第3-5話 刺客、そして隠密
血だらけになったメイシュにアイゼルが駆け寄る。
「おい、しっかりしろ。誰にやられた?」
「……バレちゃったの。だから、追われてる。ここが見つかったかも知れない」
「いや、それは良い。速く治療しないと」
「時間が……時間さえあれば、治るから……」
時間……?
アイゼルは不思議に思い、メイシュの傷口を見るとそれは蠢きながら塞がりつつあった。
しかし、その速度はひどく遅い。
「分かった。時間が欲しいんだな? 今、鍵を開けるから」
「待って……。後ろ……」
弱々しく後ろを指したメイシュの指先を見る。そこにいたのは、今まさにアイゼルを襲おうとしている男。
「……ッ!?」
アイゼルの身体に叩き込まれた反射神経が素早く反応。抜き切った剣が男の短剣とぶつかり合って火花を散らす。
「チッ、ソイツが黙っていればヤれたものを」
「……何だ。お前」
アイゼルは冷や汗をかきながらそう問うた。本来ならばほとんどのものを見通せるはずの知覚魔法に一切の表示が無かった。つまり、完全隠密。
アイゼルには、音も、気配も、何もかもが感じることが出来なかった。
「さて、一体何でしょう?」
男は笑いながら首を傾げる。どこまでも、アイゼルを嘲笑するように。
「通りかかった刺客かもな」
そう言って接近。彼我の距離は五十セン。近すぎて長剣の間合いではない。故に、この場では短剣の方が有利。
「それとも、魔人を倒した勇者殿と一戦交えたい戦闘狂かも知れない」
いったん距離を置こうと、アイゼルはバックステップで飛ぶ。だが、それよりも先に短剣が煌めいた。
「クソッ」
攻撃予測線が表示されない!!
今までない事に驚くアイゼルに、グラゼビュートが口を開いた。
『見通すお前がいるなら、隠せる魔法を使うやつもいるということだ』
(……ああ、そうみたいだ)
何も表示されない。何も見えない。
胸を浅く斬りつけられたアイゼルは目の前にいる男を見据える。だが、そうしているとだんだん男の輪郭がぼやけていくのだ。ゆっくりと、しかし確かに崩れていく。
「見えないか?」
男が嗤いながら口を開く。
「目に頼っていると大変だろう」
ゆっくりと、消えて行く!
「アイゼル!」
メイシュの言葉でアイゼルは反射的に剣を掲げた。刹那、ぶつかり合うのは二つの刃。
……運だ。
今、助かったのはアイゼルの実力でも何でもない。ただの運だ。
だらりと、背筋に冷たいものが走る。
「やりづらいだろう? 消える相手ってのは」
「【知覚せよ】ッ!」
詠唱発動。アイゼルの両目に幾何学的な魔方陣が展開。
アイゼルの瞳の深みが増していく。
そして、風景に溶け込んだはずの男の輪郭をはっきりととらえると、アイゼルは逆に襲い掛かった。
「もう対応するか。これは困った」
そういいながらも全く困っていない様子を見せる男を、まっすぐ叩き斬る。それを軽くいなされると、男は短剣を逆手から順手に持ち替え、アイゼルの心臓を狙って突き。
それをアイゼルは手甲で弾くと、強引に引き寄せた長剣が男の腹をまっすぐ横に両断しようとする。男は少しだけ焦った表情を見せると、そのままあり得ない速度で上体をそらして横一閃を回避した。
「……だから、王立魔術師学校の生徒に手ェ出したくなかったんだよなァ」
男はアイゼルからかなり距離を取った場所でそう言いながら起き上がった。
「……もう、帰っても良いんだぜ」
「馬鹿いっちゃいけない。大人には、大人の仕事っていうものがあるんだよ」
「そうか」
「だから、これからは、本気で行く」
男がそう言った瞬間に、世界が表情を変えた。膨大な魔力が渦巻き男を中心にして彩り始める。そして、肉眼は当然として知覚魔法の中からも男の姿が消え去った。
「どうだい? 見えるかい?」
声が、全方向から聞こえる。これで一切の場所が分からない。知らされない。
『魔力の澱みはどうなってる?』
少しだけ焦ったようにグラゼビュートが聞いてくる。魔術や魔法を使った時、その瞬間に魔力の残滓や、あるいはそこだけ魔力が少なくなることがある。知覚魔法はそれを読み取れるのだが。
(駄目だ。何にも見えないッ!)
何も表示されない。アイゼルの目では何も捉えることが出来ない。
(詠唱した知覚魔法ですら、これなのか)
改めて、アイゼルは思う。
世界は広いと。
そして、久方ぶりに感じる無力感を愛おしく思いながら、目を瞑った。
別にこの状況を今まで一度も想定していないということは無い。むしろ、ノーマンとの修行中に一番言われたことだったのだから。魔法に頼りすぎるなと。
だから、アイゼルはだらりと武器を下ろして無形の構えを取った。
その瞬間に突き刺さるのは男の短剣。一撃で決着をつけるつもりは無かったのか、刺さったのは右わき腹。
「アイゼル!」
メイシュが叫ぶ。アイゼルはそれを遠く聞きながら、刃を振るった。
「……っ」
その瞬間に浅い手ごたえ。パッと男の魔法がとけ、腹部を軽く斬られた男がアイゼルの目の前に現れる。
「誘われたのか」
「まあね」
アイゼルはそう言って笑いながら、手に持っていた長針を男に向かって放つ。器用な投擲はしかし、男の服を射抜いただけ。
「暗器で使うのかよ。怖い怖い」
そう言いながら再び姿を消していく男。だが、その姿が完全に消えるよりも先に鐘の音が鳴った。
「おっと、定時だ。ここで上がらせてもらうよ」
言うが早いか、男はアイゼルに背を向けて逃走。一瞬、それを追うことも考えたがそれよりも先にメイシュの傷を治したほうが良いと判断。
アイゼルは逃げていく男の後ろ姿を見ながら、メイシュの身体を起こした。
「ウチだと危ないから、場所を移動しよう」
「他のところ……?」
「ああ。折り紙付きの安全地帯があるんだよ」
「アイゼルが、そういうなら……」
「よし、行こう」
アイゼルはそう言ってメイシュと共に目的地を目指して移動を始めた。
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