムの一声。今度は数瞬の貯めもなく、ソフィアの右足が持って行かれた。
「……っ!」
ソフィアがその痛みに顔を歪める。
「最初にゆっくり魔法を使って見せると多くの人が貯めが必要だって思うんだよ。本当はそんなことないのに」
その表情に何も見せないまま、ケルビムが紡ぐ。
「だからね、君たちの全てを貰っていくよ」
「逃げろ! あーくん!!」
そう言ってソフィアはアイゼルの身体を掴むと上空に投げだした。刹那、アイゼルは見てしまった。ソフィアの右腕が、左腕が、足が、内蔵が、眼球が、身体のその一切が奪われていくのをアイゼルは見た。
「……そんな」
「次は、君だよ」
上空で着地体勢に入っていたアイゼルに響くのはケルビムの声。アイゼルが素早く繰り出した魔劍の一撃も、彼は欠伸が出るほど鈍い一撃に過ぎない。
「アイゼル」
「……っ!」
「君は、弱いね」
ケルビムのまっすぐな一撃がアイゼルに叩き込まれる。パァン、と空気が破裂する音を立ててアイゼルが真下に落下。体勢を立て直す隙も無く、彼は地面に激突した。
「だから、こうなるんだよ」
そう言ってケルビムが掲げたのは、全てを奪われて人形の様になってしまったソフィア。それを、何でもないかのように放り投げるとそのまま心臓を貫いた。
「何で……」
「何でって、君が賢者様に楯突いたからだろう?」
「ソフィアは……無関係じゃないか」
ピリリ、と空気が張り詰めた。その予感を察知し、グラゼビュートは魔劍の中で一つ声を出す。
『落ち着け、アイゼル』
と。だが、彼にそれは届かない。
「無関係? 何を言っているんだ。君を助けようと動いただろ?」
「でも、賢者は殺すなと言った」
「そうだね。でもこれは仕方なかったのさ」
「……殺してやる」
アイゼルの殺気の籠った声に、ケルビムは眉一つ動かさずにその手をアイゼルに向けた。
――遅すぎる。
グラゼビュートの権能解放は結果だけを作り出す魔法。その過程にどんな攻撃手段があろうとも、こちらのほうが早く結果を作り出せる。
最初から、こうしておけば良かったんだ。
アイゼルはそう思いながら、『因果貪食』を発動し……そして、何も起きなかった。
「……は!?」
手元にあったのは、半ばから折れた魔劍。ケルビムの狙いは最初から魔劍。彼はエルザとシースが破られたことにより、魔導具を警戒していたのだ。そして、アイゼルを狙うそぶりで魔劍を破壊した。
「冗談、だろ…………」
どうするアイゼル! 僕はどうしたら良い!? 考えろ。考えろ。考えろッ!!
だが、何よりも素早く動いたケルビムはアイゼルの左胸の上に手を置いた。
「さようなら」
アイゼルの両目に映るケルビムのその顔はどこまでも愉しそうで。
「殺してやる」
『35.8%』
ケルビムの手がアイゼルの左胸に食い込む。
「殺してやる」
『42.6%』
浅く血が滲み、皮膚が裂ける。
「殺してやる」
『56.7%』
その五指がゆっくりと筋肉を裂きながら奥へと進むと、
「殺してやる」
『61.3%』
骨を砕き、大動脈を破裂させる。
「殺してやる」
『73.1%』
そして、アイゼルの心臓をつかみ取ると、
「殺してやる」
『87.9%』
そのまま力任せに引き抜いた。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる!!」
『100%』
その瞬間、アイゼルの身体が光に包まれた。何も言えず、言うことも出来ず、アイゼルの肉体そのものが、この世界から消えて行く。そして、光が激しくまたたくと共に、一瞬でアイゼルの姿はこの世界から消えた。
「それで、貴方は誰なんです?」
その代わりに、というわけでもないが、アイゼルが元場所にいたのは一人の男。
「さて、誰だろうな」
どこまでも色を亡くした男はそう言って悲しそうに笑った。