第2-1話 少女、そして少年
「速く! 追いつかれるわよ!!」
鬱蒼とした森の中、全速力で飛ばす馬車が一つ。
「無理です。これ以上は出せません!!」
「くっ……」
御者の言葉に少女は爪を噛んだ。まさかこんなところに待ち構えているとは思っていなかった。
後ろから追いかけてくる男たちの目はひどく冷たい。『過激派』の連中は、彼女が隣国からの帰りにこの道を通ることが分かっていて、ずっと張り込んでいたのだ。
「国境まで、あとどのくらいなの?」
「残り、500メル」
「逃げ切れるかしら……」
少女の言葉に近くにいた老騎士は何も言えずに黙り込む。今、彼らの部下たちが『過激派』たちの撃退に向かっているが、此度彼が連れてきたのは移動を重視した軽装部隊。足止めにはなるだろうが、それ以上を期待するのは酷というものだ。
男が歯噛みした瞬間、馬車に乗っている三人は不可思議な魔力の流れを感じ取った。
「避けてっ!」
「……ッ!!」
激しい閃光。馬たちが前足を上げて急停止。その瞬間に、『過激派』の男たちが周りを囲む。
「足止めにもならぬか」
ため息を一つ。後ろには死屍累々と、男の部下たちが倒れているのが見えた。
「馬車に、お残りください。私が出ます」
「ですが、貴方は……」
「老いたとは言え、かつては騎士団の団長をも務めました。どうか、貴女様は馬車の中に」
少女は頷くと、馬車の中に戻った。今は、ここから出るよりも馬車の中にいるほうが安全度が高い。
「女を渡せ」
老騎士が馬車から降りるなり『過激派』のリーダーが声をかけた。
「……渡せぬ」
「そうか、ならば死ね」
両者がともに抜刀すると、ぶつかり合った。老騎士が使うのは片手剣と盾。だが、対するリーダーの男は両手剣だ。
年齢差、体格差を考えれば片手の盾で防げるような太刀筋ではない。しかし、老騎士は顔色一つを変えずに受け止めるとそのまま上に剣を跳ね上げた。
「……馬鹿な」
がらんどうになった胴体に吸い込まれるようにして、老騎士の直剣の突きが放たれる。男は重心を後ろに持って行くことで突きを回避。追撃に移ろうと接近してきた老騎士の身体を蹴り飛ばす。
刹那、まるでその場に現れたかのようにして老騎士の持っている盾が蹴りを防ぐと、男の片足を斬り裂いた。
「ジジイ、強いな」
「老いたとはいえ、まだ現役よ」
「名前は」
「名前を聞くときは自分から名乗るものだ」
「俺の名はバロン」
「そうか。儂はデュバル」
「……ッ! 『嵐のデュバル』か」
そこで初めて男の目に驚愕の色が浮かんだ。
「それはとうに昔の話よ」
また、『過激派』の男たちも老騎士が『嵐のデュバル』と聞くなり、リーダーの男との間に入ろうとするものが消えた。『嵐のデュバル』とは、フェルメール王国にこの男ありと言われた強き騎士。かつての騎士団長をも務めた猛者という。とうに騎士団長は辞め、引退したものだと聞いていたが、まさかこんなところで護衛を務めているとは。
「そうだな。昔の話だ」
バロンは血を流す脚を隠すようにして、詠唱。生み出された四つの水球がデュバルめがけて発射される。それらすべてをデュバルは盾で防ぐと、その攻撃に便乗して追撃に現れたバロンの攻撃を最小限の動きで受け流すと、浅く胸を斬りつける。
「ははっ、流石は噂通りだ。強い」
「次はないと思え」
「そりゃこっちのセリフだよ」
バロンはそう息づくと、腰から『石』を取り出すと胸元に取り付けた。その瞬間に、男の身体が変わっていく。筋肉が膨張し、骨が強固になり、皮膚はまるで鉄のように固くなる。全身を紫色の線が走り、魔力がどこまでも膨張していく。
「神聖国の秘術か」
「死ね」
一刀。その一撃で、デュバルの盾は砕け老体を吹き飛ばす。デュバルはそのまま馬車に当たると、馬車を砕きそのまま木々に激突して気絶した。
「馬車の中の女を連れ出せ。絶対に傷はつけるな」
バロンの命令に『過激派』の男たちが動き始める。だが、男たちが動きよりも先に半壊した馬車の中から一人の少女が出てきた。
「私を連れていくのは構いません。しかし、これ以上騎士団を傷つけないと約束しなさい」
バロンは胸元から石を取り出すと、笑った。
強がっているのが明らかなほどに足が震えている。
「これは手間が省けた。おい、聞いたか。逃げ出さないように縄で縛れ」
バロンの一言に男たちの目が全て少女に向けられる。その瞬間、光が爆ぜた。
……閃光弾ッ!!
