第17話 下層、そして亜人
「今回の依頼は、王都の下層に潜む魔人の手掛かりを掴むこと」
「……あの、依頼を渡してくるのは良いんですけど」
授業の単位は、依頼をこなした数で補うことが出来る。何故なら、王立魔術師学校の目的は優れた魔術師を育てることであり、実戦は手っ取り早くその方法が学べるからである。
アイゼルがいるのは、教室。だが、そこには彼とローゼしかいない。
「僕一人で、ですか」
「うん」
「あの、多分忘れてると思うんですけど僕序列最下位じゃないですか」
「うん」
「それで紅竜を倒して一か月は動けてないじゃないですか」
「うん」
「で、王都の下層で魔人の手掛かりを掴んでくるんですか?」
「そう」
「無理じゃないですか?」
「無理って言わないっ!」
「いや、無理ですよ」
アイゼルが魔人を倒してから、アイゼルの身体は魔導具との融合がメイベルによって判明したので、その精密検査のためアイゼルは一か月ほどろくに身体を動かせていないのだ。
「そうは言われても、現状王都の安全を守れるのは学生だけだし」
「三年生とか四年生に頼れば良くないですか?」
「あの子たちは国外とか国境沿いとか辺境の各地を担当してるわ。範囲が広い分、結構無理しているのよ」
「なるほど……」
「それに、どっちにしても必須単位に単独任務があるし」
「なるほど……」
「じゃ、お願いね」
「……はい」
無茶苦茶というか、なんと言うか。
ローゼから依頼の詳細を伝えられると、アイゼルはさっそく準備して王都の下層に向かうことになったのだが。
「行きたくねぇー」
『どうしたのだ。行くしかあるまい』
「そりゃそうだけどさ」
いったん、アイゼルは家に帰って諸々の準備を整えることにした。
「王都の下層はいまいち地理感覚がなくて怖いんだよ」
『狭間の森で数日過ごした男が何を言うか。もっと自信を持て。というか、王都の下層とはなんだ?』
「……ん。下層は下層だよ。行けば分かる。それに、いつかお前が言ってた亜人がどうこうって疑問あったろ」
『うん? ああ、そう言えばそんなことも言ったか』
「その答えが分かるよ」
アイゼルは使い古された中古のフード付きの外套を着こむと、荷物が外から見えない位置に隠し込む。
『どういうことだ?』
「行きながら説明する」
そう言って、全ての準備を整えたアイゼルは外にでた。
(まず、大前提だ。この国において亜人は、人じゃない)
『人じゃない? あれはどう見たって人だろう』
(そりゃ、普通に考えたらな。でも王都の人間はそう考えない)
アイゼルが王都に来た時、その考えを受け入れるのに一番時間がかかった。実際、今でも考えを受け入れられずに亜人種に関して、アイゼルは王都の人間に聞かれても彼らの考えに迎合した風を装っている。
(だから、王都に基本的に亜人はいない。彼らは排斥されることを知っているから、王都にはこない)
『む、まあ。確かにそうだな。自ら排斥される場に飛び込む馬鹿はいない』
(だが、王都から逃げられなかった亜人もいる。そういった連中が生き延びてるのが、王都の下層だ)
『だから、下層とはどこのことだ』
(直、分かる)
アイゼルはそう言って、下層への入り口にやってきた。気だるげにしている門番たちは、一見浮浪者に見えるアイゼルに冷たい視線を向けるが、アイゼルが王立魔術師学校の学生証を見せると、急に姿勢を正して気合の入った挨拶を返してくれた。
王立魔術師学校の学生はエリートだ。印象をよくしておいて、損はない。
「王立魔術師学校の学生さんが、こんなところまで何のようです?」
「依頼ですよ」
「流石は学生さん。学生のころから王都のために大変だ」
少し、小馬鹿にしたように門番がいう。
ゆっくりと門が開き、異臭があたりに匂い出す。ちょろちょろと足元に流れるのは下水だ。アイゼルは先に持ってきていた布を鼻と口を覆うようにして巻くと、門の中に入った。
「出るときはここの門は使わないから、閉め切っておいてください」
「中の獣どもに襲われないようになぁ」
門番がそう返すと、アイゼルは水路の隣にある道を歩き始めた。
『ほう、下水か。しかし凄いな、こんなもの俺が眠りにつく前には無かったぞ』
「悪魔と契約することで授けられた知恵だよ。このおかげで王都は世界でもまれにみる衛生的な都市になった」
『衛生的、ねぇ』
グラゼビュートはアイゼルが言葉に含ませた意味に気が付いたのか、鼻を鳴らした。
ふと、アイゼルの足元に手が伸ばされる。あやうく踏みそうになったその手をかわすと、そこにいたのは薄汚れたドワーフの少年だった。背が低いが、鍛えられた筋肉を誇るのがドワーフという種だが、彼の身体は骨と皮しか残っておらず、肌も土気色に染まっていた。
アイゼルは、何もせずにその子のもとを立ち去った。
『今のは……』
(この街の歪みだよ。王都の人間は不衛生なものを全て下水に投げ込む。そうすれば、王都の上層は衛生的だろ?)
