第05話 抜刀、そして契約
「剣が、喋ってる」
アイゼルの言葉に、後ろにいたエーファがびくりと身体が震える。彼女にとってみれば、アイゼルは唐突に独り言を繰り返し始めたように見えているわけだ。縋るところのない彼女にとってそれが一体どれだけ恐ろしいことだろうか。
『俺を抜け。そうすればこの状況から助けてやろう』
「助けるって……。何を言ってるんだ」
『ずっと見ていたぞ。お前たちがこの森に入ってきた瞬間からな』
……こいつが知っているなら、この状況をどうにかできるか?
あいにくと、ここにいるのは序列最下位と序列117位だ。こんなクソみたいな環境で生き延びるための術など持ち合わせてはいない。
「……お前は幻想かも知れない。僕が魔物に見せられている幻覚かも……」
『俺は一度お前たちを助けたぞ』
……それは揺るぎようのない事実だ。アイゼルたちはこの剣の言葉が無ければ今頃ギガント・サーペントの腹の中で消化されていただろう。
「……考えさせてくれ」
何も考えずにしゃべる剣を握るほどアイゼルは盲目的ではない。これが罠である可能性も十分にあり得る以上、うかつに触るべきではないのだ。
『あぁ、それは構わぬが……それでは死ぬぞ』
「死ぬ?」
そう、アイゼルが尋ねた瞬間に――ドウッッッッツ!!
砲撃音とともに、莫大な音をたてる水の一部を突き破って、洞窟の中に魔術の砲弾が飛び込んできた。
「何がっ!?」
『何でも何も、ここまで強烈な人間の匂いを放っているのだ。気が付かない魔物なんぞ、この森にはいない』
「……クソ」
『悩める時間はそう長くないぞ』
剣からの声はそう言った。魔物はこちらの位置を正確には分からないため、魔術弾が直撃して死ぬということはないだろうが、度重なる砲撃によって洞窟が崩落することは十分に考えられる。
……魔物はそれが分かって砲撃しているんだ。
崩落を恐れて飛び出したところを煮るなり焼くなりするのだろう。そして、出て来なければ先ほどと同じように砲撃で洞窟内を攻撃してくる。
もう、選択の余地は残されていないように思う。
だが、ここで剣がもし罠でアイゼルがどうしようも無くなった場合、この場にエーファを一人残すことになるのだ。
アイゼルはエーファをちらりと見る。
「……?」
駄目だ。彼女は僕が強くなりたいとローゼ先生に言ったからこの森に僕と一緒に巻き込まれてしまっただけなんだ。見捨てることなんて出来ない。
エーファは先ほどの爆発音が怖かったのか、アイゼルの服を掴んだまま放そうとしない。
「……どうすればいい。どうすればこの状況を打破できる……?」
『俺を抜け。この状況なんてすぐにどうにかしてやる』
「お前は信用できないんだっつーの」
「あの、アイゼル君、さっきから、喋ってるの……誰……?」
「いや、この剣が喋ってる……って、エーファには聞こえてない?」
「うん……。さっきから、アイゼル君……独り言」
……ということは罠ではなく、魔導具の一種なのか?
確かに魔導具の中には喋るものもあると聞くし、魔物の罠でなら片方だけに聞こえる様にする意味が分からない。
だがしかし……嫌な予感がする。
アイゼルの心に巣食う、疑念の思考はゆっくりと広がっていく。それは、魔術師として研ぎ澄まされた第六感が告げている物。確かに、この剣は罠ではないのだろう。だが、それにしても嫌な予感がするのである。
しかし、魔物はアイゼルに選択の時間は取り残してくれないようだった。
ドンッッ! と激しい音とともに、瀑布を超えて二体の魔物が洞窟に入ってきたのだ。研ぎ澄まされた弓矢のような筋肉に、鋼鉄のような皮膚。それに加えて三メル近い巨体。胸板なんて人間の三倍はあるんじゃないかと錯覚させるほどに筋骨隆々の化け物。
「……オーガ」
アイゼルの足が震える。エーファが驚いて、思わずしりもちをついてしまった。
……最悪だ。
完全に逃げ道を塞がれてしまった。これで、アイゼルたちが魔物たちから逃げ出すのは絶望的な状況になってしまった。
『童ッ! 速くしろッ!! 間に合わなくなる』
ここで、初めて剣が焦ったかのように声を漏らした。
「いっ、いやだ。抜きたくない。嫌な予感がするッ!」
『馬鹿が、抜かなきゃ死ぬんだぞッ! お前も、お前の仲間もッ!!!』
仲間……。そう言われて、彼ははっと我に返った。
そうだ、ここにはエーファがいる。
リーナを亡くした彼女はアイゼルの服を掴んだまま、涙目でじっとこちらを見ていた。
彼女を、自分のせいで死なせるわけには行かない。アイゼルは剣に手をかける。その瞬間に、より一層嫌な予感が強くなる。
だが、もうこれに賭けるしかないのだ。
「……あぁ、チクショウ。僕が弱いせいだ」
そして、剣を抜いた。
その瞬間に、アイゼルの目の前にいたのは無数の屍の上に腰を掛け傲慢にこちらを見下ろす黒髪黒目で、全身を黒に包んだ男。
その男は、まるで全ての色を喰ったかのように黒と白と灰以外の色が存在しなかった。
「……誰だ」
最初に口を開いたのはアイゼル。
「名乗れ、それで契約は果たされる」
その声は、先ほどまで聞こえてきた剣の声で、
「……アイゼル・ブート」
気が付くと、そう名乗っていた。男はその言葉に対してニヤリと口角を釣り上げて嗤うと、ゆっくりとアイゼルを見下ろした。
「よし、アイゼル。俺とお前はここで契約を行う。俺がお前に提示するのは、力。圧倒的な力をくれてやる」
「……僕は何を渡せばいい」
「欲だ」
「……は?」
「圧倒的な欲を俺にくれ。それが、俺の食料だ」
「……まぁ、いいさ。それくらいでいいのなら」
「良し、契約終了だ」
男の言葉とともに、視界が暗くなり始める。
「おっと、まだ名乗ってなかったな」
ポツリと呟くように男が言って、
「俺の名はグラゼビュート。『貪食』の悪魔グラゼビュートだ」
そして、目を開けると返り血に染まったアイゼルと、上半身と下半身を分割された二体のオーガがその場に転がっていた。
「……これは?」
「あっ、アイゼル君が、剣を抜いた……瞬間に、その魔物に斬りかかって……」
「そう……か」
気が付くと、いつの間にか剣には鞘が付けられていた。
……どういうことだ?
アイゼルは、何が起きたのかを未だ正しく理解できなかったが。それでも、たった一つの言葉が耳に残っていた。
『貪食』の悪魔。
アイゼルは悪魔との契約者になったのだ。