少女が隠し持っていたのか、それとも『魔術』によるものなのかは分からないが少なくとも、隙をつかれたのは事実だ。
「くそっ! 追えっ!!」
バロンの言葉に、かろうじて閃光弾を見ていなかった男たちが追いかける。ふと、少女が後ろを振り返ると全速力で追いかけてきている男たちを見た。
「ハァ、ハァ……」
服装が走りづらい。スカートを破いて走りやすくすると、少しだけ速度が加速した。しかし、やはり体格の良い男と少女の競争は男の方に分がある。走ってしばらくすると、後ろから男たちの呼吸音が聞こえてきた。
「くっ……」
少女が奥の手として持っていた最後の手段。煙幕を投げると、森の中に煙が蔓延していく。その中を全速力で走るが、ふとした一瞬の後『風』によって煙が晴れていく。
「そんな……」
森を抜け、小川が見えてくる。あの川が国境だ。国境さえ越えれば、あの男たちも逃げるだろう。そう思って小川を飛び越える。だが、後ろを振り返ると男たちは速度を落とさずに走り続けていた。
「……終わった」
少女がつぶやく。もう走るだけの体力など残っていない。
「誰か! 誰か助けてっ!!」
少女の叫び声。悲鳴じみたその声に、反応する者などこの辺境にいるはずもなく。
「……ここあたり?」
否、一人の少年がいた。
ふと、王国側から現れた少年に少女は藁にもすがるつもりで飛びついた。
「助けてっ! 追われてるの!!」
「うん、まあ助けるからさ。離してくれないと戦えないよ」
「ごっ、ごめんなさい」
少女は慌てて少年から離れると、少年は上に羽織っていた外套を脱いだ。
「これ持ってて」
「あっ、はい」
その少年は、ひどく目立つ出で立ちだった。
銀の髪に金の瞳。
背中には名のある剣に見える黒の剣と、そこいらで売っていそうな安い剣の二つをX状に担いでいた。
そして、何よりも少年が来ている服の胸元にあるのは、
「……王立魔術師学校の紋章」
「そ。誰だか知らないけどあんまりうろうろしないでね。守りながら戦うのは大変だから」
そう言いながら、少年は普通の剣を抜いた。
「『知覚せよ』」
その後の展開は、一方的だった。少年には男たちの『剣筋』が見えているのか、真後ろからの攻撃を容易く回避し、無力化し、ただ淡々と作業でもするかのように殲滅していった。
「おいおい、これは一体どういうことだ?」
森の奥から現れたのは、一人の大男。
「気を付けてください。あの男、強いです!」
「ありがとう。気を付けるよ」
少年が剣に着いた血を払うと、バロンは目の前の光景を一人の少年がやったものだと悟った。
「テメェ何者だ。名乗れっ!」
「悪いけど、僕に名乗るような名前はなくてね」
少年がそういうと、バロンは腰から『石』を持って胸に装着しようとして――それを防がれた。
少年が腰元から取り出した『長針』が男の腕を貫いて、『石』を手放させたのだ。
「悪いね。それは駄目だと『視えた』から」
バロンは手にささった針を抜くと、少年めがけて跳躍。両手剣で吹き飛ばそうとした瞬間に、少年は手に持っていた剣を投擲。突然のことに慌ててバロンが両手剣で弾き上げると、ガチリと、鞘ごと黒剣を外した少年の一撃。
「……ッヅ!」
バロンの腹にクリーンヒットしたその一撃によって、彼は思わずうずくまる。
「悪いね」
少年はそのまま剣で後頭部を強打させ、バロンを気絶させた。
「……ありがとう、ございます。助かりました」
最初は人選ミスかとも思ったが、目の前の少年は予想していたよりもはるかに強かった。
「いえいえ、僕なんてそんな」
「あの、すいません。お名前を伺っても」
「ああ、そう言えば名乗っていませんでしたね。僕はアイゼル・ブート。是非、アイゼルと呼んでください」
「ありがとう。私の名前はサフィラです。王立魔術師学校の学生と見ましたけど、序列は十位以内なのですか?」
「いえ、恥ずかしながら十五位なんです」
「なんと、十五位でそこまでお強いとは、今期の王立魔術師学校は猛者ぞろいなのですね」
「はは……。ありがとうございます」
アイゼルは目の前の貴族の娘らしい少女に苦笑いしながら、後のことを考えていた。
この男たちどうしよう……。
と。