第28話 浄化、そして激突
「渡せだと? お前みたいな不審者野郎に誰がシェリーを渡せるんだよ」
アイゼルがシェリーを守ろうと目の前の男との間に壁になるようにして立ちふさがる。
「分かっていないなァ……。その子みたいな、不運な子が生きていくには私たちみたいなのと生きていくしかないんだよ」
私たち。
「……だから、名乗れ。お前たちはどういう存在だ」
「悪鬼の爪」
ひどく端的に、その組織名だけを男は名乗った。
『悪鬼の爪』とは、王国転覆を目的とする組織。
この二か月、王都で起きた事件はそのほとんどがこの集団によって起こされた事件である。
そして、アイゼルの友人を奪ったのもまた、彼らだ。
「一体何が目的で王都を狙うんだ」
「狙う? 人聞きの悪い。私たちはただ、住みやすい世界に変えようとしているだけだよ。そこに、君たちとの考え方の差異があるに過ぎない」
「差異? 人を殺してどこが住みやすい世界だよ」
「人だと? 私たちが一体いつ人を殺したって言うんだ」
目の前の男がそう言っておどけて見せた。
……とぼけやがって。
「お前らがこの二か月で何人殺したと思ってるんだッ! とぼけるのもいい加減にしやがれッ!!」
「だからァ……。私たちがいつ人を殺したんだ? アイゼル君」
その瞬間、アイゼルの背筋に冷たいものが走る。
どうして、僕の名前を知っている。
「君は、私たちが殺した物が人間だと思っているのかい?」
「あ? ああ、当然だろ。何を言っているんだ」
「本当に?」
男の視線がアイゼルを捕らえる。
「自らの力で魔法を使えず、悪魔に縋って魔術という力を与えてもらっている豚どものどこが人間なんだ?」
「何を……」
「与えてもらった魔術を解析しようともせず、自らが与えてもらっている立場の癖に魔術の使えぬ者どもを排斥する奴らのどこが一体人間だというんだ。えェ?」
『ほう。面白いことを言う』
……それは別に、珍しい話じゃない。
確かに、生まれつき魔法の使える人間が自分がほかより優れていると思い込み、一種の選民思想におぼれることは決して珍しい話ではないのだ。
だが、
「だが、それは人を殺していい理由にはならない」
「正論だね。でも、正論じゃ人は生きていけないよォ」
ニタリ、と目の前の男が笑う。
「だからこそ、掃除なのさ」
「狂っているな」
「おぉっと、君は違うとでもいうのかい? 思わなかったのかな? どうして、生まれ持って魔法を使える自分が、悪魔に与えてもらっている奴らに下に見られないといけないのかと。悪魔がいなければ魔術も使えぬ身で、何をそんなに大きい顔が出来るのかと。思わなかったのか?」
男の言葉に、アイゼルはしばらくの間黙り込んだ。
「……思わなかったと言ったら、嘘になる」
「そうだろう。だから、君もこっちに来ると良い」
「だけどッ! だからと言って人を殺すほど、僕は落ちぶれてないッ!!」
アイゼルはシェリーの手を取ると、目の前の男から逃走。
結界を内部から破壊して脱出してやる。
今のアイゼルでは絶対に勝てない。本能がそう告げているからだ。
何故ならあの男は……。
「イグザレア・アラート……」
五年前にアイゼルの村の大人たちを殺し、そして当時『流星』の一番隊隊長だったローゼと相打ちになった人物。
『悪鬼の爪』の中心人物と言われていた男だ。
ローゼがどれだけダメージを与えたのか定かではないが、ここにいるということはそれなりに力を取り戻したということだろう。
「はァ……。『燃えろ』」
その一言で、アイゼルとシェリーの周りにあった全ての物が燃えた。
土が、家が、石が、畑が、空気が、空が、その一切が燃えていた。
「何だ……これ」
「『却滅焔』燃えぬ物はない炎だよ」
アイゼルの背筋を冷や汗が垂れる。
勝てるはずがない。おかしいのだ。
こいつだけ強さのレベルが一つも二つも違う。
今のアイゼルが逆立ちしたって勝てる相手じゃない。
……援軍にすがるしか…………。
恐らく彼らならば、ノーマンかあるいは王立魔術師学校の教師を連れてくるはずだ。王立魔術師学校の教師たちならば、この化け物に勝てるかもしれない。
「何を期待しているかは知らないが、君の仲間たちなら逃げたよ」
「……何を」
「だから、私を見るなり蜘蛛の子を散らすように逃げちゃったんだよ。まあ、すこォし虐めたけどね」
「お前ッ!」
「だから援軍なんて来ないよ」
「……っ」
勝てるはずがない。白旗でも上げるべきだ……。
「さて、分かったならさっさとその娘を渡せ」
「どうして、そこまでしてシェリーにこだわるんだっ!」
「どうして、か。では逆に君に問おう。その子の能力は一体何だと思う?」
「能力……? 未来視じゃないのか?」
今までのシェリーの言動を見るに、そう結論づけられる。
「ふうむ。では今度は質問の対象者を変えよう。シェリー君。君は今までの未来視において一度でも未来が外れたことがあるかい?」
魔人の問いにシェリーは首を横に振る。
「そう、彼女は100%確定した未来を見る。この意味が分からない君ではあるまい?」
そういって、イグザレアは口角を釣り上げて笑った。
