第02話 強者と弱者
この国では齢10歳の時に全ての人間が魔術を授かる。
正確に言えば、10歳の時に悪魔と契約するのだ。そして、契約した悪魔に代償を支払うことによって、力を得る。その悪魔に寵愛されればされるほど、使える力は大きくなるのだ。
現在契約可能な悪魔は五体。
『傲慢』の悪魔、ヴィアフェル。
『嫉妬』の悪魔、アヴァリアタン。
『憤怒』の悪魔、イライターン。
『色欲』の悪魔、ラクシュメダイ。
『怠惰』の悪魔、ピグフェゴール
現在、一番多く契約者を抱えているのは『嫉妬』の悪魔、アヴァリアタン。彼女との契約者はこの国だけで340万人を超えている。
契約者が多いと、支払う代償が少なくて済むというメリットがあるため、契約者が多いのだ。
「はぁ……」
アイゼルは、どの悪魔にも見初められなかった。
そう、彼は生まれつき魔術が使える天然ものの魔術師なのだ。まあ、だからといって別に強さに直結するようなことはないのだが。
アイゼルは肩を落として、廊下を歩く。
「序列10番かぁ……」
それが夢の夢であることは本人が一番よく分かっている。
だって、常識的に考えて序列最下位が、10番以内になんて入れなくない?
というか10番以内に入れるかを心配するよりも、落第するかも知れないという危機があるのだ。誰だって普通はそっちの心配をする。
「それに荒療治かぁ……」
アイゼルだって、強くなりたい。そのためにはそれなりのリスクだって飲み込むつもりだ。
しかし、あのローゼ先生がわざわざ荒療治というくらいだ。とんでもないものに違い無い。
「いやだなぁ」
「おっ、そこにいるのは万年最下位のアイゼルじゃないか」
とぼとぼと歩いていると声をかけて来たのは、一人の大男。
身長は2メル近くあり、筋骨隆々。その周りには取り巻きを引き連れ、アイゼルを見ながらニヤニヤ笑っている。
序列7位、『鋼鉄の武闘家』イルム・フェルート。二つ名持ちかつ、『憤怒』の悪魔イライターンより寵愛を授かりその力を0.008%も引き出せるとんでもない実力者なのだ。
イライターンの契約者数はこの国で130万人ほどいるので、彼がどれだけ特別扱いされているか分かるというものである。天才と呼ぶにふさわしいだろう。いや、この学校にいる人間はみな天才なのだが。
まあ、実力者が人格者かというとそうでもないわけだが。
「なあ、アイゼル。俺ァ、最近金欠でよぉ」
「奇遇だな、イルム。僕も最近金欠なんだ」
「おいおい、冗談きついぜ。この学校で一番お前が金をため込んでるってのは有名な話だろ? そいつをちょっとばかし貸してほしいのよ」
「働けよ。お前なら引く手あまただろ?」
「馬鹿言えよ。貴族はそう簡単には働かねえ。国家の有事でないとな」
そう言ってニヤリとイルムは嗤った。
なんだかんだ言っているが、こいつはただ僕から金を巻き上げたいだけだ。
「悪いけど、僕は誰かに金を貸せるほどため込んでないんだ」
「グダグダ抜かすな、イライターン!」
その瞬間、イルムの拳に炎がともりアイゼルめがけて踏み込んできた。取り巻き達がはやし立てる。
「くっ、【知覚せよ】ッ」
アイゼルが詠唱。その瞬間にアイゼルの視界に映る全てのものがスローモーションになった。そして三つの表示がポップアップ。
イルムの拳の進路予想図がまっすぐアイゼルの目の前に表示される。無論、その威力と範囲も。
それが、アイゼルの使える唯一の魔法。知覚魔法。
そうして、自分にゆっくりと迫る拳を見てアイゼルはそれを避けるかどうか迷う。無論、避けるのは難しいことじゃない。何しろ進路は分かっているし、視界はスローモーションだ。だが、ここで避けてもイルムはさらに激昂して、連撃を放ってくるだろう。そうなると、身体強化魔法が使えるイルムと使えないアイゼルでは勝負にならない。
だから、ここは。
「ぐあっ!!」
出来るだけ怪我が長引かないであろう部分に拳をかすらせ、後ろに跳ぶ。出来るだけ拳のダメージを軽減しようとしたのだが、壁に背中を強打して息が詰まる。その後地面に落ちると咳き込みながらイルムを見る。
「雑魚が調子に乗るんじゃねえ」
「くそ……」
