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この世界にきて一か月半。僕が何らかの方法で死ぬであろうことは、薄々感づいていた。
契約で縛っていても、国というものは甘くないということだ。
結構前から気が付いていたはずだけれど、受け入れるまでに本当に時間がかかってしまった。
一か月半で受け入れられたことは、案外短期間なのかもしれないけれど。でも、数日時点で僕は死んでいないと可笑しいらしかったので、やっぱり時間がかかったのだろう。
目が覚めて、王女がやってくる前に相談しておくべきだったのか。
国王の前で相談タイムを決め込めばよかったのか。
ただただ傍観しておくべきだったのか。
正直どれも現実的ではない。最後のものに関しては、出来なくはなかったけれど、今の生活が与えられていたかも怪しい。
しいて言えば、この世界に来る前に、市成的ポジションにいるのが最善だった。
どれもこれも過ぎた話。
今の僕が生き残るためには、せめて他のクラスメイトと肩を並べるくらいには強くなる必要があった。
そうしたら、クラスメイトもおいそれと手は出せないだろうから。
だけれどそうなるには、どう頑張っても時間が足りない。
クラスメイトの倍の速度で成長しようと、実質的な能力の差は総合で150~230。
30日で追いつけるのは30だけ。ステータスだけで見ても、クラス最弱に手がかかるには150日かかる。
つまりあと100日以上だ。現状でこれだけ追い詰められているのに、あと100日も持つわけがない。
しかも過酷さは一定ではない。徐々に僕に悪くなっている。
その一因が僕の最初の対応のミスにあったとしても、それ以降は王国側の手腕だ。
僕が弁解してクラス内での地位を回復できないように、裏から表から操っていたのだろう。
わざわざ部屋を25も用意したのも、集まって相談されないようにだと思う。
僕との契約を違反しない範囲で、着実に僕を追い詰めるためにとても回り道をしたようだ。
僕なんかのためにここまで手を尽くしてくれるとは、ここまでくると冥利に尽きる。不意打ちの最初の一手だけで、勝った気になっていた僕とは大違いだ。
結論、王国は僕との契約がとても邪魔なのだと思う。
そして僕が契約を撤回するか、僕が死ぬように仕向けている。
仕込みをする時間は十分にあった。きっとそろそろ仕掛けてくるだろう。
同時に僕の契約を邪魔に思う王国は、僕らを道具か何かとしか思っていないのだろう。友好的であれば、話し合いの場を求めてくるだろうし、最初の約束をするときにもっと慎重に契約をしていたはずだ。
だから契約を破棄するというのはあり得ない。下手すると生かさず殺さずで、一生苦痛を与えられるかもしれない。
それだったら、僕は死を選ぶ。だから、僕は死ぬ。
僕のこれまでの悪あがきは、気持ちの整理をしたいがための期間だったのかもしれない。
◇
運命の日は、運命の時は、早朝の走り込みから戻ってきたところから始まった。
僕の部屋の前にクラスメイトを含めた多くの人が集まっている。第一王女も一緒にいるあたり大事件らしい。
その様を見ながら、予兆があったのか思い返してみる。たぶん昨日の夜からアルクスがいなかったのが、予兆だったのだろう。
僕が戻ってきたことに気が付いた市成が、寄ってくるなり胸ぐらをつかんだ。
「通山。お前いままで何してたんだい?」
「日課の走り込みだけど?」
「何を暢気に……これだけのことをしでかして、よくそんなことができるね」
「これだけのことっていうのは?」
「とぼけるな」
市成がそう言って、僕の身体を投げつける。
流石勇者の膂力。胸ぐら掴んだ状態から、見事に壁に叩きつけてくれた。
耐久が上がってだいぶ耐えられるようになったとはいえ、痛いものは痛い。
「今日。お前の専属のメイドだったアルクスさんの死体が見つかった。
何の抵抗もないまま、犯され、殴り殺されていたらしい」
「僕は無関係だけど?」
「他に考えられるかッ!」
これはダメだ。僕が何を言ったところで、市成には届かない。
彼の中ですでに僕は強姦殺人犯になっているのだから。
彼だけではなくて、ここに集まったクラスメイト全員がそう思っているだろう。
いないのは、中立の4人か。朝早くから、よくもここまで集まったものだ。
大体磔馬がこちらを見て、優越感に浸った瞳でニヤニヤと笑っているのだけれど、誰も見ていないのだろうか。
見ていないんだろうな。
諦めのついている僕の心は、こんな状況でも思いのほかに凪いでいる。
「僕がやったという証拠は?」
「言ったよね? 抵抗がなかったって」
「それで僕のせいになるんだね」
彼はきっと、間違えた回答に至るように誘導されている。
例えば沈痛そうな面持ちの第一王女から。
「お前のスキルはシオンから聞いたよ。
契約を結んで、相手に強制させるものらしいね」
「相手にと言うか、自分も含めて契約を強制させるものだけど」
