第3-1話 全てはその日のために
時空が歪む。その歪みは第三者が見ると明らかだ。何しろ、文字通り背景が歪みそこから物体が出てくるのだから。
「検体FE-52はどうした」
そこから現れた男は開口一番そう言った。
「追跡装置は破壊。同一ゲージ内にいたFE-40からFE-51までを殺害し、現在も逃亡中です」
それに返すは白衣を来た男。その周りでは多くの人間が資料を整理していた。
「全力で追え。国境沿いの任務についてる奴らに知らせろ」
「了解です」
男は踵を返すと、その部屋から外に出る。白衣の男は資料を手にしながら男を追いかけた。
「他の個体は無事なのか?」
「はい。現在のところ、それ以外の被害報告は入っていません」
カツカツと石の地面をブーツが打つ音が廊下に響く。防音術式が張り巡らされたこの建物内部では区画ごとに音が管理され、それ以上に漏れることは無い。廊下の壁は全て透明なガラスで区切られ強化術式が展開。生半可な攻撃ではガラスを突破出来ないようにしてある。
その先に広がっているのはどれも地獄。生きたまま腹を捌かれる子供に、一つの身体に頭を五つ付けた子供。全身に眼球を埋め込まれた子供。そこにいたのは人間だけではない。獣人、ドワーフ、エルフ、吸血鬼、フェアリー。
様々な人種の子供たちが、たった一人の男の命によって苦痛を背負わされていた。
「気を付けろ。奴は幻覚を使う。ここまで力を隠していたということは、俺たちも幻覚にかかっている可能性を否定できない」
「はい。現在、処理班が対応に当たっていますが……。かなりの汚染が見られます」
「チッ。だから言ったんだ。処理班の奴らは大丈夫なんだろうな」
「それが……」
白衣の男は言いにくそうに顔を顰めた。目の前を歩く男の歩みは止まらない。
「その、既に二人が感染。処理されました」
「だから言ったんだ」
「あっ、賢者様……」
白衣の男が何かを言うよりも先に、その男。賢者は厳重に封鎖された扉を開いた。
「大丈夫だ。防護術式を既に使ってる」
「……ありがとうございます」
扉の先には『依り代』まで使った三重結界。さらにその奥には二重封印が張られていた。
「五大悪魔の欠片。力にしてわずか3%を注入するだけでこうなる、か」
賢者は目の前の惨状を見ながらそう呟いた。
男たちの目の前に広がっているのは空間ごとわずかな赤に染まった世界だった。その全ては血液。その全てが空間に浮遊したまま均一に拡散されているのだ。その中では防護術式を展開し、さらにその周りを防護服に包んだ男たちが必死になって除染処理を行っていた。
「あーあーこりゃひでぇ」
「報告によると『魅了』と『致死』の複合属性。わずかに触れるだけでも感染。十分以上視覚に入れることでも感染するそうです」
「感染後は?」
「感染してから十秒で口あるいは肛門からの出血。二十秒で細胞間からの出血。三十秒ほどで肺の融解。つづいて消化器系の破裂。五十秒で骨が分解され、ちょうど一分で全身が爆発。血液を散布し、一日から二日、長ければ一週間ほどその場に停滞します」
「感染源は、汚染されたままか」
「はい」
「空間ごと切り離すしかないか」
「そうされますか?」
「ああ、これを全部除染するよりもそっちのほうが早い。おおい! 全員引けっ!!」
賢者が大声で除染作業中の男たちに声をかける。彼らはそれに気が付くと、すばやく撤収作業に取り掛かった。そうして、賢者は中にいた作業員が撤収すると自らの魔導具『七冠』を掲げた。
七つのうち、三つの球がくるくると衛星のように賢者の周りを回転すると、ガチリと金属音を立てて目の前の空間が切り離された。そして、虚空の彼方へと消えて行く。
「これで、しばらくは安全だろう。封印を解除しておけ」
「分かりました」
「『式典』の方はどうなった」
「賢者様の予想通り、神聖国が門を展開。その場にいた王立魔術師学校の学生たちが対応しました」
「ああ、だろうな」
神聖国は魔術師の数が少ない。悪魔と契約するという手法を取らない彼らには、『魔法使い』という生まれながらの魔術師以外にはいないのだ。近年、その様子も変わってきているようではあるが。
「それと……死んだ子供たちの中から小さな石のようなものが見つかりました」
「石?」
「はい。全員ではないですし、それもとても小さな物なのですが……」
「解析はやっているのか?」
「ええ、ですが……。石自体に強い魔力の指向性があり、解析に時間がかかっています」
「まあ、それはそれでいい。何かしら使える物かも知れないから調べておけ」
「了解です」
賢者と白衣の男はしっかりと空間が切り離されていることを確認すると、元来た道を戻り始めた。
「賢者様、もう一つ報告があります」
二人はその両端で行われている凄惨な実験には目もくれず、まっすぐ前へと進む。
「何だ」
「『式典』で開かれた門の中から『翡翠』の魔物が現れたそうです」
「……ッ! それは、本当だろうな!?」
「はい。その場に居合わせた学生が倒したと報告にはありますが」
「……おいおい。冗談じゃないぞ」
賢者の焦りように、白衣の男は首を傾げる。賢者は最強の魔術師。魔物などにおびえるような存在ではないのだ。だというのに、何にそんなに焦っているのだろうか。
「まだ、間に合ってないんだぞ……」
賢者そう言いながら『七冠』を起動。自らの周りに球を飛ばす。
「どこに行かれるので?」
白衣の男が尋ねる。この研究の最高責任者は賢者だ。その彼に報告すべきことは山ほど溜まっている。ここで別の場所に移動されると停滞してしまう研究もいくつかある。
「王城だ」
「分かりました。そういえば、第七研究所の検体VD-45が暴走したそうですが……」
「そんなもの冒険者にでも処理させておけ」
「了解です」
そして、賢者は転移した。
残された白衣の男は、報告し終わった書類を破棄すべく元の部屋に戻ったのだった。
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