イルムに殴られた場所よりもぶつけた背中の方が痛む。アイゼルはゆっくりと立ち上がると、イルムを睨んだ。
イルムはいつもよりもかなり激昂しているようだ。流石は憤怒の悪魔に寵愛を受けているだけはある。怒りっぽい奴だ。
「何をしている?」
いつ、イルムがアイゼルに飛びかかってきてもおかしくない状況で声をかけて来たのはどこまでも冷たい女の声。
圧倒的強者の声に、アイゼルもイルムも声の主を見てしまう。
「……っ、序列一位『孤高の女王』ソフィア・メイソン!」
「その呼ばれ方はあまり好きではないな。もっと親しみを込めてソフィアと呼んでくれよ」
腰元まである艶のある黒髪が、夕日の光を反射してキラキラと煌めく。
彼女の腰元には一本の剣。
最強。彼女にはその言葉がもっともふさわしい。
「生徒同士の暴力行為は禁止されているぞ、9位」
「今は2位上がって、7位だ。よく覚えておけ」
「おっと、すまなかった。成績が変わってまだ全員分の順位を覚えてないのだ」
「けっ、三期連続一位様は言うことが違うな」
「それで、この状況は一体どういうことだ? 私の見立てでは、7位が最下位を虐めているように見えるのだが」
「男同士の喧嘩さ。女の首席殿には分からんだろうがなっ!」
そう言って吐き捨てるようにいうと、イルムは取り巻きを連れて去っていった。ここで揉めても、ごねても、彼女には勝てない。そう思ったからだろう。
そして、それは間違いではない。
「大丈夫か? あーくん」
「いや、大丈夫だけど……。ここ学校だよ。ソーニャ」
「ふふっ、あーくんも私のことを愛称で呼ぶではないか」
ソフィアはそう言ってほほ笑んだ。
「本当に大丈夫か?」
心配そうにソフィアが手を伸ばす。
「大丈夫だ」
そして、アイゼルはそれを振り払った。
それに少しだけ悲しそうな顔をソフィアは浮かべたが、すぐに気を取り直してアイゼルを見た。
「あーくん、その様子だと進路指導されてきたんだろ? 成績はどうだったんだ?」
「……最下位」
「そうか、まああーくんは本番に弱いからな。試験結果が悪くなるのも仕方ないだろう」
「……ッ。ソーニャ、僕に慰めなんていらないよ」
「むっ……そうか。なあ、あーくん。あーくんさえ良ければ、私が訓練に付き合うぞ」
「いや良い。僕は自分で何とかする」
「そう……か。うん、あーくんがそう決めたなら、私は何も言わん。頑張ってくれ」
悲しそうな顔をわずかに浮かべるが、アイゼルだって何も意味なく彼女の誘いを断っているわけではない。
ソフィアには、大恩がある。返しても、返しても、返しきれないほどの大きな恩だ。だからこそ、アイゼルはソフィアにはこれ以上頼りたくないのだ。
今の自分では彼女に甘えてしまうから。
「……僕はもう行くよ」
「うん、頑張って。あーくん」
まだ何かを言いたそうだったがソーニャに背を向けて修練場に向かった。
「……くそっ」
日課の素振りをしながら、アイゼルは毒づく。
どれだけトレーニングしたって強くならない。どれだけ、頑張ったって報われない。
「くそっ、くそっ、くそっ」
素振りを繰り返す。自分では分かっているのだ。こんなことをして、強くなるなら今頃もっと強くなっている。だが、それ以外に何をすればいいのだ。
知覚魔法は物事全てを見通すことが出来ると、かの『賢者』は言った。そして、アイゼルはその知覚魔法を扱う才があり、魔術師の名門たる王立魔術師学校に入学することも出来た。
最初の頃は、信じていた。自分は『賢者』と同じ才能があると、いつかはあの高みにたどり着けるのだと。
「くそっ……」
思わず、素振りの手に力がこもる。
だが、入学して一年半。分かったのは、特別なのは知覚魔法ではなく『賢者』だったということ。
「これじゃ、届かない」
思わず、独り言が漏れる。
これでは、届かないのだ。
これでは、繰り返してしまう。あの惨劇を。
「これじゃ、意味がない」
これでは、意味がないのだ。
これでは、止めることが出来ないのだ。かの惨劇を。
素振り500回を終えて、アイゼルは剣を下ろした。
「強く、成らないと」
そう、アイゼルは強くならなければいけないのだ。
それだけが、生き残ってしまった自分の課せられた使命なのだから。