第04話 邂逅、そして始まり
アイゼル達の目の前にあるのは森ではあるが、それにしては薄暗く、魔力の密度が濃い。アイゼルは生まれ持っての魔術師なので大丈夫だが、適正がない契約者だと一時間と経たずに魔力中毒で倒れてしまうだろう。
「……ここって」
「はっ、狭間の森じゃ、ないかな」
「……ほんとに?」
狭間の森とは、人間界と魔物たちがすむ異界の狭間にある森のことだ。当然、立ち入り禁止区域である。
「……確かに、狭間の森なのだ」
「リーナまで……」
いや、アイゼルも薄々分かっているのだ。
周りの植生をみて、周りの雰囲気をみて、なんてそんなチャチな物じゃない。本能がそう告げているのだ。
すぐに、ここから逃げろ。と。
「二人とも、覚悟を決めるのだ。ここは王立魔術師学校の10番以内でも気を抜けば死んでしまう。そんな場所なのだ」
「……っ」
「はっ、狭間の森は西側に冒険者のギルドがあるはず」
「西側? 西側なら……」
アイゼルは上空を見上げる。転移魔術によって時間がどうなるのかは分からないが、幸いなことにここに来たのが夜だった。
星を見ながらアイゼルは現在自分たちが向いている方角を導き出す。
「西は、こっち側だ」
「流石なのだ。序列最下位もこういうことには使えるのだ」
「一言多いぞ」
そして、二人と一匹は森の出口を目指してゆっくりと進み始めた。だが、その歩みも長くは続かなかった。
獣の唸り声とともに、アイゼルとエーファの目の前に二体の魔物が飛び出してきた。
体長3メル。全身を紫の体毛に包んだ狼は二人に狙いを絞り威嚇するかのように、低く唸った。
「……ガルム」
アイゼルの喉をついて、そう声が漏れた。ガルムは本来、魔物の長を務めるほどに強い魔物だ。王国では15年前を最後に討伐記録がないが、その時には『流星』が駆り出された。
アイゼルは、久しぶりにみる魔物の姿に足がこわばってしまう。
死ぬのか。僕は、こんなところで。
「逃げるのだっ!」
リーナの声がどこか遠くに聞こえる。
逃げる? どうやって……逃げるんだ。狼よりも大きく、普通の魔術師ですら相手にならないこの魔物相手にどうやって逃げるっていうんだよ!
「くっ、アイゼル! エーファを頼んだのだ!!」
リーナはそういうと、未だに睨んでいるガルム二体の目の前で大きく爆ぜた。
激しい閃光と、激しい音でガルムの感覚器がやられる。
「リーナっ!」
エーファがそう叫ぶが、それはリーナが生み出した爆音によってかき消された。だが、これはリーナが作ってくれた大きなチャンスだ。
「【知覚せよ】」
アイゼルの詠唱。目の前に一本の道が現れる。これは、知覚魔法によって最も速く走ることが出来る道を、アイゼルの視界に表示したのだ。
その道をエーファを抱えて全速力で走る。後ろの方では、ガルムの遠吠え。否応なく、背筋に冷たいものが走る。逃げないと。逃げないとッ!
