第2-17話 悪魔達、そして選択
静寂。そこにあったのはどこまでも、果てまでも、何もないただの静寂。
アイゼルとサフィラは『対話の間』の前まで辿りついたのは良かったが、アイゼルは『対話の間』に入るわけには行かなかった。
何しろ、そこに入れるのは国王だけ。
つまりはサフィラだけなのだから。
そう言って扉の前で警護すると言って聞かないアイゼルの腕をつかむとサフィラは無理やりに扉の中に引きずり込んだ。
そして、『対話の間』に二人も入るという前代未聞のことが起きたわけである。
「これは……」
中にあったのは五つの巨大な像。
一つは、多くの人間を踏みつけている悪魔の像。
一つは、激しく激怒している様子を見せる悪魔の像。
一つは、ひどく淫らな姿をしている悪魔の像。
一つは、寝そべり天を見上げている悪魔の像。
一つは、その四つを妬むように見つめている悪魔の像。
『さて、次の国王はどちらの者だ?』
妬むような像から声が聞こえる。女の声だ。
これは『嫉妬の悪魔』だろうか。
『どっちでも良いよ。俺には関係のないことだ』
そう聞こえてきたのは人間を踏みつけている悪魔。
『傲慢の悪魔』か。
『そうも行かぬ。これは契約なのだ』
激怒している像から声が聞こえる。
これは『憤怒の悪魔』だろう。
『色欲もいないってのに? 今日は無理だよ。やめとこう』
そう言ったのは天を仰いでいる像。
ならこれが『怠惰の悪魔』だろう。
『ふうむ。だが、最初の契約ならば三体も居れば十分だろう』
『嫉妬の言う通りだ。契約に乗っとるならば、それで構わない』
『あー、めんどくさい。僕は寝るよ』
そのどれもが脳を揺らす声。
聞いているだけげ気が触れてしまうような、底なしの恐怖を覚えさせるような声だ。
『何故俺と話すときは恐怖を覚えないのに、こいつらとはそうなるのだ』
(えっ、だってお前何も出来ないじゃん?)
『…………殺すぞ』
(……ごめんなさい)
そう言えばそうだ。
まがりなりにもグラゼビュートは『貪食の悪魔』。
本人の言葉を信じるならばこの五大悪魔と位としては同じ『正一位』だ。
確かに、グラゼビュートと会話するつもりで行けば緊張しないな。
『喜ぶべきか、悲しむべきか……』
(悲しむ要素はなくない?)
『これでも一応、悪魔なんだがな……』
アイゼルは話に一区切りついた瞬間、ちらりとサフィラを見た。
彼女はその顔を真っ青にしながら、ひどく震えている。
魔界の門の話を切り出そうとしているのだろうが、何も言えずに黙り込んでいた。
だから、アイゼルはその手を取って握りしめる。
「大丈夫。僕がいる」
「……ありがとう」
サフィラはびくりと身体を震わせたが、アイゼルの手を何度も確かめる様に握りしめると、安心したのか一際強く握りしめた。
「私が、女王になったサフィラ・フェルメールです」
『ほう。貴様か』
『今回は女の子かぁ。何十年ぶりだろうね?』
『ならば、そちらの男を連れ出せ。契約には、この間に入れるのは一人と決まっているだろう』
『憤怒さぁ。そう言うこというから色欲から愛想つかされるんだよ。あぁ、面倒くさい』
『だが、契約は絶対だ』
『まだ結んでいないよー』
『怠惰の悪魔』の言葉に『憤怒の悪魔』が黙り込む。
……契約主が変わった段階では契約は結ばれていないことになるのか。
国王の姿が見えなかったが、もしかしたら契約を解消しにここに来ていたのかも知れない。
「今日は、貴方たちの力を借りに来ました」
『契約さえ果たされれば、しかるべき代償とともに力を貸してやろう』
『俺に出来ないことはねえ。何でも言ってみな』
『嘘をつけ。お前にだって出来ぬことはあるだろう』
『そう、『嫉妬』すんなよ』
「他でもありません。『魔界の門』を閉じてほしいのです」
『そうだろうと思ったよー。あれ塞ぐの面倒なんだよ、知ってる?』
『何でもできる俺だが、あれを塞ぐのはだいぶ骨が折れるな』
『ああ、出来ないことは無いが『依り代』を壊さず塞ぐとなると相当の力がいる』
サフィラの言葉に返す悪魔達は、みな嗤っている。
腐っても彼らは『正一位』。
人間が使った魔術を塞ぐことなど息をするよりも簡単だろう。
だが、こうやって焦らす理由はただ一つ。
『その分代償が大きくなるぞ。私は250人欲しい』
『俺は200人ほど欲しいな』
『僕は300人で良いよ』
『ふむ。俺も300人ほど欲しい』
嗤う。
悪魔達は嗤う。
『何しろ』
嫉妬が嘯く。
『依り代を壊さずに』
怠惰が呟く。
『空間魔術を塞ぐのだろう?』
憤怒が紡ぎ、
『何も寄越さないってのは』
ただ傲慢が、
『『傲慢』だな』
宣言する。
嗤う。彼らは嗤う。
四つの悪魔達はどこまでもサフィラを見下ろして、嗤っている。
その言葉に、彼女は怯えた。
ひるんでしまった。
サフィラの身体が再び震え始める。
彼女の選択によって千人近い人間が命を落とすことになる。
この国を守るために千の命を犠牲にささげる。
その命の重みを、彼女は選べれるだろうか。
サフィラがよりいっそう強く、アイゼルの手を握りしめる。
サフィラの呼吸が速い。過呼吸気味になっている。
『得てして悪魔というのはそういうものだ』
(僕の時は優しかったんだな)
『あれは俺が外に出たいという思いがあったからな』
(タイミングが良かったわけだ)
『そういうことだ』
「落ち着け、サフィラ」
「私は……私は……選ばないと……」
「落ち着けッ!!」
アイゼルは彼女にそう言い聞かせる。
「サフィラしか出来ないんだ。これは」
「私、しか……」
「落ち着いて。いったん、深呼吸して」
そこでサフィラはいったん、呼吸をするがやはり浅い。
心の底から緊張しているのが手に取るように分かる。
「まだ、もう一度大きく息を吸って」
「深、呼吸を」
二度、三度と繰り返す中でサフィラの呼吸はだんだんと深くなっていく。
『ふむ? 部外者か』
嫉妬の意識がアイゼルに向く。
だが、彼はそれを一切気にすることなくサフィラを見続ける。
「そう。そうだよ。もう一度。どう? 落ち着いた?」
「ありがとう。もう大丈夫」
サフィラは息を吐く。
そして、身を固くした。
「一つ、話があります」
『何だ?』
「生贄を捧げるよりも、次の代償を支払う際にいつもよりも捧げる代償を多くすれば多くすればよいだけではありませんか?」
『ほう?』
「300人を捧げるよりも、数十万いる契約者の代償を多くするほうがより多くの力を得られるのではないのでしょうか」
そう言って、彼女は悪魔達に向かいあった。
「人間を1000人生贄にささげるよりも、そちらのほうが効率的です」
『…………』
悪魔達は、サフィラを品定めするかのように何も言わない。
「それに、人を捧げたという話で契約者が減れば貴方たちも不利益を被るのでは?」
そう言って、サフィラは黙った。
悪魔達も何も言わない。
そこにあるのは、ただ沈黙だけ……。