未来視。それは数多くの魔術師、魔法使いが挑戦して終ぞ成せなかった技術である。
どんなに優れた術師でも、どれだけ優れた占い師でも、100%確定した未来など見ることが出来なかった。
故に結論づけられたのは、未来は変わるということだった。
そう、未来はとても柔らかく一秒先の分岐が無限に変化していく。それが未来に関する魔術師たちの答えであった。
しかし、ここに来て100%の未来を『視る』少女がシェリーだというのならば。
「それは未来視じゃない……のか」
「そう。彼女は望む未来を引き寄せる。因果律の操作と、その結果の確認。それが彼女の魔法だよ」
「駄目、駄目だよぉ! アイゼルさんは逃げて」
しかし、ならばどうして彼女はアイゼルが死ぬ未来を見たのだろうか。
それはひとえに、彼女が他人を根本的に信じられないということに原因がある。
両親に裏切られ、村人に裏切られ、そして助けを求めた王立魔術師学校の学生たちも、逃げた。
彼女は生まれついてから、誰かに救われたという経験をしていない。
故に、彼女の中に誰かに救われるという選択肢は存在せず。
アイゼルの死を絶対のものにしたのである。
「なら、なおさら渡せないね」
だが、アイゼルは宣言する。
誰も彼女を守らぬというのなら、アイゼルが守るしかないのだ。
だから、
一つ、熱を保った風が両者の間を抜けた。
「君のお仲間、みんな逃げちゃったのにねェ」
「いいさ。構わない」
相対するのは二人の男。
銀の髪に金の目をした少年と、深い緑とひどく濁った灰の目をした男。
燃え盛る家々の瓦礫が、ついに限界をむかえてアイゼルの後ろで音を立てて崩れた。その音に、アイゼルの後ろにいたシェリーが驚くように身体を震わせる。
「ふうん、まあ強がりじゃなさそうだ」
ひどく冷めた、イグザレアの声。
「ああ。お前を倒すには僕一人で十分だ」
コイツが、元凶。
コイツを倒せば、『悪魔の爪』は止まる。
何しろこいつがリーダーなのだから。
「倒す? 君が、私を?」
アイゼルの言葉に目の前の怪人が腹を抱えて笑い始めた。
「あははははっ! 倒す、私を倒す!! 魔人の中でも最強と名高いこの私を、お前が倒すだと?」
イグザレアがひとしきり笑ったあと、まだ笑い足りないのか顔を歪めながらアイゼルの後ろにいるシェリーを指さした。
「下らないことは言うな。その子をよこせ」
その言葉に後ろのシェリーがビクリと震える。
魔人の言葉はどこまでも冷たくアイゼルの心臓を縛り上げる。
だが、アイゼルは微笑みながら、大丈夫だと頭をなでた。
彼女はそれを拒否することなく、受け入れた。
「それは出来ない相談だ」
「君は戦闘系の魔術師ではない。防御系の魔術師でもない。……支援系ってとこだろう、そんな魔術師がこの私の手からどうやってその子を守るつもりなんだ」
「……この子は、さんざん裏切られてきた」
少しだけ、アイゼルにはシェリーの気持ちが分かるから。
「は?」
目の前の怪人は、アイゼルが当然言い出したことの意味が分からず首を傾げた。
「村人にも、両親にも、そして助けを求めた王立魔術師学校の生徒にも裏切られた」
アイゼルの言葉に熱がともっていく。
「魔人だからな。仕方ない。それが私たちの運命というものだよ。少年」
「仕方なくない」
アイゼルが強く言い切った言葉に、思わず魔人がたじろいだ。
「この子はどれだけ裏切られても、どれだけ暴力を振るわれても、それでもなお自分のために力は使わなかった。お前みたいな屑と一緒にするんじゃねえッ!」
アイゼルが啖呵を切る。
もう戻れない。無論、戻るつもりはない。
「ははっ、元気が良いことだ。でも覚えておくといい、どれだけ気合を入れたって力の前には無駄なのさ」
「……ッ」
僕はアイツに勝てるか?
……いや、無理だ。
片や落ちこぼれ。片や最強。
今更ながらに、自分のしたことが恐ろしく足が震えてきた。
でも、ここで逃げるわけには行かない。今の僕には守るべき者がいる。
だから今もなお、怯える様にアイゼルを見つめる少女を優しくなでた。
そして、精一杯作った笑顔で少女に語り掛ける。
「安心して、僕は絶対君を守るから」
「……うん」
そうは言うが、まだ信じてはいないのだろう。
だが、それも彼女の持つ力と境遇を考えれば当然だ。
けれど、アイゼルはだからこそ彼女の味方なのだ。
いや、味方でなければならないのだ。
「王立魔術師学校『序列最下位』、アイゼル・ブート」
魔術師が名乗り上げる。
彼の人生において、勝利という言葉は中々に刻まれていない。
だが、この一戦、この戦いだけは負けるわけには行かぬのだ。
故にそれは死んでも引かぬ意思表示。この一戦に全てを賭ける男の戦い。
無論、悪魔と言えどもそれには応える。
「位階序列『正二位』イグザレア・アラート」
『正二位』。人の身における限界値。
故に目の前の男は、人類の一つの到達点。
アイゼルは背中の剣に手をかけた。
悪魔は両手をひろげた。
莫大な殺気が渦巻いて、辺りにある炎を巻き込み渦を描く。
両者は炎に囲まれた戦場で、戦いの火蓋を落とした。