第一王女を相手に愛称を呼び捨てとか、いったいどんな関係になったんだか。
「つまり抵抗させないように、約束をさせれば良い。
アルクスさんが言っていたらしいよ。お前のメイドをするのが辛いのだと、契約のせいでお前から身を守ることも難しいと」
本当に遠回りをしてきたんだなと感心する。
どうすれば契約に抵触しないのか、確認しながら言葉にしていたに違いない。
きっと、僕についての明らかな嘘は言えなかったのだろう。
メイドをするのが辛いとか、契約のせいで身を守るのが難しいというのは、嘘とは言い難い。
なぜ辛いのか、どうして難しいのかを言っていないだけだ。
「しかもアルクスさんだけではなく、シオンとも契約を結んでいるって言うじゃないか。転移してきてかなり早い段階で」
「結んだね」
結んだね。この国の全員と。クラスメイトの前で。
「オレはお前を、通山のことを信じていたんだ。
最初に問題を起こした時、シオンに通山は危ない思想を持っているかもしれない、国王様が寛大だからよかったものの、今後オレ達の足を引っ張るかもしれないと言われた。
でも通山も地球から来たたった25人の仲間だから、様子を見ることにした」
僕も期待してたよ。25人しかいないんだって。
「それなのに、聞こえてくるのは悪評ばかりだ。
それでも信じ続けた。それなのにこんなことをするなんて」
ああ、そうか。市成は悪評しか見てなかったのか。
僕がいじめられている様は、見ていなかったのか。
言いたかったことはたくさんある。認めさせたかったことは数えられない。
でも、そんなことはどうでもよくなった。
最後の情は文月に渡した。
空っぽになったと思っていた心に残ったのは、このこいつら全員見返してやろうと思う感情は、きっと復讐心だ。
だからこの復讐心をどうにかできれば、思い残すことは何もなくなる。
そしてこの復讐心を満たすためには……。
「僕も信じてはいたんだよ。クラスメイトだからって。地球から来たたった25人だってね」
「じゃあどうして!」
「どうしてもこうしても、僕は何もしていないよ」
「それならシオンとの契約を解いてもらおうか。シオンはいつも怯えている。
お前に抵抗できないままに暴行されるかもしれないと」
「出来ないよ」
「それならお前を殺すしかない。表に出ろ!」
そんな宣言で普通は表に出ないと思うのだけれど。
だけれど、僕にはそんなことを指摘する気も起きなかった。
◇
通いなれた訓練場。
その中心で、僕は市成と相対している。
決闘だと言わんばかりだけれど、僕は武器を持っていないのに対して、市成は豪華な剣を構えている。
そのことに誰も何も言わない。
ここまで来て、死を逃れられないものだと感じて、往生際がわるいのはわかるけれど、どうやら僕の中には恐怖が残っていたらしい。
足が震えそうなのを力を入れて抑え、歯がガチガチ鳴りそうなのを気合でとどめている。
死ぬ事がどういうことか、悟っているようでまるで分っていなかった。
「最後に問う。シオンとの契約を解け」
「嫌だ」
市成の問いに何とかそれだけ返すと、ギャラリーから罵声が飛んでくる。
無表情で見ているのは、月原くらいか。
「それじゃあ、ここで決別だ」
周りの声に乗せられて、市成がこちらに剣を突き出してくる。
そして気が付いたら、僕の胸に剣が刺さっていた。
ほとんど見ることもできなかった。これがステータスの差であり、スキルの差。
この場にたどり着くまでに、埋められなかったのが僕の敗因。
頭が良いわけでもない、能力が高いわけでもない。一般人に毛が生えたような力しか得られなかった自分に、一国が行う謀に対抗できるはずもなかったのだ。
だから覚悟はしていた。でも、心臓に剣を突き刺される痛みは、覚悟していても耐えられるものではない。
痛いと叫ぶたびに、声にならずに呻くたびに、クラスメイトの多くが笑う。
当然の報いだと、お前のことが気に食わなかったと、いなくなって清々すると。
それらの言葉が心に届かないことで、多少の復讐になるだろうか。
不敵な笑みでも見せれば、見返すことができるだろうか。
だけれど口から出ていく音は、どうしても彼らを喜ばせてしまうらしい。
痛いのだから、苦しいのだから、辛いのだから、怖いのだから、しょうがない。
覚悟はしていても、死ぬというのは怖いのだ。
痛みはとても激しいけれど、死は密かにやってくる。心の奥が冷たくなって、少しずつ自分がなくなっていく。
助けてと叫んでも誰も近寄ってこず、怖いと叫んでも言葉にならない。
薄れゆく意識の中で、最後に見えたのは金髪の美しい女性。
初めて目にしたとき、召喚された全員がその美貌に目を奪われた彼女の顔が、邪悪に歪んだのを確認した時、
――後になって全てを知った時、驚愕するに違いない
――きっと彼らはこの国に使いつぶされるに違いない。
そう思うと――どうしようもなく、消える心が満たされた。