『……なるほど』
アイゼルはドワーフの少年を助けてやりたいが今の彼には何もできない。今の彼に出来るのはせいぜい、その日一日の寿命を延ばすことだけだろう。その先まで、彼は責任を持てない。
『それで、この迷路のような下水の中から魔人の姿を探すのか?』
(いや、長老のもとにいく)
『長老?』
(こういうとこに同じ種族が固まれば、出来るだろ? 集団が)
『なるほど』
アイゼルは怪しい記憶を頼りに、下水道の中を歩いていく。地下に潜ってしばらく歩くと、やがて人工物がいたるところに見え始めた。それも、流れてきたようなものではなくあえてそこに置いているかのように見えるものだ。
やがて、下水道の行き止まりにたどり着いた。そこにあるのは、簡易的なドア。アイゼルは数回ノックすると、中から声をかけられた。
「誰だ」
「アイゼルです。長老にお話を伺いに来ました」
「入れ」
ここは、下水の壁を亜人種が掘りぬいて作り出した空間だ。下水にいる獣人たちの保護をしている。だが、彼らとて同族以外を受け入れる余裕はないのだ。
『む? お前、ここにコネクションがあるのか』
(まあ、友達を探すときにいろいろあってね)
中に入ると、狼の獣人がアイゼルを出迎えてくれた。
「今日はどうしたんだ?」
「『魔人』に関して、ちょっと」
「……悪いことはいわねえ。帰ったほうが良い」
「どうしたんですか?」
いつもは歓迎してくれるガルバが珍しくアイゼルを拒絶した。
しかし落第にリーチがかかっているアイゼルとしては帰れと言われてもはい、そうですかと帰ることは出来ないのだ。
「いや、ちょっとウチもきな臭いことになっていてな」
「?」
アイゼルはその意味を理解することなく、長老の部屋までやってきた。
「長老、アイゼルを連れてきました」
「入ってよいぞ」
「じゃあな」
アイゼルを長老室まで案内したガルバは、アイゼルを見送った。いつもとリアクションの違うガルバに困惑しながらも、アイゼルは長老の目の前に腰を下ろした。
「今回は、こんなものしか用意できませんでした」
そう言ってアイゼルが腰からだしたのは、市場で買ってきた酒瓶。それを二つ取り出して、長老の護衛をしている獣人たちに渡した。
「いつもいつも、ありがたいのう。お前さんみたいな人間がもう少し多ければ……」
「今回、ここに来たのはいつもの件ではありません」
アイゼルがそういうと、長老は首を傾げた。
「ほう? それでは一体どうしたのだ?」
「下層に魔人が逃げ込んだという話を仕入れまして……。長老が何かご存知ないかと伺ったのです」
「……ふうむ」
アイゼルの言葉に、長老はひどく困り果てた顔になった。それは長老だけではなく、後ろにいた護衛達も困ったような顔をする。
「どうか、されたのですか?」
「アイゼル、儂は長い間生きてきたが人間は亜人を排斥するばかりの者ではないことを知っておる」
「……はい」
「じゃがの、やはりここは生きづらいて」
「はい」
ふと、アイゼルは自らの身体がゆっくりと動かなくなっていることに気が付いた。
「じゃが、お主はこんな儂らに良くしてくれた」
……どうした?
『催眠魔法だ。眠らされるぞ』
とっさに舌を噛んで眠気を払おうとしたが、グラゼビュートの指摘はワンテンポ遅かった。
「お主には、ここで眠っていてほしい。何、全て終わったら解放するでの」
その言葉を最後にして、アイゼルは意識を深く深く落としていった。