第10話 帰還、そして抱擁
「本当におめでとう。狭間の森から自分たちの力だけで抜け出したのは君たちが初めてだよ」
拍手をしながら二人にそう声をかけて来たのは、アイゼルたちの目の前に座っている女性。……学長だ。
『あの程度の森を抜けられんとは、王立魔術師学校の学生も落ちぶれたものだ』
「……たち、というのは今回が初めてではないということでしょうか?」
アイゼルの問いに学長は頷いた。
「勿論だとも。うちの落ちこぼれ達は毎年二年になるとそこの『賢者』に頼んで狭間の森に送ってもらっているんだよ」
……なんつーことを。っていうか、毎年死者がでるのはそれが原因なのでは?
「荒療治だと思うかい? でも不思議な物でね、命の危険にさらされた魔術師たちは二通りのリアクションを取る。一つ目は、もう二度と同じ経験をしたくないと僻み、魔術の力が弱くなる場合。二つ目は、なぜか悪魔とのつながりが深くなって、魔術の力が増す場合だ」
『当然だ。悪魔達にとって人間の欲望は嗜好品。生存欲求は何にも代えられないほどの大きな欲だからな』
グラゼビュートが学長の言葉に捕捉を入れる。
(お前も欲望を食べるみたいなこと言ってたもんな)
『ああ、俺は美食家だからな』
「さて、たった四日間だったが学校で行われる授業では体験できないような濃密な時間を過ごせたと思う。君たちの成績が数字となるのは今期の終わり……半年後だが、それまで頑張って実力を保っていてほしい。ところでアイゼル君」
学長の、男か女か分からないあやふやな顔がアイゼルに向けられる。
「はっ、はい」
「君が身に着けた新たな魔導具の名前を教えてくれないか?」
「魔導具の、名前ですか」
そう言えば、アイゼルはこの剣の銘を知らない。
(グラゼビュート、この剣に名前あるのか?)
『ある。この剣の銘は……』
アイゼルはグラゼビュートが言ったその剣の銘を聞いてにやりと笑った。とてもシンプルだ。だが、それが良い。
「この剣の名は『魔劍』です」
その後、しばらくの間学長とやりとりを行いローゼに連れられるまま教室に移動して、何故やるのか理由が一切分からないホームルームを行ってから、二人は解散となった。
「……すご、かった、ね」
「ん?」
「狭間の森のことなのだ」
「あぁ。ほんとにそれな。もう二度とあんな経験したくないよ」
「王家直属魔術師部隊に入ろうとしている奴のセリフではないのだ……」
「む」
確かに、アイゼルの希望する通りの進路に進むのであればアイゼルは狭間の森のような出来事をこれから経験していくことになる。命をなげうち、国のため、民のために死ねる最強の魔術師集団の一員になるのなら、それくらいの覚悟は必要と言えるだろう。
「確かに、そうだな」
「アイゼル君は、本当に……王家直属魔術師部隊に?」
ふと、確認をするかのようにエーファがそう尋ねた。
「ん……。まあ、そりゃ入れるなら、入りたいよ」
「そっか……」
「どうかしたか?」
「アイゼル君が……目指すなら、私も入る」
「……エーファ、それはマジなのだ?」
「うん……。頑張る」
「アイゼル、お前のせいでエーファがおかしくなったのだ! 責任とるのだ!!」
「何でだよ! 僕は何もしてないだろ!」
「リーナ、良いの。私……決めたから」
「アイゼルっ!!」
「ぐおおお。顔に張り付くな。息が出来んっ!!」
リーナはアイゼルの顔に張り付いてそのまま全力で顔に抱き着いてくる。剥がそうとするが、し、信じられないほどの馬鹿力っ……!
