第26話 影貌、そして脱出
何の音だッ!?
「ここは危ない。早く逃げて」
「で、でも……」
「もう『魔術』は解除してある。シェリーが狙われることは無いよ!」
そう言い残してアイゼルは納屋の外に飛び出た。
今は現状把握に努めなければならない。
常に最悪を想定して動けとは、誰の言葉だっただろうか。
アイゼルは音のした方向に全速力で走ると、音の元凶が見えた。
「……冗談だろ」
『ほう。これは中々……』
村の中心部、どこから飛んできたのか分からないがそこにいたのは3体の影貌。
身体の細い、スピードタイプに思える影貌A。
丸みを帯びて、女性の身体にも思える影貌B。
そして、
三体の中で身体が一番大きくもっとも筋肉質な影貌C。
その三体が目の前に現れたアイゼルをじぃっと見ていた。
流石のアイゼルもこれには抜刀するかどうか考える。
剣を抜けば、影貌は簡単に殺せるだろう。
だがその後、欲望に負けて村人たちを殺して回らないだろうか?
ここにソフィアがいるならそれを止めることも出来ただろう。
だが、ここに彼女はいない。ここにいるのは序列100位以下の学生だけ。
……抜けない。
『抜いた後のことはその時に考えればよいではないか』
グラゼビュートがアイゼルの覚悟を嗤う。
全能感に包まれろと、強者としてふるまい、その力に酔いしれろとグラゼビュートは嗤うのだ。
やはり、力を貸していても悪魔は悪魔。
アイゼルは胸元から一つの『魔導具』を取り出した。
これは悪魔と契約して使うタイプの物ではなく市販されており誰にでも買える一般的なものだ。
球状のそれを、投げ捨てる様にして放り投げるとそれは黒色の狼煙を上げ始めた。
意味するのは『至急、撤退せよ』。
これは各自撤退という意味もあるが、流石に王立魔術師学校の学生ならここの村人たちを連れて逃げろという意味を表すことくらい分かるだろう。
『はははっ、アイゼル。まさかお前、一人で勝つつもりなのか?』
「悪いか?」
『いや、良い。とても良い。勝ちたいなァ、アイゼル』
「ああ、勝ちたい」
その瞬間、アイゼルの身体が一回り大きくなったかと思うと、全身の筋肉を縛り付けるかのように元の大きさに戻った。
身体強化魔法、しかしアイゼルの勝ちたいという闘争欲求を喰らったグラゼビュートの力により強化されたアイゼルの身体だ。
そう簡単に、負けるはずもない。
確信めいた考えとともに、アイゼルは地面を蹴った。
一瞬で風景を置き去りにして一番ガタイの良い影貌Cに飛び込む。
初撃で来ることを想定していなかったのか、人類の天敵はひどく動揺したかのように見えた。
知覚魔法によって表示された剣筋をなぞるようにして剣を振るう。
鞘を付けているので斬ることは出来ないが、それでも無力化することは出来る。――と、思っていた。
首を狙った一撃をダイレクトに受けたはずなのに、一切のダメージを感じさせることなく目の前の影貌Cは『魔劍』の鞘を掴むとそのままアイゼルをつかみ上げ投げ捨てた。
「……ッ!」
自分の身体が重力から切り離される違和感。己の身体が宙に舞う。
次の瞬間に、背中に激しい痛みとともに教会に激突した。
なんつー馬鹿力だよ……。
『はやく起きろッ! 追撃が来るぞ!!』
「分かってるっ!!」
アイゼルは自らの身体が半分ほど建物に埋まっている中、無理やりに身体を外すと跳躍。次の瞬間、そこに影貌Aが飛び込んできた。
速すぎて、見えなかった……。
アイゼルは素早く起き上がって戦闘に戻る。
時折、村人が影貌とアイゼルの近くに顔をのぞかせるが誰も彼もすぐに引き返す。
それでいい。
邪魔にならないように、いてくれないほうが良い。
ふと、天が曇った。
瞬間、アイゼルの周りが真っ赤に染まる。
知覚魔法における攻撃範囲の表示だ。
アイゼルが自らの脚力に唸りを言わせてその場から離れると、空から降ってきたのは一つの雷。
当たれば人間の身体など、ひとたまりもない『雷轟神鳴』の稲妻。
地面に落雷すると、知覚魔法が表示した通りに放電していく。
それを避けると、術式を書き終えたばかりの影貌Bが新しく魔術式を描き始める。
……やばいな。
『抜けば終わるだけの話だ』
「出来るかよッ!!」
知覚魔法によると、ダイムもシェラもニーナもアイゼルの意図を読み取ってくれたらしく村人たちが村から逃げていくのが分かった。
だが、まだ村には肝心の子供がいる。
シェリーは先ほどいた納屋から逃げるつもりがないのか、一切の動きを見せない。
ふと、アイゼルがその地図に気を取られた瞬間に影貌Bの魔術が飛んできた。
風の魔術は不可視のままにアイゼルの腹を浅く断つ。
「ぐっ……」
やっぱり抜くべきか?
いや、ここで『魔劍』に頼ってしまうのはもはやアイゼルの癖のようになっている。
アイゼルとて分かっているのだ。この剣がないと何もできないことくらい。
この剣があるからこそ、いまこうして戦えているということに。
「僕は何にも変わってないな」
そうして、背中の剣に手をかけた。
『ようやくやる気になったか』
そして、剣を抜こうとした瞬間にアイゼルの視界の端に金の髪の少女を捕らえた。
「シェリー!?」
彼女はここで戦っていると気が付かなかったのだろうか。
アイゼルと、それに向かいあう三体の影貌に驚いた表情で目を丸くしている。
のそり、と影貌Cが動いた。
それと同時にアイゼルは地を蹴って飛び出した。
ほぼ同時に影貌Cも地面を蹴る。
砲弾のように発射された両者は、どちらも異なる目的をもってシェリーに手を伸ばした。
片や助けるために、片や殺すために。
だが、果たして先に手を伸ばしたのはアイゼルであった。
地面からすくい上げる様にしてシェリーを抱きかかえると、そのまま駆け抜ける。
「アイゼルさん!?」
「黙ってて! 舌噛むよ!!」
「~~っ」
声にならない悲鳴を上げてシェリーは叫んだ。
アイゼルは少女を抱えたまま村の北側を目指した。
知覚魔法によればそこが一番、村人の数が少ない。
そのまま向かっていると、後ろからアイゼルを追いかける気配。
三体ともアイゼルに連られたみたいだ。
アイゼルに連れたのか、シェリーに連れたのかは分からないが。
大地を踏みしめ、バリケードを乗り越え、あぜ道を走り、そして森に飛び込んだ。
影貌たちは相も変わらずアイゼルを追いかける。
振り向いて確認すると、影貌Aが一番アイゼルに近く次いで影貌B。そして最後に影貌Cがアイゼルを追っていた。
「まさか、この森に逃げ込むことになるなんて」
「……私は、置いていってよ」
「自己犠牲の精神がいつもいつも美しいとは思わないことだよ」
ふと、視界の端に捉える黄色の狼煙。
その意味は『援軍求む』だが、この辺境の地において援軍を要請することなど出来ない。
恐らくは、援軍を呼んでくるといったところか。
村人たちの避難は、全て彼らに任せよう。
「さぁ、追いかけっこと行こうじゃないか」
『楽しそうだな』
(そうでもないさ)
アイゼルはそう言って森の中に飛び込んだ。