アイゼルの全力疾走よりも当然のようにガルムの走りの方が速い。視界を回復させたガルムたちはアイゼルとの間にあいた500メルの距離をわずか数十秒で詰めてくる。
「冗談じゃない。こっちは全速力だぞっ!」
「わたしを、置いて……逃げて」
「出来るわけねえだろ!」
エーファはアイゼルとともに一年半、ともに過ごした仲間なのだ。こんなところで見捨てて逃げることなんて出来るはずがない。
「囮にっ、わたしが、囮になる」
「させねえって!」
知覚魔法によって表示される道が急に曲がった。訳が分からないままに、アイゼルはその指示に従って道を曲がると目の前にはアイゼルがギリギリ入れそうな洞窟があった。
「サンキュー、知覚魔法!」
後ろから聞こえるガルムの息遣いに背筋を凍らせながらアイゼルはエーファとともにその洞窟に飛び込んだ。遅れてガルムがそこに飛び込むが、周囲の岩に邪魔されて顔がギリギリ入るくらいだった。
「……っ」
ガルムはそれでもアイゼルとエーファを睨みつけながら、洞窟の出口を塞いでいた。
「よっぽど、僕たちのことを食べたいみたいだな」
アイゼルは洞窟に落ちていた手ごろな大きさの石を持ち上げると、それをガルムの鼻先めがけて投擲した。
人間の思わぬ反撃にガルムはすぐに反応することが出来ず、その鼻にアイゼルの投擲が直撃した。
まるで子犬のような叫び声をあげてガルムが引く。アイゼルは近くにある石を持ち上げて、今度はガルムに向かって威嚇する。
「……去れ」
アイゼルの言葉が漏れる。嫌な汗がいくつも垂れる。去ってくれ。
アイゼルの願いが通じたとは思えないが、先に根負けしたのはガルムの方だった。ゆっくりと踵を返してそのまま二体ともどこかに行ってしまった。
「……ふぅ」
あまりの気迫に腰が抜けそうになったが、なんとか歯を食いしばってそれに耐える。
「あっ、ありがとう。アイゼル君」
「アイゼルでいいよ」
いつもの軽口を交わして、アイゼルはその場に座り込んだ。
【警戒態勢】
【奥より魔物を125体感知】
【撤退推奨】
……嘘だろ。
知覚魔法が教えてくれた事実にアイゼルは絶望しそうになる心に気合を入れて立ち上がる。
「……逃げよう。エーファ」
「どっ、どう……したの? 入り口に……いるほうが、危ない」
そう言って奥に進もうとするエーファの腕を掴んで静止する。
「ダメだ。奥には……」
そう言った瞬間、洞窟の奥に無数の光点が浮かび上がる。それらすべては瞳。じぃっと、縄張りを犯したアイゼルとエーファを睨みつけている。
「……逃げるぞ」
そう言ってアイゼルがエーファを掴むほうが、彼らが飛びかかってくるよりもわずかに速かった。中にいたのは無数の餓鬼だった。背格好は子供くらいだが、その力は大の大人よりも大きく、ひとたび身体を掴まれたら骨も残らず食い散らかす。
洞窟を抜け出して、行く当てもなく走り続ける。
「安全地帯とか無いのかよッ!」
後ろから追いかけてくる餓鬼たちを見ながらアイゼルがそう叫ぶ。その瞬間、アイゼルと餓鬼の間に5メルほどある巨大な蛇の頭が飛び込んできた。
「冗談じゃねえ……」
ギガント・サーペント。こちらもガルムと同じく魔物の頂点に君臨するとも言われている魔物だ。ギガント・サーペントは近くにいた餓鬼を三体ほどまとめて捕食すると、ゆっくりと後ろにいた餓鬼たちを睨みつけた。餓鬼たちも負けずに叫ぶと、飛びかかる。
「くっ、助かった……」
思わぬ参戦者にアイゼルはエーファを抱えたまま逃げる。だが、わずかの間に後ろにいた餓鬼を全て食べつくしたギガント・サーペントがアイゼルたちめがけて襲い掛かってくるではないか。
「ちくしょう! 結局こうなるのかよっ!!」
『童。こっちだ。こっちにこい』
ふと、聞こえてきた声。普通なら魔物の罠だと思うだろう。
だが、今のアイゼルにそれを疑っている余裕なんて無かった。
「どこだ? どこにいる!」
『こっちだ。滝の方だ』
声の主に従ってアイゼルは走り続けるとものの数十秒で巨大な滝が見えてきた。
『滝の裏に洞窟がある。そこに入れ』
その言葉を裏付ける様に知覚魔法が洞窟までの道のりを視界に表示した。
「くそっ、もう知らねえぞっ!」
やけくそになったアイゼルはそのまま滝に突っ込んだ。ギガント・サーペントはしばらく追いかけるかどうか迷った末に、ゆっくりと足を引き返した。
「あっ、アイゼル君。ここは……?」
「分からない。声の主に従ってここに来ただけで……」
「声? そんなもの……聞こえないけど」
『よく来たな。こっちだ』
「あっ、ほら、今」
「……?」
どうやらエーファには本当に聞こえてないみたいだ。
『奥だ。奥に来い』
アイゼルは声の主に従うかどうか少し迷って、知覚魔法で洞窟の奥を見る。
【魔物0体】
【感知できませんでした】
……ということは安心だろう。
アイゼルはゆっくりと洞窟の奥に向かって歩き始めた。エーファは少し迷った後に、アイゼルの後ろを追いかけてきた。
『ふん、ずいぶん弱弱しいが我慢してやろう』
そう言って声をかけて来たのは、一本の剣。
岩の台座に埋め込まれた漆黒の剣が、アイゼルに語り掛けてきていたのだ。