『馬鹿ばかりだな』
グラゼビュートが呆れた声を上げる。
結局、エーファがリーナを剥がしたのだが、それがわずかに遅ければアイゼルは気絶してしまっていただろう。
アイゼルとエーファの住んでいる家の方向は真反対なので、校門を出たところで別れると、アイゼルは帰路についた。
相も変わらず王都は喧騒にまみれて、人はせわしなく流れる。道を歩けば露天商たちが声を張り上げ様々な商品を売っている。それは日用品から、魔術道具や魔薬、異国情緒あふれる謎の道具まで多岐に渡った。
ふと、路地裏をみるとみすぼらしい恰好をした乞食が、じぃっとアイゼルの方を見ていた。
アイゼルは念のため、胸元に入れた財布を確認する。王立魔術師学校の学生の財布を盗もうとする命知らずはこの街にはいないが、それでも念には念を入れておいたほうが良い。彼らもわずかながらの金で命をつないでいるが、生きるか死ぬかの瀬戸際では命を捨てても金をとりに来ることがあるのだから。
ふと見上げると建物と洗濯物の間に、王城が見えた。太陽の光を反射して煌めく王城には、六つの旗が今日もたなびいている。国旗と、五つの悪魔の旗だ。国王は今日も、悪魔達と対話しているのだろうか……。
『どういうことだ?』
(どういうことってのは?)
『今お前が独白していたではないか。悪魔と対話だの何だの』
(ああ、そのことね。この国の王様は、人間が契約できる五体の悪魔全員と対話出来るんだ。っていうか、悪魔と会話出来ないとこの国の王様にはなれないんだよ)
『五体とも会話するとは、中々の超人がまだ残っているではないか』
(うん、年に一回。王様の生誕祭に王立魔術師学校の学生は全員参加するんだが、年々やつれてるって噂だ)
『あれだけの悪魔達と会話してやつれるだけで済むことが、もう異常なのだがな』
グラゼビュートは呆れたようにそう返す。
そう話していると、アイゼルの自宅が見えてきた。自宅と言っても集合住宅の一室ではあるが。四日ぶりの自宅に安堵を覚えながら鍵を開ける。
「ふう、ただいまー」
「待ちわびたぞ。あーくん」
「……その声は」
アイゼルがそう言うなり、漆黒の塊に抱き着かれた。
「心配したのだぞ、あーくん! 四日前にⅥ組に行ったのだがな。誰もいないから気になって担任のローゼに話かけたのだ。だが、彼女もどこに行ったか知らないというから、私は心配して心配して、自警団に行方不明としてこの話をもっていこうと考えたのだ。だが、自警団に行く前にローゼが来てな。聞けばあーくんと、もう一人のクラスメイトが『賢者』によって狭間の森に飛ばされたというから、私はもう気が気じゃなくなって慌ててシャルモ島までの船の乗船券を買おうと思ったのだが、シャルモ島に行くのは王に許可された人間か、冒険者ギルドが認めた冒険者だけだったのだ。それで私は慌てて冒険者ギルドに駆け込んで冒険者になろうとしたんだが、冒険者になるためには王立魔術師学校に入ったままでは駄目だというから、王立魔術師学校をやめてしまおうと学長に言いにいったのだ。そうしたら、『賢者』から話が合ってもう少しであーくんが帰ってくるからおとなしくしろと言われてな。あの学長のことだから私はあーくんが死体で帰ってくるのかも知れないと思っていてもたっても居られなくなって、慌ててあーくんの部屋に来たのだ。だから私はここで二日も待っていたのだ!」
……は、早口過ぎて何も聞き取れん。
『お、おい。この女大丈夫か』なんて、グラゼビュートも心配する次第だし。
「くっ、苦しい。ソーニャ、離して……」
「むっ? ああ、これは悪かった」
ソフィアに抱き着かれたまま、危うく窒息死することは避けられたアイゼルは、足りない酸素を埋め合わせる様に何度か大きく呼吸をすると、ソフィアに向き合った。
「……迷惑かけてごめん」
「いや、生きて帰ってきてくれればそれで良いんだ」
今度は優しく、彼女に抱きしめられるのだった。